インド・オフショア開発の思い出

2017-06-10 記載
トピックインド・オフショア開発

2013年6月から2015年1月までインドのバンガロールに赴任しておりました。その思い出を記載してあります。


■インドメモ:英語力が誤解の元になる


インドメモから少しづつ書いてゆきます。
英語力が誤解の元になる、という事例です。

インド人と日本人のコミュニケーションには主に英語が利用されます。
日本語ができるインド人もいますが、まだ人数としてはさほど多くありません。
言語能力自体は技術的なやりとりをする限りはあまり壁にならないのですが、ご存じの通り日本人の英語力は高くありませんので、そこで、言語能力以前の問題が発生します。 その壁をまず乗り越えなければ、インド人は日本人の話を聞こうとしません。

私が元いた会社の話をしますと、ほぼ毎回、90%でこれが発生していました。
この確率は高すぎるような気がしますので、ひょっとしたらあの会社特有の環境だったのかもしれませんね。

まず、インド人の性質的に、役職で人を見ます。
日本から人が来るとき、技術的に上であっても役職がないことがあります。
そのような場合、インド人は基本的にその人を相手にしません。
全くと言っていいほどキーマンを無視します。
日本企業は、キーマンだからと言って役職があるわけではありませんからね。
そのようなインド人の態度が日本人の癇(かん)にさわるわけですが・・・。 それはさておき。

そんな状況であったとしても、インド人はとりあえずコミュニケーションしようとします。
すると、インド訛りの英語は日本人になじみがないので何度も聞き直すことがほとんどです。
結果、よく分らなくても日本人は「うんうん」と答えるか、或いは、よく分らないのでいろいろと聞きます。

ここで、インド人は次のように考えます。
「こんなことも分らないなんて、日本人はなんて技術力の低い人たちなんだ。俺たち最高。」

日本人は、技術どうこう以前に言葉が分らないのですから技術力は関係ありませんが、インド人は言語は通じていると思っています。 ここに、いわゆる(養老 孟司先生が仰るところの)「バカの壁」が発生するわけですね。

インド人はこの時点で、その日本人の技術力は低いと判断した(実際はキーマンなのに)ので、それ以上、その日本人の話を真面目に聞かなくなります。 やっとのことで日本人が発言したとしても、「ふふん」という態度で偉そうに接するわけです。 この、”偉そうに”がポイントです。 インド人は、一旦相手が自分より下だと思ったら「いちいち」偉そうに振る舞うのが常です。 インド人が嫌われるのも頷けます。

インド人は、”ふふん”という態度で「おうおう。分った分った」と答えますが、後でその箇所でバグが出ます。しっかり理解せずに「こいつの言うことは俺は分っている。大丈夫だ、任せておけ」と考えていたわけです。 バグが出ても、反省しません。 自分に責任があることを誤魔化します。 いろいろ突っ込むと、「おまえ、うるさい」という態度に出て逆ギレしてきます。 インド人が話を聞くのは自分より役職が上の人が話す時だけです。 内容によってではなく、役職によって正しいかどうかを判断します。 ボスが言うことは全て正しい。 そのイエスマンの性質は、日本人のイエスマンと比べものにならないほどイエスマンです。 日本人のイエスマンは、インドではイエスマンと言えないかもしれない。

結果、いろいろやってソフトウェアができあがるわけですが、そんな状態で作ったものですから細かな要求をインド人がくみ上げているわけもなく、変なソフトウェアができることがほとんどです。

上に書きましたように、日本人がしっかりとポイントを指摘したのにもかかわらず、インド人がそのポイントを理解せずに「なんだそんなこと。だからどうした」と聞き流すのが常です。 後になって「おまえ、こここうしろと言ったじゃないか」と言うと「そんなの聞いていない」というのが常。 指摘が口答だったからこそ、口答については自分は何でもごまかせると思っている。 口答で指摘された事項であれば、「そんなの聞いていない」と答えても全く問題ないと200%「本気」で思ってる。 それだけでなく、口答であれば何を言ってもいいと思っている。 だから、メールでエビデンスを残そうとしない。 エクセルシートで事細かに記録を残そうとしない。 後で、ソフトウェアがどのような「根拠」で作ったのか、そのエビデンスを残そうとしない。 酷い人材になると、覚えているくせに証拠がないから嘘をついたり、”にやにや”笑って誤魔化そうとする。 証拠を残さないからこそ、自分に責任がないと思っている。 一方、いくら指摘しても、インド人はそもそも管理がうまくできない。 管理に向いていないという性質のこともあるし、管理したくない、管理されたくない、というモチベーションが常に働く。 基本的にいい加減な人種で、枠組みを作ろうとせずにとりあえず組み合わせ、「問題が生じたら対処すればいいじゃないか。問題が起こる前にいろいろ考えるのは無駄」と言って、ソフトウェアに大切な「設計/計画」を疎かにする。

最終的にインド人は、「自分に責任がなく、しっかり管理しなかった日本人が悪い」と判断する。 これはジョークのように聞こえるかもしれない。 うまくいかなかったのは自分の責任ではなく、それをしっかりと運用させなかったボスの責任であると考える。 考えるのは自分ではなく、枠組みを事細かに決めて自分が実行できるまで細分化するのはボスの役割だと考えている。 細分化できない指摘をする人は優秀ではないと考えている。 一方、自分のボスではない日本人の指摘事項は制約事項ではなく、単なるオプションであり、自分の責任ではなく、最終的には、やはり「自分は完璧で、責任はない」と考える。

この、「自分に責任がない」という感覚は100%「本気」だ。 日本人からすると信じられないが、インド人は本気でこのことを信じている。 自分たちの技術力は日本の遙か上を行っており、日本人が我々のことを理解できないのは日本人の技術力が足りないからだと思っているので、日本人なんかに何が分るのか、とかなり本気で考えている。 「バカの壁」を乗り越えることができるケースは「まれ」だ。

最終的に、そんなインド人に日本人は疲れ果て、「インド人は品質が悪く、いい加減で、技術も低い。俺たちの話を聞こうともしない、傲慢で勝手な人たち」 と判断する。
一方、上に書きましたように、インド人は「俺たちがうまくいかないのは日本人がスペックをうまく作らないからだと言って、自分たちは何も悪くない、自分たちは完璧だ」と判断する。

大抵は、この平行線が続く。だいたい90%の確率でそうなる。

うまくいくのはまれ。10%くらいだろうか。

突破する鍵は以下のうちいずれか。
・日本人が英語を上達させて、インド英語にも慣れ、インド人の英語を一発で理解する。これはいきなりは難しいだろう。
・インド人が日本人を理解して、英語ができなくても根気よく付き合う。これは、インド人がそもそも自信200%で生きているため、この考えに至るのは難しいだろう。

前者はTOEIC860以上かつインド英語に慣れており、かつ、技術力も必要になる。
後者は、最初はほとんど無理なので、年月が必要になる。他社でそういった柔軟な考えを身につけた人材を引き抜くか、或いは、新卒で育てれば見込みはある。


■インドメモ:インドをネタにして出世を目指す日本人マネージャー/役員


インドメモから少しづつ書いてゆきます。

前回の続きです。

前回のような、ただでさえ誤解があり、いわゆる「バカの壁」が存在して火が噴いている状況に油をそそぐように、日本人マネージャーの中にはインドを出世の道具にしようと企む人がいてインド人の勘違いを加速させ、状況を悪化させる。

よくあるパターンとして、私がいた会社に限らずよく聞く話はこうだ。

日本人マネージャーが、インド開発部隊を立ち上げ、開発を始める。
インドとやりとりする日本人担当者は前記のような苦労をして大抵はうまくいかないものだが、日本人マネージャーはそれを「凄くうまくできた」ことにしてしまう。 更には「インド人の優秀な技術者を集めた」ことにしてしまう。 プロジェクトがあると、インド人はそのクロージングにおいて「全て完璧」という報告にしがちがちですが、それに疑問があっても異を唱えず、そのまま受け入れてしまう。

この日本人マネージャーの腹は、大抵は以下のようなものだ。

・実は、開発のことはよく分っていない。
・それでいて、MBAを取っていたりするので上役からの信頼はある。
・同じ開発部の人間からは忌み嫌われている。
・よって、開発部に仕返しをしようと心にため込んでいる。
・日本人マネージャーはインドで孤立しており、味方が必要。 インド人でも誰であっても、「味方がいると思いたい」心理にインド人がつけ込む。

結果、インドは素晴らしい、ということになり、開発は苦労する。

こういう日本人マネージャーに対しては、何を言ったとしても無駄である。
異論を唱えると、逆にその部下の評価が悪くなるだけである。

評価をちらつかせることにより自分の部下に対しては「インド人が優秀」という評価を対外的にするように強制し、それに合わせない者には「インド人と仲良くやらない人は評価できない」と言って評価を悪くした例を実際に見てきた。 被害者は開発の担当者だ。 マネージャーは、ただ「OK。インド完璧」と言っていれば良いのだから。

もはやインドで孤立奮闘しており、精神的にも参っている日本人マネージャーはインド開発がうまく行ったと思い込まなければ精神的に病むほどに疲れており、それに異を唱えるものならば怒濤のような怒りをぶつける結果になる。 そのような被害にあった部下は、評価も酷いものだ。 パワハラも、日本から遠いインドにあっては証拠もなかなか残らず、伝わらない。 何を言っても、自分が偉いのだから「問題なし」ということにしてしまう日本人マネージャー。

結果、インドの実態はますますわからなくなり、日本からすると「インドは素晴らしい筈なのに、出てくるものは酷いのは、一体どういうことだ」となる。

最終的に、こういうマネージャーは昇格するか、或いは役員であればその成果を認められて退職金をもらって去って行くので最後まで面倒を見ない。

散々、やり放題したあげく、結果、苦労するのは現場、ということになる。

こういう話はよく聞いたし、実際、私が元いた会社でも、担当マネージャは「インドに素晴らしい人材を集めた。インドの優秀な開発部隊を立ち上げた」ということで評価され、実際のところ、開発部からは忌み嫌われていたので営業部へと(一応)栄転した。 同期の中で一番出世したと聞くので、本人は「うまくやった」と思っているのだろう。 その上の役職の人も、実態はあまり分っていないのだろう。 周囲は、とある会社の社長さんも含めて「あんなのが営業なんて、あいつ絶対営業に向いてないと思うんだが」と言っていたが、開発部から追い出されて出世した、というのが本当のところだろう。


