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台南

2008-01-02 記載
トピック台湾

今日は早く起きて7時18分の電車に乗り、台南へと向かう。

今日の1日はどのように過ごすか、実は直前まで迷っていた。高雄で過ごすか台南で過ごすか鳥山頭ダムを見物しに行くか、或いは少しづつ見るか。

決め手は先日の知本温泉の帰りのバスで一緒になった台南のおじさんで、いかにも親日そうで紅白歌合戦も楽しみに見たということから、ぜひともあのおじさんの住んでいる台南を見てみたいと思ったのだ。

それに、高雄から台東の間の各所はまた来る機会にでも温泉巡りをしてみたいと思ったことと、いざ台南のガイドブックを見てみると鳥山頭ダムひとつよりずっと重みがあると思ったため、今回は台南を回ることにしたのだ。

そんなこんなで高雄から30分ほどで台南に着き、散策する。

着いた直後、荷物預け場所がないかと探したら、站(駅)の敷地内にあったので預ける。17元。

身軽になったところでまず最初に、安平(アンビョン)と言う海沿いの地域にバスで移動することにする。一律18元で長距離を移動することのできる、リーズナブルなバス。

ここで、2番の系統バスを待っていると、なにやらタクシーのおじさんが話しかけてくる。 タクシーに乗りな、と言っている。「こないこない(No, No)」と言っているような気がしなくもない・・・。 こんなこと台北でも全くなかったし、台東では少しだけ熱心かなとも思ったが、ここ台南ではタクシーの勧誘が思いのほか熱心だと思った。 実際、ガイドブックにもここ台南だけタクシーに注意との記述がある。 とは言っても、ベトナムやタイと比べるとかなり上品で親しみが持てるので、これはこれで悪くない。

そして2番のバスに乗り、安平へと向かう。

かなり走るが、定額なのは素晴らしい。

そしてエリアに近づき、郵便局前で降りる。 運転手のおじさんは、「安平古堡はあっちだ、あっちだ」と教えてくれる。お礼を言ってバスを降りる。

実際、最初の目的地はそこではなく、その逆側にある徳記洋行・安平樹屋(台湾開拓史料鑞像館)だったのですが、社交辞令である。

降りたすぐそこで、チキンバーガーらしきものとホットの豆乳を飲み食いする。

そして徳記洋行・安平樹屋(台湾開拓史料鑞像館)へ。

ここ、徳記洋行・安平樹屋(台湾開拓史料鑞像館)は、ガイドブックには台湾開拓史料鑞像館と書かれてあり、ひどいことに「ろう人形が不気味」と書かれてあるが、中の展示はそれ以降趣旨変わりしているようで、この周囲の観光資源再構築のコーナーと木と家が絡まっている庭の散策コーナー、そしてろう人形による開拓史解説のコーナーと分かれていて、最初のものがメインの展示物のように見受けられた。 ろう人形は影が薄かった。

この中の展示では、この周辺が2003年から2007年までの観光資源発掘プロジェクトでどのように変わっていったのかが描かれており、どうやらそのプロジェクトでこのろう人形の館もがらりと模様変わりしたのだということは容易に理解できる。

安平樹屋はもともと日本統治時代のとあるイギリス系会社の工場で、その後は放置されていたとのこと。樹木が家屋にからまって不思議な風景を醸し出している。

徳記洋行は同イギリス系会社の商売用の建物であり、お茶の輸出や農場の保険業および銀行業を行っていた。これは、安平に残っている唯一のイギリス系貿易業者の建物で、今は台湾開拓史料鑞像館として使われている、が、パンフレットにはその名前ではなくイメージの良さそうな4文字「徳記洋行」が前面に書かれている。

そして、散策も終わり外に出る。

今度は、いよいよ安平古堡に向かう。

ここはオランダ人が1627年に築いた要塞で、当時はそのすぐ向こうが海だったという。

随分と古いものだが、小綺麗に手入れがなされている。

中には鄭成功にまつわる展示がなされている。彼は明国の人間で、オランダを追い出した人物だ。鄭の政権は3代の後に清国に倒されたとはいうものの、ここ台南には鄭成功にまつわる史跡がいくつかあるようだ。

展望台からは遠くがよく見渡せた。

中には、安平古堡の模型が置いてあった。

そしてそのすぐ横にある安平開台天后宮に行く。

ここは媽祖を祀っているとのこと。

地域の信仰の中心だとか。

私が見学したときも、熱心な青年が一生懸命、願い事をしていた。

柱の近くにある狛犬が、これまたかわいらしい・・・。

屋根には、このような人形が。


そしてその周囲を散策した後、地図で見たところの、近くにある橋の方にあてもなく歩いた。

歩いていると、食堂屋があったのでひとつ食べてみることに。

しかし・・・。 この味、ちょっと受け付けない・・・。

残してごめんなさい。

橋にふと近づいてみると、運河博物館があった。

ここでは運河が過去にどのようであったのか、そして、日本統治時代にどのように開拓が進んだのか展示が行われていた。1922年から1926年にかけて、当時の大金だった75万円もの資金を投入して台湾に貢献した。更に1935年77万円をかけ新しい港を作り、現在の基礎を作り上げた。