当のインド側は、何も気にかけてはいない。

自分たちが優秀だと認めてくれたマネージャーがいるし、そのマネージャーは部長に昇格した。

そんな部長に認められているインド開発部隊は優秀で、日本人の助けなどいらない、と益々自信を深めることになる。


元々大変な状況でコミュニケーションギャップがある状況なのに、それに加えてこういった、インドをネタにして出世をもくろむマネージャーがいるおかかげで状況は更に混迷したものになる。


日本人は根気強い。

だから、本人はインドに仕事を出したくなくてもマネージャーが出せと指示をするので仕事を出さざるを得ない。

それをインドで見ていた私ですが、当のインド人は「前回出した仕事が良かったからまた仕事が来たんだ。俺たちは凄いぞ」と言い出す始末。担当者がそれを言うのならともかく、副社長相当の役職のインド人がそういうことを皆の前で言うものだから、ますますインド人が勘違いする。

結果、インド人が日本人の言うことをあまり聞かなくなり、自分たちの判断の比重が高まってゆく。
インド人が元々持っている「根拠のない自信」が後ろ盾を持てば、根拠のない自信は一人歩きする。

すると、上記の日本人マネージャーは「インドが独り立ちした」と評価を下す。

日本の開発部は「インド人め、好き勝手やりやがって」と不満が益々高まってゆく。
そして、出来上がるものは酷い。 改善の余地は見られないが、何故か「素晴らしい」という評価だけがついて回る。

この状況は、日本人マネージャが昇格という形で追い出されるまで続く。

できの悪いものを「素晴らしい」と評価する人がいなくなった瞬間、全てが明るみに出る。
そして、「一体どうなっているのだ」という巻き戻しが起こる。

発注は一旦全て止まる。


酷いことが明るみになっても、インド人は自分たちの責任には決してしない。
日本人の指示が悪かっただとか、スペック要求に元々それはなかった、などと言うのが常だ。

インド人は、自分たちが優秀で信頼されていたと思い込んでいるため、いきなりの事態に何が起こったのかわからない。

しいては、インド撤退、インド開発部隊の縮小、などという話も出てくる。


インド社会は縦社会なので、まず日本人マネージャーに話を通そうとする。

VIP対応で日本人マネージャーを待遇し、インドに来てもらった人には豪勢なレストランや旅行に連れて行ったりしてもてなす。


だが、日本というのは、最終的な判断は概ね下っ端にあるものだ。

そういう、上にばかり接待をするインド人を見て、益々インド離れが加速する。

一時的にはそういう接待で持ち直すだろう。

だが、そういう接待を横目で見て出世していく若い世代が、騙されてゆくマネージャ、あるいは分っていてそれに乗るマネージャーに共感すると思うのだろうか。 共感するとしたら、自分もまたそれを利用して出世しようとする人が出ても不思議ではない。 むしろチャンスと写るかもしれない。

結果、残されるのは現場に横たわる日本人技術者の屍である。


現場を知らないマネージャーは、日本人技術者がいなくなって、インド人技術者だけになって初めて状況に気付く。

「ああ、こんなに駄目だったのか」と。

だが、その時はもう遅い。日本人技術者は愛想を抜かして去って行った後なのだから。


■開発におけるインド人の位置付けの変化


旧来、インド人の単価は安かったので、言われた通り作るだけの、いわゆる「コーダ」がその役割の中心だった。 そこにおいては、あまり考えることなく言われた通りのスペックを作れば良かった。

時代は変わり、インド人の単価が上がってきた。
会社にもよるが、日本語が話せる中国人より高い単価になる場合もある。
コストにおける、インド人の優位性はほぼ失われた。

コストで優位性がなくなった以上、
マネージャー/経営者は、対外的にその位置づけを否応にも変えざるをえない。

昔: 安いコーダ。 言われた通りに作ります
今: 柔軟に対応できる優秀な技術者。 品質も良いです。 QDCを守ります

マネージャー/経営者がそう言ったところで、肝心の技術者の意識がそうすぐに変わるわけもない。

技術者本人は今まで通り、
・分らないことがあればスペックを作った人のせいにする
・スペックが降りてくるまで手をつけない
と言った運用を続ける。

すると、摩擦が起こる。 仕事を発注した側からすれば 「優秀な技術者の筈なのに、一体どういうことだ」、と。 いちいち聞いてくるような技術者は、依頼主からすれば「手のかかる技術者」であり、単価に見合わなければ「高い」技術者、ということになる。

一方、インド人は自分に200%の自信を持っているので、何を言われようが自分が優秀だと考えている。
いろいろ主張はするが、実態が伴わないこともある。

たとえば、上のような状況下で、とあるインド人が考えている「優秀」とは「言われた通りのスペックに作る」優秀さであるとする。 しかし、それを顧客が求めていたのは昔の話で、今の顧客が求めているのは、あいまいなスペックでも柔軟に対応して作り上げ、メンテナンス性も良く、品質も良い、という、マルチな優秀さだったりする。

意識がまだ昔のままのインド人はその要求に対して「あり得ない」「日本人はスペックをきちんと作らないのが問題」とか言うが、日本人の求める優秀さはそこがポイントなので、もしもその要求に応えることができないのならば、最初から自分たちには何ができて何はできないのか、インド人自ら明らかにしないといけない。

旧来のインド人スペックは以下だ:
 できること:言われた通り作ることはできる
 できないこと:曖昧なスペックを補完する

依頼主の希望: 言われた通りに作るのは基本だが、間違いがあれば指摘できる優秀さ。 曖昧なスペックを補完できる優秀さ。

依頼主の要求と実態にギャップがあればそれを埋める必要がある。
要求に応えることができないのならば、昔ながらの「安いコーダ」に甘んじていればよい。

これはむしろ、技術者本人の問題ではなく、マネージャ/経営者の問題かもしれない。
できもしないことを「できる」と言いふらして仕事を取ってくるマネージャ/経営者がいれば問題だ。


よくある、話の平行線は以下のパターンだ
日本人: どうしてこんなに悪い品質、納期の遅延、コスト増加、などということになったのだ
インド人: あなたたちがスペックをきちんと決めないから悪いのです。 私たちはうまくやっていました。

インド人は「本気」でこう思っている。
その根本にあるのは、上にあるような前提の違いであり、インド人は最初から「言われた通りに作ります」とだけ考えていたのに対し、日本人はもっと上のレベルを期待していた。

多くのインド人の頭には、「今までやっていた以外」のやり方があることに想像力が及ばない。
何を言っても、「俺たちは今までこのやり方でやって来たんだ」と言って譲らない。

ボスが言えば、話も聞いたであろう。

しかし、前のトピックで話したように、よくわかっていないマネージャー/役員が自身の出世のために「おまえたちは優秀」「おまえたちは完璧」とお墨付きを与えてしまっているので、今までやって来たやり方が正しいと信じて疑わない。

よって、周囲の話が本当かどうかも深く考えず、「あの○○さんが認めてくれたやり方が間違っているわけがない」と、益々自分のやり方に疑問を感じない。 酷い状況になると、「そんなことを言うのはおまえだけだ」などという暴言を吐く。 多くの日本人は日本人同士で話をするので、その日本人同士の話で「インド人はほんと分ってないよね」と言われるたぐいのことをインド人に話したとしても同様の反応が返ってくることがある。

多くの日本人は、インド人にきちんと状況を伝えていないのではないだろうか。
それでいて、ようやく一部の人が指摘したところで、「そんなことを言うのはおまえだけだ」などと言われることになる。

立場が分っていないインド人も哀れだが、それに巻き込まれる人たちもまた、被害者のように思える。

これは、前のトピックで話したような「マネージャ/役員の謀略」がなければインド人がここまで勘違いせずに、もっと事態は違っているのかもしれない。

きっと、何事も「最初が肝心」なのだろう。
今までの赴任者が手を抜き、インド人に対して「あきらめ」、更には前トピックのようなマネージャ/役員がよく分っていないインド人たちを無責任に褒めて勘違いさせずに、きちんとコツコツと指摘して根気強く導かなかったのが根本的な原因だろう。 だから、その後の人が苦労をすることになった。


■「あり得ない」と言って現実を否定する日本人社長/マネージャ


思い出したので一つ書いてみよう。

意図的か意図的でないかは微妙なところですが、インド人が驚くことをしでかして、それを報告したとしても「あり得ない」とか「そんなことない」(!)とか否定をする日本人社長/マネージャがいた。

例えば、インド人が進捗を誤魔化していたとする。
まだ実装が終わっていないのに「終わった」と報告して、テストをしながらこっそりと実装していたことがあった。
それが個人で起こることもあったし、チームリーダーが堂々とそれを行っている時もあった。

私が指摘しても、にやにや笑いながら「もうしょうがない」と言って「終わったこと」にして報告してしまうチームリーダーの神経は理解しがたいものがある。 私が誰かに喋らないとでも思っているのだろうか。 実際に見ているからそれは事実なわけだが、そのことを社長/マネージャーに対して言及しても「そんなことない。きちんとチェックしている」と、現実を否定する。

そのような日本人社長/マネージャだったから、その次に引き継いだインド人マネージャも似たようなことを言うようになる。

 「そんなことはない」
 「そんなこと言うのお前だけだ」

この発言の裏を取ったとしても、「うるさい。時間の無駄だ」とか「お前は失礼だ」言って取り合おうとしない。
自分が間違っていたとしてもそれを認めず、誤魔化そうとするインド人。
いろいろ追求しても、ついには「ここはインドだ」と開き直る。

結局、日本の発注元部署のマネージャなりリーダーなりに直接そのことを報告するとインド人に対する激怒が起こり、それを知ったインド子会社のマネージャー一同が大騒ぎする。

やれやれ。
何度も警告したのに、それを無視した結果がこれだよ。 付き合ってられんわ。

あげくは、そういった報告がインドの日本人社長やインドのマネージャーから「裏切り者」扱いされることもある。
「君は、日本本社のためではなくインド子会社のために働く必要がある」
とかもっともらしいことを言ってコンプライアンス違反を推奨してくる。


どうしてこのようなことになるのだろう。

そのためには、インドの文化を理解する必要がある。
インドでは「嘘がばれなければ、それは勲章」であるのだ。
だから、進捗で嘘をつくし、学歴や職歴も詐称する。

これを聞くと、日本人は「そんなことないだろう」と思う人も多いだろう。
そう思うのだとしたら世間知らずにもほどがある。

インド人は嘘つきだらけ。

北インドはばれるような嘘をつく。
南インドはばれないような嘘をつく。

北インドは気性が荒く、すぐにばれる。分りやすい。
南インドは、にこにこして一見人当たりの良い人でも嘘つきだったりする。 分かり辛い。

慣れてくると南インド人の正直者の笑顔と嘘つきの笑顔の見分けがつくようになるが・・・ 最初は難しいだろう。
普通は「いいやつだ」と思って嘘つきを見抜けない。

そんな嘘つきの笑顔を持った人がマネージャなものだから、部下の嘘つきを勲章として見逃すことになる。
そもそも嘘つきをマネージャにしてはいけないのだ。


顔で見分けがつかない場合、簡単な見分け方がある。

自分に利益がない時に親切かどうかを見ること。
その時の顔が普段と違うかどうかを見ること。

これで大体わかる。

自分に利益のない人に対して横暴な態度をするのであれば、その人は役職が欲しいだけであって、一旦役職を手に入れたら暴走する。

会社の関係者以外への態度を見るといい。
ただし、注意深い人は日本人の前では本性を見せないから、結局、この方法も使えないかもしれないが。


嘘つきマネージャーにもそうしている理由がある。部下の嘘つきがばれると、本社のインドに対する印象を悪くするからだ。 だが、嘘はもっと悪い。 それがマネージャーあるいは副社長に相当するようなインド人であれば、会社お取りつぶしになっても不思議ではないが・・・ 日本の会社は甘いのでそういうことは行わないようだ。 ますますインド人が図に乗る。

そうだとしても、結果として品質/コスト/納品がきちんと守れていればいいが、嘘ついて納品するくらいだから品質もさもありなん、という感じだ。


結局、こつこつと細かく見るしかないのだが、日本人社長/マネージャーが横着して「良い会社を作った(筈)」と思考停止してしまったのが全ての根本原因だ。 現実を見ようとしない。 良い会社の筈だから良い会社だ、と思い込もうとしている。

社長/マネージャは「一旦信じると決めたらずっと信じないといけない」と言って、ついには現実をねじ曲げた。インド人は嘘つきなので報告してきても鵜呑みにせずに「チェックをする」ことが大事だが、「信じたい」とか「信じないといけない」という信念が現実をねじ曲げてしまったようだ。

とは言っても、この日本人元社長は鬱気味だったので同情しないこともないが・・・。
鬱ならば、そんな人材に現地会社社長などを任せずにすぐに帰任させるべきだった。
鬱だから、自分で考えることなしに、自分が信じたいことを信じて現実だと思い込んでしまっていたようにも思える。

自分で考えないような社長/マネージャは不要だ。
自分で動かないような社長/マネージャは不要だ。

後に続くマネージャーも、そういう社風を踏襲した。

報告を待っているだけで、現実を自分から見に行こうとしない。
良い報告を受けたら良いが、悪い報告は「そんなことない」と言って現実を否定するようになった。

この社長/マネージャは、自分の目で現実を見ることなしに、以前の上司の評価をそのままコピペして自分の評価にするような人間なので、そもそも「自分で実際に物事を見て、それから考える」という習慣のない人だったのかもしれない。 でなければ、誰かの評価を自分の評価にはできないだろう。 いい学校を出ていたとしても、自分で考えないような人間の下で働きたくはないものだ。

後任で来たマネージャーも、いろいろ説明しても「そんなことないよ」と言って現実を否定するタイプなので、もしかしたら社風かもしれない。 現実を否定したあげく、「もういいの?」とか言って呑気なものだ。 現実を否定さえしておけば問題が何もないのと同じだと思っているらしい。

きっと、インド人の元々の素養に加えて、上記のような「臭いものには蓋をする」社風が拍車をかけたのだろう。 私の上司のマネージャのうち3名に同様の「現実を否定する」素養があるので、社風と言っても良いだろう。

どちらにせよ、こつこつと一つ一つやっていかない限り、物事は良くならない。
それっぽくやるだけで状況が良くなる筈もない。
それっぽい雰囲気作りがうまい人が出世した結果、このような悲惨な状況になった。

状況が良くなる見込みは、当分ない。


■某社にいるインド人の技術スキル



□某社に来る技術者はIT技術者としては中レベル以下
・ITレベルは日本でのIT中小企業と同等
・ITを専門にしていない人も入ってくるのも同様
・機械を専門にしていた人も入ってくる

□噂で聞く「インドの凄い優秀なIT技術者」はほとんどいない
・私の知らないところにいる or いたのかも?
・赴任の条件が「優秀なインド人の下なら良い」だったが、その条件は守られなかった。
・プライドだけが高いだけで使えない、いちいち偉そうにしてめんどくさい、自分が優秀だと思っている、おそらく自称優秀なインド人の下に配属。

当初予定は「優秀なインド人と一緒にプロジェクトを遂行し、日本のノウハウを伝達する」ということであったが、自称優秀なインド人が全く使えないので、結局、私がいろいろしなくてはいけないことになる。 それでいてインド人は自分が全て行ったかのような報告を上に上げていたし、更にはことごとく間違った決断を下すので私が都度修正に翻弄した。

今回の場合、要は「自称優秀」なインド人技術者だったわけだ。
貧乏くじを引いた格好になる。
配属時にそれを信じて私を送り込んだ上司は、一体何を見ていたのだろうかと思うのですが、その話はまた後ほど。

□技術的に学んだこと
全くなし
あえていえば、「インドレベルの品質」を学んだ。
次にインド等、新興諸国向け製品を作る時に役立つであろう


■インド人の仕事の仕方


□整理整頓をしない
東南アジア共通の性質か?
指摘しても「そのままでいい」と言う。リーダークラスでもその意見だから下に浸透するわけがない。その積み重ねが品質低下という結果を招くことを理解していない。いろいろ言うと「お前は立場をわきまえろ」のようなニュアンスで「もう決まったことだ」とか言ってくる。

よって、サポートというあやふやな立場でチームリーダーおよび他メンバーをサポートするのはインドでは難しいように感じた。
次に赴任を頼まれても、同様の立場では引き受けない。
きちんと、担当マネージャおよびチームリーダの上位の地位がなければサポート業務は遂行できない。

□大したことをしていないサポート要員が多い。
単なるチェッカーが多い(某グループの特徴か?)
給料が安いのならばそれでもいいかもしれないが。
マネージャーなんて某社にほとんどいらないのでは。作業者だけがいれば十分な気がする。マネージャーも一般社員にしてコードを書いてもらった方が役に立つ。

□担当マネージャーのプライオリティはQualityではなくDelivery
Qualityのことがあまり分らないのでは?
Qualityのためにはスペックの理解が必要(というのも、品質はコーディングやテスト以前に、スペックに大々的に依存するので)だがあまりスペックへの理解がないように思える。
担当マネージャの現状の仕事は、スケジュールのチェックが主。
日本の本社にお伺いを立てるため、印象の良い人が担当マネージャになっている印象(実力という訳ではない印象)
あまり言ってこないうちはやりやすい
変に思い違いをしてフィードバックされると困る
こんなマネージャーなら、もっと安いチェッカーだけいれば十分では。
担当者だけがいれば十分な気がする。
マネージャーも一般社員にしてコードを書いてもらった方が役に立つ。

□学んだこと
インド人の適当な時間管理を学んだ
インド人の適当なDecisionを学んだ
インド人の性急な判断を学んだ
よく言えば「フットワークが軽い」
悪く言えば「あまり計画を立てない」
プロジェクトでは一応計画を立てているが、内容をわかって計画立ててはいないようだ。


■インド人の考え方:結果さえ良ければ過程はどうでもよい


道理はどうでもいい。結果さえあればいい。
たとえば、お金が手に入りさえすればいい。その理屈はどうでもいい。
極端に見えるかもしれないが本当。

某社のHRのトップのマネージャーと、給料/手当/税金に関する明細が不明瞭だから出すように言った時のマネージャの発言 「You need to be happy if your monthly salary is fully paid without any short comings.」 前後の発言がないと分かり辛いが「給料が全額出ていさえすれば口出しするな」という発言。

「道理に口出しするな」、というマネージャー発言だ。
結局、インド人はこういう考え方。
「おまえが文句言うなら給料払わないぞ」という暴言/脅しとも受け取れるので、私がボスならこのマネージャは確実にクビ。

そもそも、この話は税金の計算の話なので、間違っていたら私がインドの法律に反することになる。
それを、「お前は給料さえきちんともらえていれば他には口出しするな」などと暴言をしても誰も気にとめないのは、インド人だけでなく、それを見張っている日本人マネージャーにも問題があるようにも思えた。


■北インドと南インド、どちらも嘘つきはいる


北インドはわかりやすく騙してくる。
南インドは人なつっこく見えて誠実に見えるが、実は「巧妙に(分り辛く)騙してくる」。

どちらにせよインド人であることには変わりがない。
よく分らないのであれば、インド人を信用しないでおく方が良い。
全員が嘘つきというわけではないが、嘘つきの割合は北インドも南インドも変わらないように思える。

南インドの嘘つきインド人の笑顔に騙されている日本人によくよく話を聞いてみると、「インド人の表情はよくわからない」ということを言ってくる。 そうであるならば、インド人を信用せずにいる方が良い。
よく分らないのに、笑顔だからと言ってインド人を信用しない方が良い。
見極めが付かないのであれば、信頼しない方が良い。

一部には、「信用すると決めたから信用する」と言う人がいる。
ビジネスにおいてはスピードが重要であり、よく分らなくても決断するのはありだ。

しかし、私の知っている人は「信用すると決めたのだから信用する」と言って、思考停止してしまっている。
思考停止はどうかと思う。

そもそも、「決めた」という言葉には「確信」が足りない。
本当に自分で納得していないのに決めたのだということに自覚があるのであれば、その決断が本当に正しかったのかどうか見極めるモチベーションが働くはずだが、どうやら、某社の元社長はそこには興味がなかったらしい。