その中で、多少つたないが英語で一生懸命おねえさんが説明してくれた。昔は、とても狭い運河だったようだ。 そして、お土産もちょっと買うことに・・・。(苦笑)
昔の運河の様子

これは、裏にある防空壕。

なかなかリアルだ。

その横では、川の中をガラスごしに見て魚を見せようと言う工事が行われていた。 2008年中にはその工事が終わるのだという。

そして、運河博物館を出て、橋を渡り、億載金城(Eternal Golden Castle)に向かう。
運河

ちょっと距離はあるが、散歩がてらに歩く。

ゆっくりと歩いてゆく。

べつに急ぐことはない。

そして億載金城(Eternal Golden Castle)へ。

入場券。

入場券にあるレンガ造りのアーチをくぐり、億載金城(Eternal Golden Castle)に入る。

ここは清朝時代1874年から1876年にかけて作られた対日用のフランス式設計およびイギリス製砲台が用いられた要塞の跡地であり、上から見ると星型に近いようだ。

1975年に再整備され、そのときに現在置かれている模擬の砲台が置かれたとのこと。

そして、公園内を散歩した後、外に出る。

目の前にバス停があり、そこにバスが止まっている。

ガイドブックによるとどうやら日中のバスは1時間に1本とのことで、逃した場合は目の前のレストランに入ることを決める。

どうやら間に合って乗り込む。22元だそうだ。英語は通じないが筆談でなんとか。

そして5分ほど待ち、出発する。

それにしても眠い・・・。このバスのソファーがあまりにも快適すぎて寝てしまいそうだ。 こんな、合成皮リクライニングシートの豪華バスなんて日本では考えられない。しかも路線バスで。これならば遠くでもバスで行ける気がする。

うとうとしていたら、割とあっと言う間に駅(火車站)に着いた。ふう。

さてどうしようと思い、まだ時間があるので站(駅)から近いところを見に行くことにする。 まず赤カン樓(ツーカンロウ)に行くことにしました。站(駅)からしばらく歩く。

と、その時、目の前に大戸屋の垂れ幕が!!! これは食べるしかない。 もう、台湾料理はこりごりしていたところだ。 実際、台湾に赴任でもしたら食べ物で私はやられてしまうことだろう。

大戸屋の料理は、ほとんど日本と同じ味である。素晴らしい。細かいところで、キャベツのシャキシャキ感だとかご飯の炊き具合などが、普段私が食べている東京やその周辺各県の味と違うものの、そのような細かいところが気にならないくらい同じ味である。なんと素晴らしい。この近くならば生活できるかもしれないな・・・。

店員さんは、多少の日本語が使える。すごいな。

そして、赤嵌樓(ツーカンロウ)に向かう。

ここにも狛犬が。

いやあ、可愛らしい。

狛犬のファンがいるというのもわかる気がする。

水路には、多すぎだろうとも思われる鯉が泳いでいる。そして餌も売っている。(苦笑) 私はついつい餌を買って、鯉の餌やりを行った・・・。

そして、再度見学に戻る。

ここも1653年にオランダ人によって作られた要塞で、かつてはプロビンシア城と呼ばれていた。その後の時代である鄭成功の時代は行政庁舎として使われ、清国時代には放置された。1862年に一度全壊してしまったが再建されたそうだ。

この鄭成功は、母親が九州生まれの日本人で、その親戚などがここ台南に移り住んだりしてきたとのこと。


ここで、他の人をガイドしていた親日っぽいおじさんが現れ、熱心に解説していた。

ニュアンスは聞き取れなかったが、いろいろな国の勢力下に入って、まずはオランダ、鄭成功、清国、日本、そして戦争で負けて台湾を放棄したけれども・・・ と続けざまに言い、不意に言ったので注意不足ではあったが、「でも、本当は日本のものですよ」と確かにそのガイドは言った。 確信を持って、鋭い目で。 ただ、周りの人にあまり聞かれないよう周囲に気を配っていたように思える。私が日本人だったから、そして、解説している相手が日本人だったからそれを言ったのか、とも。

解説すると、日本はポツダム宣言で台湾を放棄したが、その帰属先は明記していなかった。 ただ、ニュースリリースにより台湾は中国のものとなったとだけ流されたが、ただのニュースリリースであり、勝手にそう言っているだけ。 帰属先は明確になっていない、というのがまず歴史的事象。 国会図書館のホームページにもそう書かれている。

そこでこのおじさんは、持論を付け加えた。 「でも、本当は日本のものですよ」と。 これは、中国が主張している「台湾は中国のもの」でもなく「台湾は帰属先が決定されておらず、中に浮いている状態」でもない。 「帰属先は日本である」、とまでこのおじさんは言っている!!