もう決断を下したのだから、ということで思考停止をしてしまった。
インド人はそもそも油断ならないのに。最初は良くても、途中で不正をすることは十分にあり得る。
その監視を怠ってしまった。

やがては、もめ事があった時に、本当は部下が正しかったと自身が認識しているのにもかかわらず、「○○マネージャを信じると決めたのだから、○○マネージャの決断を採用した」と言って、正しいことを曲げてまで嘘つきインド人を擁護した。 そして、本当は正しかった部下を「間違っている」とした。 これは行き過ぎだろう。

このことにより、某社には、嘘つきであってもボスが正しい、という実績ができてしまった。
自分の正しさが証明されたと思っている○○マネージャは、勘違いを加速させてしまった。

結果、その時やり合った部下(インド人)は競合他社に転職してマネージャーに昇格し、今はかなりいいポジションにいるらしい。
どちらが正しくて優秀だったのか、傍目には自明であるのに、間違いを正しいとしてしまったが故に優秀な人材を失い、嘘つきマネージャーが昇格した。

インド人に嘘つきはいるが、優秀で誠実なインド人もいる、という例でもある。


■インド人の性急な判断


これはインド人に限らず、日本人でもあるだろうが、その頻度が違う。

具体例を挙げる:

週末の休みの日に皆でリゾート(というと語弊があるが)に昼間だけ遊びに行く予定をマネージャが立てた
アナウンスしたのは10日前
こんな急に言われたのならば、既に予定がある人もいるだろう
結局、あまり人が集まらなかったようで、インド人マネージャから「お前ら、どういうつもりだ。リーダークラスやマネージャは立場をわきまえろ」という苛ついたメールが届いた。

インド人ならこれでも問題ないのかもしれない。
そもそも、土日の任意参加のイベントについてどうこういう神経が理解不可能
某日本人社長は「あいつの判断だからな」と言ってスルー

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インドではしょっちゅうこういうことがある。
1つ1つ取ってみると日本でもあるかもしれないことだが、頻度が違う。


■情報を共有せずに仕事を進めるインド人


情報を共有しようとしないチームリーダー。
スペックを理解できないチームリーダー。
内容をメンバーに説明できないチームリーダー。
スペックを理解しないまま仕事をメンバーに振るチームリーダー。

それでいて、本人は「とてつもなく優秀」という触れ込みである。 このような、自称優秀、あるいは、どこかの小さなグループにおいて優秀と称される技術者がたまに発生する時があるが、今回はそれが顕著だ。

結果、複数メンバーから「どうしてだ」の質問が山のように来る。
それに対して、いちいち偉そうにインド人リーダーが答えるのを散見する。
普通に答えればいいものを、何故、本人も周囲も疲れるようなやり方しかできないのか。
それよりももっと良いのは、あらかじめ情報を開示することだ。
何故、「とりあえず仕事を振る」というやり方しかできないのか。
必要な情報を「説明する」という手順が決定的にかけている。

そんな感じで不明瞭な仕事の振り方を繰り返した結果、メンバーが数人会社を辞めてしまった。

この、「説明をしない」というのは社風なのか、或いは、インド人に特有なのか?

仕事を振る時に、スケジュールだけがあって説明がほとんどない。
それでいて、質問があれば上のような疲れる受け答えが待っている。

インド人は権威主義的なので、「命令する際にその背景を知る必要はない」、という基本的な考え方はインド人の共通認識として存在するように思える。 ソフトウェア開発においては、指示通りに作ればよいという状況はまれで、背景を知らなければ全く違ったものに出来上がってしまう代物である。 そんな分野でインド人のやり方で進めたものだからうまくいかなかった、という説明には一理あるように思える。


■「自由」に価値を置かないインドの文化


自由とは選択できることである。
しかし、インド人は「自由(選択できること)」に価値を置かない。

全て命令かつ一元的に物事をすれば全てうまく行くと思っている。

仕事だけに限らない。私生活においてもそうだ。

危険なことがあったとする。
例えば、自転車に乗るとかオートリクシャに乗ることを、禁止して物事を終わりにする。

「自由」に価値を置かず、危険だから「禁止」をする文化。少しでも危険なことがあると全て禁止にする。

自動車がボロボロで腰が痛いと言うと、他の車に変えるのではなく「それならば、使うな」という文化。
値段が同じであっても変えようともしない。

契約期間が半年など過ぎて他の車に変えることも出来た筈だが、何度要求しても無視して「うるさい。話すのは時間の無駄だ。命令に従え」という文化。

これがインド人。

インド人マネージャの下で働くのであれば覚悟した方が良い。
インド人マネージャは、自分より役職が偉い日本人の言うことは「ぺこぺこ」してVIP対応で望むが、自分より役職が下の日本人に対しては見下して命令する。

こういうことを書くと「インド人はそういう人ばかりではない」と言う人がいるが、それはその通りである。
私の環境ではこうだった、というだけのことである。

「ちょっと」工夫すれば物事がスムーズに進むのに、それをしようとしない。
選択肢がいろいろあるのに、その中でも微妙な選択ばかりをして、他の選択が出来るのにそれをしようとしない。その選択は自分で勝手にしてしまい、個人に選択をさせようとしない。

例えば、車などは次の契約期間にちょっと変えれば済む話なのに、その一手間をしようとせず、適当に決めた車を押しつけてくる。 いろいろ言うと逆にパワハラで「にやにや」しながら嫌がらせをしてくる。

その「気持ちの悪い、見下した目つき」は、インド人マネージャの下にいたものでないと体験することはないだろう。何故なら、大抵の場合はインド人は自分より上の人にはぺこぺこ&ニコニコするので、普段はそういう姿を見せないからだ。


最初からこういう態度だったわけではない。

日本人社長からインド人社長になった瞬間に全てのインド人マネージャの態度が一変した。
「やったぜ」という顔や、「くっくっく」という気持ちの悪い笑いをこらえたインド人の姿を多く見た。

最初から、これを待っていたのだろう。そして、ようやく会社を丸ごと手に入れた。
もう手に入れたのだから、日本人は不要である。出て行ってくれればいい。
後は、適当にパワハラなり不便なルールを作ってそれとなく嫌がらせして日本人に出て行ってもらえば良い、というのが見え見えである。

その一方で、日本人マネージャや本社の部長たちには献身的にニコニコVIP対応を欠かさない。
その点、徹底していて素晴らしい(皮肉)と思う。

キックオフミーティングで新インド人社長が「この会社はこれから、インド人のためにインド人のための仕事を行う」と言ってのけるのだから、もう勝利を宣言したも同様だろう。

そうしてインド人のための会社になり、インド人のやり方に置き換えるのであれば、そこに「自由」などいらないのだろう。
部下は命令したことに従えばよく、自由などいらないのがインド人のやり方。

もしもこの背景が自由どうのこうのではなく、単なる嫌がらせだったとしても、どちらにしてもこのインド人の性根が腐っていることには違いがない。おそらくインド人一般に言えるのが自由に重きを置かない文化であり、このインド人はそれに加えて嫌がらせが入っていた、ということかもしれない。

当然、こんな状況を黙って見過ごすわけもなく、一旦会社潰すとか吸収合併という話もなくはないが、それはは経営判断であり、ここに書くようなことではないので省略する。 インド人社長やマネージャの抵抗があるとうまくいかないことが多いので、なかなか進め辛いのは確かだ。

参考までに書いておくと、商社などはたまに会社を潰して作り直したりする。 それはきっと、このように社長やマネージャー、および使えない社員を一掃して従業員と業務を移すのが1つの目的なのかもしれない、と今は思う。 表向きはきっとそうは言わないであろうが。


■過去の赴任者がインド人に対して「あきらめた」功罪


過去、何年も立ち上げに日本人がインドに赴任し、立ち上げを行ってきた。
その話を見聞きする機会が多分にあったわけだが、多くの赴任者の過去の評価はこうだった。

・インド人は「わからない。これでは作れない」と言ってやってくれない
・インド人は動かない
・インド人は使えないから、仕方なく自分で夜遅くまで頑張って仕事を終わらせた
・インド人に対する文句を日本人同士で言い合う。「インド人使えない」

複数人の赴任者の態度がこうであったが故に、インド人に間違ったメッセージを送った。

・日本人は、夜遅くまで 「文句も言わずに」 しっかり仕事をしてくれる

実際は日本人同士で文句を言い合っていたわけだが、インド人には言っていなかったようです。

それでいて、私が過去の赴任者が歴代に渡って言っている問題点をインド人に対して指摘すると、当のインド人は 「そんなことない。 そんなこと言うのお前だけだ」 などと、まるで私だけが特別なことを言っているかのように反発し、「お前は他の赴任者と違う。君のような働き方ではインドでは通用しない」 などと批判し出す有様。

おいおい、待てよ。 過去の赴任者がいろいろ指摘していたのは事実だし、インド人のことを私以上にぼろくそに言っていた過去の赴任者は、実は当のインド人と表面上はうまく仲良しでやっていたらしい。 それでいて、組織の立ち上げを任された過去の赴任者が、とても大事なフィードバックを当のインド人に対して行っていなかったのであれば給料泥棒だろう。

評価をインド人に対して正確に伝えることなく、日本人のお得意である、社交辞令で「 Good Job (よくやったね)」 とか、「Perfect (完璧だね)」みたいなことを過去の赴任者が無責任にも多発していたらしい。

赴任者だけならともかく、日本のマネージャも適当なもので、よく分っていないと日本語で公言しているのにもかかわらず、英語では「Very Good」とか言うから、ますますインド人が勘違いする。 「Very Good」とか本社のマネージャに言われたならば、全社メールで「こんな素晴らしいことがあったぞ」と言いふらすありさま。 社交辞令の発言だし、本気ではないのに。 これは、安易な発言をした日本人マネージャも悪いのだが。

そこで、私が駄目なところを指摘すると 「そんなことを言うのお前だけだ。俺たちは素晴らしくうまくやっている。○○さんも○○さんも褒めている」 などと、言葉を言葉通りに受け取ってしまっていて、聞く耳を持たない。

どうやら、日本人マネージャーも過去の赴任者も大してインドに対して期待しておらず、とりあえず自信付けて成功体験を積み重ねないとだめだな、みたいなことを思って褒めまくったことがあったらしい。その習慣が今もある程度続いているようだ。 とりあえず褒めておけ、みたいな。

それを真に受けて、「もう俺たちは完璧」だと勘違いをしてしまった。
もはや聞く耳を持たない。
元々自信満々なインド人が、褒められでもしたら更に自信満々で聞く耳を持たなくなるのも当然と言える。

とは言っても、プロジェクトを進めて私などと付き合うにつれ、「俺たちインド人は、思っていたより優秀じゃないようだ」 と気付いてくれたようなので、そこは多少改善したようだが。 気付いたとしてもそれを認めることのできない、頭が根本的に悪いインド人も多い一方で、現実を受け止める謙虚なインド人もいることは気にとめる必要がある。

それにしても、過去の赴任者はインド人組織の立ち上げを任されていたのにも関わらずインド人の勘違いを増長させたのでは、次に来る私のような人が苦労することになる。 原因はやはり、過去の赴任者がことごとく「インド人、あいつらほんと駄目だよ。使えない」と、「あきらめて」いたことにある。 だから、インド人に対する発言も適当になった。

如何にあきらめていたのかは、以下の言葉でよくわかる。
「インド人が辞める? インド人はすぐ辞めるよ。 気にするな。ほっとけ」
あまりインド人に期待せず、如何にあきらめて子供扱いしていたのかが、この発言でよくわかる。

いたずらに褒めれば勘違いが増長し、褒めなければ辞めたり仕事を放棄する。
確かに、場当たり的に褒めて仲良くやっていればその場は何とか過ごせるかもしれないが、きちんと1つ1つコツコツと見て指摘していかない限り、組織は良くならない。
過去の赴任者が指摘を辞めて褒めまくった結果が、今の組織だ。

その後、前に書きましたように、インドをネタにして出世をもくろんだ日本人元社長/マネージャが赴任して、劇的に改善したということにして、見た目だけ繕って中身はぼろぼろ、という悪循環が生まれた。
コツコツと改善することを評価しない組織にも問題があるのかもしれない。

昔の赴任者は、「どうしてそんなに劇的に良くなったのだ?」と不思議がっていたが、何のことはない。 現実に目を瞑って良い評価を与えただけのことだ。 一向に良くならないから日本人から諦められて、やがては出世ネタのために「優秀」という偽りの評価を与えられて、実際の姿とはうらはらに自信だけが増長したのだが、実際はボロボロだった、ということだ。

悪いところを改善しようとすれば「そんなことはない」と否定して自分たちが優秀だと思い込むインド人には付ける薬がない。

根本を辿れば、改善を「あきらめて」しまった過去の赴任者にその責任がある。 そこでコツコツとやっていさえすれば、インドをネタにして出世をもくろむ日本人がやって来たとしても、ここまで事態は悪くならなかったように思える。

そもそも、インド人を社長にしたら暴走することは予想できた筈で、私が赴任前に日本のマネージャにも警告したことがある。 数年前に「インド人を社長にしたら暴走しますよ」 と言ったら、「いいじゃない。暴走させれば」 と、まるで他人事。 その背景としては、そもそもインド人がイマイチなので、お取りつぶしにする前に本人たちにできることを最後までさせてあげよう、という魂胆があったのではないかと推測する。 上記の背景のニュアンスも、「もう、あいつら使えないのだから、暴走でも何でもしてみた方が事態が好転するかもしれない」という、半ばあきらめの境地にあったように私には思えた。

更には、とあるマネージャにいろいろ訴えたら、「あまりくだらないことに体力使っても仕方がないぞ」と、まるで興味なくスルーされたことがある。 貴方のような権限のあるマネージャーが無関心でいたからこうして現在赴任しているメンバーが苦労しているということを訴えても状況を理解しない。 少しでも関心のあるマネージャなら状況を知ろうとするものだが、上の発言からも見て取れるように、そもそも興味がないらしい。 そうした無関心なマネージャーおよび過去の赴任者が、現在のインド子会社を育ててきたと言える。

周囲が諦めた結果、本人たちは完璧と勘違いをするようになった。  言い換えれば、インド子会社は子供扱いされていて、何をしても「素晴らしい」と周囲が褒めてくれる環境にあった。 なので、自分たちの選択が全て許されていると思ってしまった。 未だ経過観察期間であることに本人たちは気付いておらず、既に勝利を確信している。 それを見て自分の出世のネタにした前社長が、インド人の手に余す「会社」というおもちゃを与えてしまったことになる。 自分が出世した後の会社がどうなっても関係ないのだろう。 口では「自分が育てた会社だからかわいいし気になる」とか言うが、よくそんなでまかせをひょうひょうと口に出せるものだ。 最後まで結局面倒を見ない、骨を埋めないような人は何とでも言える。 

今まで書きましたように、インド人を出世のネタにした日本人元社長や、気付いていても止めなかった、既にインド人を諦めているマネージャなど多くの要因があってこうなったわけだが。

自分が苦労しないで済む立場ならば何でも言える。 自分は安全なところにいて、もっともなことを喋っていればいいのだから。 逃げ切ってインドからわずか3年で帰任になり、部長になれたのだから本人は満足だろう。 その影で、インド子会社がどうなっても、もはや知ったことではないだろう。 本当の姿を知らないのだとしたら無能だから罪は軽いが、知っていて嘘をついているのならば罪の重い悪人だ。

そうした環境で、インド人が自由にできる環境が出来上がってしまった。

しかし、結局、自由にさせてもなるようにしかならないということ。
それに、たまに繰り出す大きな対策で一気に好転することはなく、地道に関わってゆくことなしに物事は好転しないように思える。


■ごにょごにょごにょ、とまくし立ててたあげく、誤魔化しが成功すると「にやっ」とするインド人


インド人が物事をごまかす時は、とにかく早口でごにょごにょまくし立てる。 日本人が質問をしようとしても、その質問を遮るように早口で何度も何度も喋り続けることも多い。 最初の質問を日本人が忘れてしまうまで早口は続く。

その早口で日本人が混乱し、「ん?」という表情をして日本人の口が止まると、インド人は「にやっ」とするのが定番。 「よし、ごまかせたぞ」と思っていたり、「しめしめ、これで一件落着だ」、とでも思っているのが「にやっ」という表情から見え見えなのだが、当のインド人はこれで解決だと思い込んでいる。 その表情は見ていて気持ち悪いのだが、当のインド人はそれが笑顔だと思っている。

「にやっ」とした後も間髪入れずにインド人は早口で次の話題に切り替えたり、あるいは、当の話題ではあるがインド人が「こう思って欲しい」ことを早口でまくし立てる。

日本人からすると、「なんて使えなくて訳のわからないやつだ」ということになるのだが、インド人からすると、「これで解決」と思っている。 これは、インド式の「優秀」な人材だ。 物事を誤魔化すのはインドでは一つの習慣だからだ。 「わかった」と言って放置したり、「やる」と断言しても放置する。 早口でまくし立てて誤魔化すのはインドでは普通のことだ。

こういう胡散臭いインド人は昇格させない方が良いのだが、何故か私がいた会社はこういう口ばかりのインド人が多く、多少は昇格してしまっている。 それがリーダーなんてした日には、バグが出ても認めずにぺちゃくちゃぺちゃくちゃまくし立てて誤魔化し、日本人が「なんだこいつ。もういいや」と相手にしなくなると、それをどう勘違いしたのか 「よし。私の主張は認められた」と思うのだから困ったものである。

「もういいや」と諦める日本人は大抵、日本から仕事を発注している。
次はインド人に発注しなければいいのだと思っていても、マネージャーはインドを使うように指示を出すので仕方がなく出している場合がほとんどである。

当のインド人は前回のいいわけをそれ以上追求されていないことをいいことに、前回は自分が成功したのだと200%思い込む。 日本人からすると、「またこの使えないインド人と仕事しなくてはならないのか」と嫌々ながらやっていたとしても、インド人からすれば 「前回これでOKだったのだから、今回もこのやり方で仕事をすればいい」 と自己正当化する。 その正当化のためにごちゃごちゃ言って誤魔化したのか、あるいはきちんと承認を取ったのかどうかはインド人には関係ない。 前回認められたのだから今回もそれで行けばいいと思っている。

そんな状況で「それではダメだ」という指摘をインド人にしてあげても、当のインド人はそれを聞き入れず、「俺たちは今までこのやり方でやってきたんだ」と自己正当化する。 改善には興味があまりないようだ。 それよりも、自分たちが思ったやり方で納期までに完成させればいいと思っている。

前回も今回も、おそらくこれからも、インド人は「こいつらダメだ」と思われて仕事をもらっていたことを当のインド人は理解していない。

とてつもなくダメだから、少しづつ改善しようと指摘事項を送ったところで、当のインド人の態度が上のように「今までこのやり方でやってきたんだ」というかたくなな態度では、日本側も困ってしまう。

2つポイントが挙げられる。

・最初が肝心、ということ。
・改善することをあらかじめスケジュールに組み込むこと

インド人は、とにかく前例を作ろうとするようだ。そして、それに倣おうとする。 最初に、ごにょごにょまくし立てたり、半分騙してでもいいから相手を「OK」と言わせる。 そしたら、インド人からしてみたら「しめたもの」だ。 次からはそれをわざわざ変えようとしない。 これが基本的な態度。

その性質が分った上で、「今までのやり方は完璧ではない」という共通認識をあらかじめ作っておくことが肝心。 そして、改善することをあらかじめスケジュールに組み込むこと。

とは言っても、インド人はプライドが300%なので、改善なんてものはあまり受け入れないと思った方が良い。

改善を受け入れない態度が、下っ端メンバーだけならばまだいい。
なんと、チームリーダークラスが堂々と「どうして今までやって来たやり方がダメなんだ」と言う。
そんなチームリーダーだけならばまだマシかもしれない。 マネージャーまでが堂々とそういった発言をする。