日本びいきの台湾人、またもやここにいた。

しかも、かなりマジメそうなおじさん。
昔の日本人はこういう人だったのかなあ・・・。


ただならぬ親日。

台湾が人気なのもわかる気がする。

そして、周囲をぐるりと散策。

そして、そこを出る。

まだ少し時間があったので、延平群王祠に向かう。タクシーで85元(初乗りそのまま)。

ここは鄭成功を祀っており、かつては開山王廟と呼ばれたようだ。

鄭成功は、漢民族によって滅ぼされた明国の復興を目指したために清朝の下でも尊敬され、日本統治時代には日本人を母とするために手厚く扱われた。 ここは、かつては日本の神社、しかも海外で唯一の神社であった頃もあったようだ。

ここは工事中であったため、半額で見学できた。

そして、その近くにある国家台湾文学館に向かおうと思ったら、その途中に孔子廟(コンツーミャオ)があったのでそこにも立ち寄る。

孔子廟(コンツーミャオ)は台湾最古の孔子廟で、ガジュマルの木の下、早朝には太極拳を行う人々で賑わうそうだ。 今はまばらであるが。

横にある明倫堂の前に、本を読んでいる一人の人が・・・。

中には難しそうな字がたくさん・・・。

本を読んでいる姿が、なんだかかっこよい。

3重の塔で8角の文昌閣。

そして孔子廟(コンツーミャオ)を離れ、国家台湾文学館に向かう。

国家台湾文学館は、建物が凄い。

いきなり立派な建物が現れ、面食らう。

2004年まで改修および増築工事が行われていたとのこと。

当時の建築を損なわないようにするため、難易度の高い工事であったようだ。

もともとは1916年の建築で、当時は台南州庁舎として使われ、戦後は空軍司令部、その後台南の庁舎として再度使われ、今は文学館となっている。

中には、オランダ統治時代から日本統治時代および現代に至るまで、様々な形での文学が紹介されていた。日本語のオーディオ解説機器もレンタル(無料)しており、内容理解の助けになる。

特に印象深かったのが、日本統治時代の文学である。

日本統治が鉄道の建設によって強化されてゆくさまを描き出した文学や、地方から鉄道に乗って都会へ行くときの思いを描き出した文学。 はたまた、戦争に駆り出された思いを描いた文学、民俗が日本統治に抵抗して反乱を起こした出来事を描いた文学、そして、日本軍として徴兵され戦いに出向いた気持ちを描いた文学があったそれは基本的に、悲しい語り部で、涙が出るものもあった。 その一方で、文学館と言うのであるから、戦争に夢を持って日本の皇軍として大和魂を持って戦ったという人もいたことを紹介しなければ、この展示は偏ったものでしかないのではないのか。 両方紹介するのならともかく、ここ、国民党が長らく支配してきた台湾では、この展示が限界なのか? 先ほど見たような、とても親日のおじさんの書いた文学はここにはなかった。

台湾縦貫鉄道。

日本が、鉄道を敷きつつ、どのようにして台湾を統治して行ったか書かれてある作品。


日本が支配せずアメリカが支配していたら、アメリカ統治下にあったフィリピンと同じく、未だ台湾は貧しい暮らしを続けていたかもしれない。 フィリピンは、鉛筆の作り方すら教えてもらえなかった。 少なくとも、選択肢が限られていて植民地争奪戦争のあの時代の最中、理想が理想のまま実現できた筈はないのに・・・。 文学の世界は、見ることのできない理想を描いて、輝き続けていた。

時間もそろそろ電車の出発時刻に近づいてきたので、站(駅)へと向かう。途中のモスバーガーでお腹を満たし、荷物を取ってから電車に乗り込む。

台南から嘉義までは40分ほどだ。嘉義では明日の阿里山鉄道を予約しようと思ったが、8時から5時までしか券売所が開いておらず買うことができない。 阿里山鉄道は通常の13時頃の便と、臨時の9時頃の便があるのだが、站(駅)のインフォメーションに聞くところによると、明日は臨時の便は出ないという。

そういうことであればということで、行きはバスで行くことにする。帰りはぜひ登山鉄道に乗りたいので明日購入を試みる。 無事、9:10発のバスの切符が取れた。座席指定のようだが、あまり混んでいないようだ。ただ、朝来る人がどれだけいるのかがわからないが。 5便あるのでそう混むことはないのかな? 正月なのに・・・。 平日だからか、或いは、旧正月と違ってあまり休まないのか。

そして、近くのセブンイレブンで現金を補給してから、タクシーでホテルに向かう。初乗り100元で、その値段のまま到着した。 ここもまた良いホテルだ。 先日のホテルと同じくらい新しくて綺麗なフロント。 そして、十分な部屋の設備。

朝食も付いているので、明日は朝食をゆっくり取って、それからバスで阿里山に向かおうと思う。

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