マネージャーの一部だけならばいい。
マネージャーの、納品担当のトップですら同じようなことを言って日本を困らせる。

日本側からすると、「一体、どこのどいつがそんなことを許したのだ」となるが、当のインド人からしてみたら知ったことではない。 「日本人はいつも変な要求をしてくる。勘弁してくれ。 そんなのじゃ開発できない」 とか、上級マネージャーが発注元に文句を付けるありさま。


この上級マネージャーは、日本からの評判がすこぶる悪い。
話のすり替えはするし、ごちゃごちゃまくし立てて話を誤魔化そうとする。
それでも、インド側からしたら駄目なプロジェクトでもとりあえず納品まで話を付けるので役に立っているようだ。

本来であれば、
話を誤魔化すようなインド人は、いくら頭が良くても昇格させてはならない。 癌になるだけだ。

この上級マネージャーにしても、どうしてこんなのがマネージャーなのかと不思議なくらいだ。


これには背景がある。

昔、会社運営がうまく行かなくて、会社を潰そうと考えたことがあるが、とりあえず何人かを試しにマネージャーにして、インド人たちでどれだけ出来るか試してみよう、となった時に「たまたま」そこにいたからマネージャーになった人が今でもマネージャーを続けていて、その中で一番口達者だった人が上級マネージャーに居座り続けているというだけのことだ。

会社では、能力ではなく先に居た者が出世することがよくある。
これは、その典型例だろう。

能力のない者が上に立っても会社はうまくいかない。
これは、その典型例でもあるだろうう。

マネージャーはほとんど役立たずだが、若者には見所のある人がいる。

いっそのこと、会社を一旦畳んで会社を作り直し、マネージャーを一掃した方が良いと思うのだが、日本のマネージャー集はそうは思わないらしい。

実は社長にも似たような癖があって、よく「にやっ」としているのを見ていたので胡散臭さを感じるが、それでも社長はある程度話が通じるので、上級マネージャーほど癌にはなっていない。 でも、個人的意見を言うならば、こうして誤魔化す癖のある人間を社長にしてはいけないと思うのだが、現状の人事は私の判断ではない。

もう私が離れた会社なので、あとはよろしくやってくれればいいと思う。


■「やる」と言ってその場を取り繕い、実際には実行しないインド人


これも、よくあること。
口先ばかりのインド人がマネージャーおよびリーダーになってしまった某インド子会社ではよく見る姿になってしまった。

日本側は内面で怒っていてもあまり言葉や表情に出さないので、インド人たちは「うまく取り繕った」と勘違いし、更には、自分たちが成功したと思い込んでいる。

そういえば、こんなことがあった。

インドの品質が最悪で、1つバグを直したら5つバグを新たに作るような状況だった。
それを取り繕うために、「今週末はメンバー総出でテストをし直して、来週空けまでには報告します」とインド人が言った。

日本側はその発言で一端は怒りを収めたが、週末が過ぎても全く報告も何もなかったものだから日本側は怒り心頭に達するが、インド側はのほほんとしたものだ。 「何をそんなに慌てているのだ?」と、まったく状況を理解しない。

日本側は大騒ぎだが、インド側は状況を理解していないし、うまく取り繕ったと思っている。

インド側は「します」と言ったものの、インドのニュアンスとしては「できる限りテストしてみますよ。挑戦(Try)してみますが、出来ないことももちろんありますよ。でも、やってみます」という意味合いで「します」と断言したのだ。

そして、出来なかったのだから、報告もなかった、という次第である。

日本側は、インド人が「する」と言ったのにしないものだから怒る訳だが、インド側は「まったくもう。挑戦してみて駄目だったんだから仕方がないでしょ。 何いろいろ駄々こねてるの。 日本人はまったくうるさいなあ。 これだから日本人は、まったく。 」 と思っている。

これは、端から見ればジョークのように思えるかもしれない。
また、インド人を知らない人からしてみたら 「そんなの偏見だ。そんなことないでしょ」 と思うこともあるだろう。
しかし、この状況は事実であり、インド人がこういう性質だということを知らないのだとしたら、それは世間知らずである。


余談になるが、インド人はよく働く、と社内では報告がされている。
それはどういうことかと言うと、夜遅くまで頑張ったり、週末もよく出て働く、という意味合いにおいてだが、その一方で、インド人はよく休む。

祭りのシーズンになると、田舎に帰って祭りを楽しんだり家族と過ごすため、まる1週間から長くて10日ほど休むことが当たり前になっている。
突然の休み(体調不良、用事など)も頻繁にある。

週末の就業についても、私が「頑張っているなら、ちょっとは状況見てあげないとな」と思って週末に出てきてみれば誰もいなかったり、いても数人。 いる人も、午後になったり夕方になって来る人すらいる。
そもそも、週末に来るように言った本人すら来ていないことすらある。
いくら「週末頑張っている」とレポートしたところで、実態が伴っていない。

これらのことを考えると、「インド人はよく働く」というインド人自身の報告は疑問だ。
きちんと就業時間をカウントせずに、印象だけで報告しても意味がない。


・・・・とまあ、そんな状況で、先に書いたように「テストします」と言ったところで、メンバーが「わかった。出来るだけ頑張ってみるよ」という意識でいるので、結局テストなんて実施できなかったのだろう。

実施できなかったのならば「出来ませんでした」とレポートすればいいのに、それすら報告しようとしない。 何も報告せずに、日本側が待ちぼうけしたこともあった。 指摘すると「出来なかったものはしょうがない」とか言い訳をして、自分が何をしなくてはいいのか分っていない。 マネージャーやリーダークラスですらこの程度だ。

この種のいい加減な物事の扱い方は、インド社会の縮図そのものだ。
インド社会では、「分った。やってみるよ」というと、「トライしてみるが、出来ないこともある。明日は明日の風が吹くので明日になってもしも覚えていて気が向いたらやってみるよ。出来なくても気にしないでね」という意味になる。

はっきり言って、インドの一般社会ではそれが普通で通用しても、国際ビジネスでは通用しない。

こういったことを指摘しても、インドのマネージャーは「ここはインドだ」とかのたまう始末。
更には「俺はマネージャーだからお前の意見は聞かない」という、自分の頭で物事を考えない、物事の道理を理解しない、性根が腐っているインド人もいる。
物事の道理が通っていなくても、自分に権限があるのだから自分が決めたことであればそのまま通用すると思っている。

私が、そういう役立たずで強情なインドのマネージャーは癌だからクビにするように言っても、日本の本社は理解しない。 「クビとかじゃなくて、もっと他の方法を探せ」 と本社は言うが、インドの強情な人材にはいくら言っても無駄なのでクビしかないことを本社は理解しない。

マネージャーがこの程度なら、リーダーもそれに倣うだろう。
メンバーもそれに倣うのも時間の問題。

私をマネージャーよりも上の役職にしようにも、既にインド人が現地子会社の社長になってしまっているので人事権はインド人の手にある。 この社長もくせ者で、「インド子会社が必要な人材はこちらで本社に要求したい」とか言っている有様。 本社側は、こういうことを聞く度に対応に困るわけだ。 なんでこういう、本社の意向を無視するようなインド人を社長にしたのか? という意見は当然出る。 だが、一旦任命してしまった社長を辞めさせるのはインドの法人である以上、なかなか難しいものだ。

社長を辞めさせるために裁判をしたところで数年はかかる。
しかもインド法人なので判決がインド側に傾く事例は多くある。

そのような状況で、
社風に染まっていない若いメンバーにせっかく「あるべき姿」を教え込んでも、マネージャやリーダがそういう物事の扱い方をしていたら、「どうしてそんな風にしないといけないの?」という疑問が若いメンバーに生じてしまい、教育にも支障が生じる。

それにしても、
ちょっと優秀な人材が揃っているところであればこんなことにはならないはずだが。

最終的に、日本側に呆れられてプロジェクトの発注が来なくなっても「どうして仕事が来ないんだ」とか言う有様。 そこに対して、(上に書いたように)「君たちは、自分が言ったことを実行しないので、信用されていないんだよ」と本当のことを言ってあげると 「傷ついた」 とか言って落ち込む有様(苦笑) 精神的に子供なのだろう。 なかなか扱いが難しい。

自分で約束したことはきちんと実行してくれればいいだけの話なのだが。
その当たり前のことが、インド人には難しいらしい。

日本人が何か言っても、インド人は自分たちの現在のやり方が正しいと信じている。
昔の仕事で発注元が「もういいや」と思って「わかったわかった。それでいいよ」と諦めて放置してしまったが故にそのいい加減な仕事のやり方が「事例」として残ってしまい、指摘しても「どうして今までやって来たやり方じゃだめなんだ」とすら言い出す始末。

いろいろ説明しても、マネージャーがまず受け入れないから、チームリーダーも受け入れない。
「最初が肝心」であるし、それ以上に、理解して自分で考える能力のない人材がマネージャーをしているので話が全然進まない。

マネージャーに指摘しても、「ここはインドだからインドのやり方じゃないとうまくいかない」とか、一見すると利にかなっているような発言をするものの、その実は「俺たちの適当さのどこが悪いんだ」という、自分たちのできの悪さを正当化するための詭弁に過ぎなかったりする。 こういう詭弁を使うような人材を昇格させては駄目なのだが。

日本にそういう駄目なマネージャーを首にしろと言っても、そのようなマネージャーは前のトピックで書いたように「インドが素晴らしいと嘘の評価することで自己の出世のネタにした日本人マネージャー/元社長」のせいで、対外的には「素晴らしく優秀なマネージャー」ということになっているから、日本側のマネージャーに言っても、そうそう簡単に理解されない。 本人たちも、上記のように「元社長からのお墨付き」があるから、ちょっとやそっと言われたくらいでは「何をお前は言っているんだ」という態度で「ふふん」っと鼻で笑っている。

結局、日本人マネージャー/元社長が詭弁でのし上がり、それを踏襲したインド人マネージャーが詭弁を使っている、という構図のように思える。

踏んだり蹴ったりである。
結局、そういう詭弁を使う日本人マネージャー/元社長のおかげで苦労するのは現場の人間だ。

別に、難しいことは言っていない。
「自分が言った約束は守れ。 できないなら放置せずに報告しろ。」
「インド式の Tryしてみます はやめろ」
「インド式の Tryしてみて、出来なければ忘れてしまって報告もしない、というのはやり方を改めろ」
という、ごくまともなことを言っているだけのつもりですが、こんなことすら、インド人には理解できないらしい。

こういう話になると、何かに付けて、ごにょごにょ言い訳を言いまくって話を誤魔化して「これでいい」ことにしてしまうインド人。 やがては「お前はうるさい」とか「そんなことを言うのお前だけだ」とか言い出す始末。

日本にいる日本人の多くが同じようにインド人に不平不満を言っていて、同じことを言っているだけだが、そのことを他の人はあまり伝えていないらしい。 逆に、お偉い日本人が日本式の社交辞令で「うんうん。凄く頑張ったね。よくやった」とか言っているものだから、インド人が益々勘違いする。 インド人は「ほらみろ、俺たちは凄いんだ。優秀だ」と勝手に思って、思うだけならともかく、それを口に出してミーティングで得意顔をしているが、当の日本人に話を聞いてみると「インド人は駄目だね」と言っている。

このギャップが生じる他の原因は、前のエントリで書きましたように、ほとんどの日本人はインド人に対して「諦めて」いるので、特に何も言おうとしないから広がるばかりである。 多くの日本人は、インド人が勘違いするなら勝手にさせておけ、という立場である。

そんな状況で、私のような人が現地に赴任していろいろ指摘すると、いちいち「どうしてだ」とか「今までこんなこと言われたことなかった」とか反発および、明らかな「苛立ち」と直面する。

前のエントリに書きましたように、今まで長年関わってきた過去の赴任者およびインドに仕事を発注してきた日本人、インドをネタにして出世を目論んだ元社長、そういった過去の積み重ねがインド人の勘違いを作り上げており、もはやその勘違いは修正不可能なところまで来ているように感じる。

ただ、プロジェクトを私と一緒にやって来たメンバーは私などと議論するにつれて「俺たちインド人は、思っていたほど優秀じゃないかもしれない」と思い直し始めたのは良い兆候であるが。 良い兆候とはいえ、インド子会社が出来てから7年。 それに気付くのが遅すぎるよ(苦笑)

こんな状況を放っておくなんて、今までの赴任者は一体何をやっていたのだ、とつくづく思う。

多くの人が、一番簡単なやり方をしてきた。「褒める」という簡単なやり方だ。
褒めるのは、時と場合による。
きちんと見て褒めるならば良い。
しかし、盲目的に「もうどうでもいいや」と思って褒めまくった結果、勘違いを増長させることになった。
それでも、多くの人は「インド人なんてどうでもいい」と思っているので、気にもとめていない。

そして、後任者が過去の赴任者のツケを払うことになるが、そうして持ち直したところで、周囲からすれば「優秀なインド人と仕事をしただけ」に見えなくもないので損な役割である。 実際は、本当に駄目なインド人を何とかして持ち直しつつあるところなのに、口ばかりの人材が適当なことを言って昇格していては組織として「疲れ」が貯まってゆくだけだ。

いろいろ書いたが、日本人の中にもしっかり部下を見れる人も多く居る。
相手がインド人であろうとも状況をしっかり見れる人もいる。

私がいた環境が、たまたまだったのか、或いは、多くの場合がこういうものなのかは事例が少なくてその判断は保留するが、少なくとも、私の周囲ではおかしなことが多く起こっていた。


■品質が良くなるフレームワークを考えるのではなく、出来るか出来ないかで思考が止まる


如何に品質が良くなるかやり方を考えて議論していると、
インド人は「こうすればできるじゃないか」と言って安易な方法を取ろうとするのが常。

議論のポイントが合っていない。
こちらからすれば出来るなんてのは当たり前のことで、品質およびメンテナンスの容易さまで考えるのが常識なのに。

インド人にしてみたら、「こんな簡単なことをいちいち考え抜く日本人たちは頭が悪い。俺たち最高」と思っているようだ。

そして出来上がってみれば品質がボロボロでデグレード(出戻り)しまくり。

いろいろ指摘しているのに、インド人マネージャおよびリーダーは自信300%なのでインド人たちのやり方が最高だと思い込んでいて、話を聞こうとしない。

それもこれも、前のトピックで書きましたように、「インド人に対して諦めた過去の赴任者」「インド人に興味のない日本のマネージャ」「インド人の仕事にうんざりして、とりあえず褒めておけばインド人が満足」と思い込んで褒めまくった日本の発注部署がインド人を勘違いさせ、結果として、周囲の人の言うことを聞かなくなってしまった。

前にも書きましたように、このような状況に加えて、インドを出世のネタにして「インドの優秀な部隊を作りました」と事実無根の評価をでっちあげて自分は逃げ出した過去の元日本人社長が状況を更に最悪にした。

元社長がそんなだから、インド人マネージャも冗長して「君、インドに来たらインドのやり方に合わせないと、君のようなやり方ではうまくいかない」とか言い出す始末。 おいおい、お前何様のつもりだよ。 お前みたいな、状況が把握できていないインド人マネージャーは普通のまともな企業ならばクビなんだよ。 品質が悪い原因はお前にも一員がある。 現場を見ずに偉そうに机に座っているだけの役立たずマネージャがいるから現場が勘違いして「これでいい」と思い込む。 結果として、最終的にはそのマネージャーとの仲は険悪になったが、なるべくしてなった、という感じだ。

私が関わったプロジェクトではプロジェクトリーダーがそれなりに状況をきちんと見る人だったのでプロジェクトリーダーの方から指摘してもらえたので助かったが。 インド人マネージャは今まで凄くうまく行っていると思い込んでいたのにプロジェクトリーダーからぼろくそに指摘されて落ち込んでいた。 なんだかなあ。

結果として、プロジェクトがいくつか引き上げになって、インドの仕事が減った。

インド人たちは状況が分かっていないから、「なんで優秀な俺たちに仕事が来ないんだ」とか、とぼけたことを言っている。 何言ってるんだか。 お前たち、自分たちがどれだけ駄目かを分かっていないから仕事が来ないというのに。

現場はある程度「俺たちは実はあまり優秀じゃないかも」と気づき始めているのに、マネージャたちが全然分かっていない。

マネージャーの判断基準は従業員の自信の強さを見て判断しているようにも思える。
現場を見れば誰が優秀か判断が付くのに、自信がある人を昇給させているように思える。

よく言われるのは、インド人マネージャーが現場を把握していない、という日本からの見解だ。
それはその通りだな、と現地にいてそう思う。

たった100人くらいしかいない会社で何階層も役職を作って、上に立ったインド人マネージャーは部屋にいて出てこない。 他のマネージャーを呼びつけて偉そうな話をするだけのインド人マネージャーは日本から「あいつは、状況を理解していない」と思われていて、それは正しい。 たった100人くらいの会社で現場をきちんと見なくてどうするんだ、と思わざるを得ないが、彼らはそういう意見は無視する。 報告を待っていればいい、と思っているらしい。

前には、部下の報告を鵜呑みにし、インド側プロジェクト運営がうまく行っていて日本のスペックの悪口を叩くという、「よくある光景」を見た。 他のトピックで書きましたように、スペックの通り作るだけでいい単価ではとっくにないし、この単価ではもっと上流工程をしないと「役立たず」とみなされるというのに、昔ながらの1/10単価だった時代の仕事のやり方を続けていては信頼を失うし仕事も来なくなるというものだ。

更には、とってつけたメールを取り出してきて特定の個人を攻撃して「あいつが悪い」と言い出す始末。 付き合っていられない。 コンテキストを無視して特定の文を取り上げて自分の都合の良いように解釈し、自分たちは全面的に正しくて相手が全面的に悪い、と主張するインド人の「良くある姿」がそこにはあった。

一旦リセットが必要なのだと思う。
「最初にいた」というだけの理由でマネージャーになった人材が幅を効かせているのでこんな訳の分からない状況に拍車が掛かったように思える。

会社が小さい時に取って、その時から「最初が肝心」ということできちんと育ててもらった人ならばともかく、インド人風の仕事のやり方でそのまま過ごしてしまったら、手を付けられなくなったということだ。

とは言っても、会社が小さいうちから全てうまく人材を育てられるわけもなく、結局、会社が小さい時に取った人材は、多少会社が大きくなったら役立たずになることが多いのかもしれない、と思う。 可哀想なことではあるが。

一方、指摘できたのにもかかわらず指摘しなかった、
インドをネタにして出世をもくろんだ元社長が一番の戦犯という見方もあるが。


■年寄りは理解よりもディシジョンを正とする


インドの年寄りほど、論理的におかしくても「決まったことだから」と言ってそれ以上考えない。
物事の道理について考えが及ばない。

インドの年寄りにとって、物事の道理は重要ではない。
だから、矛盾した判断を数多く行っても平気。
年よりは凝り固まっていて、考え方を変えるのは無理。

一方、若い人は疑問は素直に言う。
若い人ほど見所がある。

とは言っても、見所のある若者は次々と転職してしまい、 「人あたりが良いがあまり使えない」年寄りばかり残っている、という印象。
ある意味、日本企業に向いている人材が残っている。


・・・多分これを読んだだけでは理解できないだろう。
インド人の強情さというか、論理および物事の道理をわきまえないやり方は体験しないと分からないかも知れない。

道理を説いたり、理由を尋ねても「説明する必要はない」とか「お前、マネージャじゃないだろ。決まったことには従え」しか言ってこない総務のインド人マネージャーがいたのだ。 偉い人にはぺこぺこして、下の人間(赴任者は一応、子会社への出向という形を取っている)には権限をもって嫌がらせしてくるのだ。

帰任したらインドの会社に仕事を出さないとか妨害するとかいろいろ陰ながら出来るのに、わざわざインド嫌いを増やすなんてどういう魂胆か知らないが、おそらく自分が初めて持った権限を使ってみたかった、というだけの小さい人間だったように思える。

とは言っても、インド人全般に、こういう「権限になびく」傾向は強い。


開発にしても、「○○にして下さい」という指示があったときに、それに矛盾があるかどうかまであそこのインド人は考えが及ばない。 きっと優秀なインド人ならば考えが及んで矛盾を指摘するのだろうが、あそこの低能なインド人は、矛盾に気付かないばかりか、それでは駄目だからこうしないと、と指摘したところで「なんでこれではだめなんだ」とか強情ばって、理由を説明してもなかなか理解しない。 理解する能力もない人間がリーダーをやっている。

歴史的にインド人は指示されたまま考えずに行う仕事のやり方をしてきたから、そういう仕事に長けた人間がリーダーをやっていたのだろう。 間違っていたら指摘しないといけないのが日本人的な当たり前だが、インド人からしてみたら、間違っていたら指示した人が悪いので自分は悪くない、となる。 それはそれで一理あるが、常識が異なっていると話が食い違う。

そもそも、インド人が「単に言われたことだけやる仕事がいい」のであればインド人に仕事はない。 そのことを理解せずに、何か修正が入る度に日本のせいにして自分たちの責任にはしないことが日本側を苛立たせる。

インド人の単価が1/10ならばそれでもいいかもしれないが、今の単価で、言われただけやる、なんて仕事のやり方は通用しない。


■某所のインド人と日本人の典型的コミュニケーションパターン


日本人: 意見(というか苦情に近い)を言う
インド人: 言い返す
日本人: 返事をする
インド人: 言い返す

ここで何が起こったでしょう?

■インド人の認識
更に言い換えされていないので「解決」とみなし、すぐに忘れる。「問題なし」の認識
ほらみろ、「俺は最高」「俺は完璧」という気持ちが高まる
俺たちの顧客は満足度最高。顧客エクセレンスを達成していると思っている。

■日本人の認識:
こいつだめだ、もういいや。話は終了
未解決だと思っている
関わり合いを持ちたくなくなる
面倒なので適当に「Good Job」と言って立ち去る




笑い話みたいだが、よく見た光景だ。


■某所のインド人のスケジュールの仕方


実際にあったことだが
1週間のタスク(100%負荷)と、違う1週間のタスク(100%負荷)をシーケンシャルにスケジュールしていた


1週間経過したが、他の問題があってタスクを進められなかった担当者がいた
するとリーダーは、以下のようにスケジュールを組み直した
1週間のタスク(50%負荷)
1週間のタスク(50%負荷)


工数が減っているのはどうしてだ指摘しても「やれ」と言っているだけ。
1日200%働けということか、と指摘しても「違う」と言っている。(なんだそりゃ)

まるでブラック企業だが、インドであれば従業員に十分に給料を出しているのでこれでもいいのかもしれない。
きっとリーダーにもよるだろう。

インド人リーダーは、リスケジュールした上で「スケジュール通りです。遅延ありません」と報告したらしい。
なんだそりゃ。 スケジュール詰め込んだだけじゃん。
出来ると思ってるの?

案の定、最後近くまで「オンスケジュール」(スケジュール通り)に進んでいた筈なのに何故か完成品が出てこない(苦笑)

そりゃそうだよな。 出来るわけないじゃん。


別のスケジュール例。

いきなり「明日から1週間でこれやって」と言われた担当者がいた。
違う仕事があるから無理、と言っても聞き入れないインド人リーダー。
違う仕事があるので20%で1ヶ月ならできます、と言うと「どうして1ヶ月もかかるんだ」と返される。何か会話がおかしいよ。基本的な考え方として「工数」と「期間」の違いをわかっていないのでは。

マネージャーも似たようなことを言っていたので、マネージャーも工数と期間の違いをわかっていないのか、あるいはリーダーの理屈を鵜呑みにしているのか?(理屈はさすがに分っていると思うのだが)

インド人にも優秀な人はもちろんいるのだが、そこらへんに転がっているようなインド人IT技術者の「リーダークラス」はこの程度なのかもしれない。


別の例。

スコープ変化をリーダーおよびマネージャーが理解していないことが多々ある。

検討を進めるうちに今までの検討スコープでは足りなくてスコープが変更になったとしてもリーダーおよびマネージャーはそれに無頓着であることが多い。 スコープが変更になった後でも、元々計画していたものが出来ないのは何故か追求してくる。 インド人は長い間単純作業しかしてこなかったから、スコープ変更、という概念がインド人には薄いのかもしれない。

スコープ変更になったら当然のことならがスケジュールも見直しが入るが、インド人はそう思わないらしい。
いや、優秀な人はきっと見直すのだと思いますが、あそこのインド人はそういうところに無頓着でした。


■某所のインド人の見積もり精度



いつまでにできますか、と聞いた時の回答:
「今日出来る可能性があります。明日にはできます」

翌日、できましたか、と聞いた時の回答:
「できていません。他の機能がうまく動いていません。」

翌々日、また聞いた時の回答:
「できていません。他の機能がうまくうごいていません。」

結局1週間後にできた。


インド人:
 うまく行く場合の回答。2~3割の確率。
 もちろん人による。
 シニアの場合は5割以上の割合に上がる(気がする)

日本人:
 リスクを含めて8割の確率の回答をする


余談:
インド人はスケジュールにおけるバッファをあまり考えないので、TOCによる改善は期待できないのでは。
もちろん人によるだろうが。
日本人のように余裕を考える人種であればTOCはおそらく効果あるのだろうが


■期日は運が良ければ守られる。期日までに出来たらラッキー


余談として、インド鉄道のサポートを受けた経験を書いてみる。

48時間以内に処理する、と書いてあったので待っていても返事がないので電話をして催促すると「とにかく待て」と言われた。
次の日にもそのまた次の日にも催促して、上司を呼び出して催促した。
結局それでもらちがあかず、3週間後にメールがようやく届いて「処理されました」と回答。

(何のサポートを受けたのかは本題ではないので省略)


■インド人の仕事の仕方


日本人の前では見せないようにしているが、あそこのインド人同士は仲が悪い。
インド人同士では、以下のような仕事が普通。

・パワハラで他人を動かすのが普通
・人を罵るのが得意
・全部人のせいにする
・自分は全く悪くない、と主張する

時には、こういう背景が日本人相手でも口に出るので本心がわかる。


■”できる(can)"="Tryしてみます"という認識のインド人


インド人の考え方として、
「できる(can)」という言葉は「Tryしてみます」という意味

出来ればラッキー
結果として出来れば「ほらできるんだよ」
出来なければ理由を言って終わり

出来たら出来たで、過剰に自信を持っていちいち偉そうに振る舞うのがとにかくうざったい。(人にもよるが、概してこんな感じ)


■インド人の英語


あまり上手ではない。
教育や育ちもあるだろう。もっと高学歴人材であれば英語も上手な筈。
訛りが凄いが、次第に慣れてくる。
文法も間違っていたりする。

余談:
インド人からセールス電話が来た場合、あまり英語が通じないと向こうから一方的に切ってくる。
時にはいらついて「お前の英語はわからん」とか言ってくる。(それはお前だろー)


■仕組みを理解せずに使っても気にしないインド人


よく分らない仕組みを「動いているように見えるからこれでいいじゃないか」と言って結論を出そうとする。

理屈がおかしい仕組みを使って、それをそのままスペックにすることに違和感を覚えない。
「何が問題なんだ?」と言ってくる。

この種の問題はインドだけに限らないが、インド社会全体にこの種の強い傾向を感じる。
「なんとなく、それっぽければいい」という感じを強く受ける。
インド人は、物事について考え抜かない傾向がある。


■某所のインド人の「スペック」への考え方


インド人は、スペックについて以下のように考える。
・仕様変更は悪。
・仕様変更するようなプロジェクトは「出来の悪い」プロジェクト。
・仕様変更するような仕様を書いた人は「できの悪い」人材。

雑感:
このような捉え方は、インドのIT文化に沿って考えると理解できる。彼らは与えられたスペック通りに作ることをよしとしてきた。それが、今更になって「一緒になってものを作ろう」、と言われても状況が変わったことに理解できないだろう。 であれば、「きちんとスペックを与えてくれないと作れない」、と言うのも分る。
インド人社長やマネージャーがこのような考え方だから、各プロジェクトのやり方も透けて見える。 プロジェクトの状況をきちんと見ているようには思えない。

このような文化だから、日本人へ発注するよりもスペックを3倍は詳細に書かないとやってくれない。であれば、そのオーバーヘッドを考えるとインド人に発注するメリットがどれだけあるのか疑問。
3倍くらい書いても、「細かなケースが出てくるのはスペックの記述が足りないからだ」みたいなことを言われる。それだけ書かないと作れないのならば、インド人に出す仕事はない。

スペックが固まってないことに対して「日本人は本当に駄目だなあ」みたいな偉そうな口ぶりをインド人たちから何度も聞いた。 いちいち疲れる。 それでいて、「じゃあ、お前たちはどうすればいいと思うんだ」と聞いても、かなり微妙なスペックばかり挙げてくる。 その程度でその自信かよ、と言いたくなるがぐっと堪える。

最終的にインド人の自信が多少小さくなって「俺たちは意外と出来が悪いのかも」と気付いてくれるようになったが・・・。 いやはや。 なんだかなー という感じだ。


■3倍詳細なスペックが必要。一方で1/2の単価


日本人に、スペック1~10のうち1~3だけ書いて発注したとする。単価は120万としましょう。残りの4~10は内容をよく理解すれば分ることなので仕様書には書いていませんが開発には支障がありません。分らないことがあればきちんと確認して、提案までしてくれるので手間がありません。

一方で、スペックを1~10まできちんと書いてインドに発注したとしましょう。単価は60万です。これは2014年現在のサンプルの単価です。インド人なのにこんなに取るんですよね。もはや安くはない。

その内容はというと、スペックがちょっとでも抜けていたら、容易に想像できそうな箇所であっても自分で考えずに「スペックの不備だ」とか言ってごちゃごちゃ騒ぎ出します。

スペックを提案してきた、と思ったらその内容が微妙で使えないことが多い。

とにかく口数が多くていろいろ提案してきて、ほとんどが使えない提案だが、たまに提案が通ったりすると「ほれみたことか」と自慢および他人を馬鹿にする発言を始めるのがとにかくうざったい。 お前の提案の何%が通ったから言ってみろよ、って感じだ。 まるで全部通ったかのような自信のありよう。 勝手にやってろ、って感じ。

細かなところに気を遣わないから実際に出来上がるものの質が良くなくてテストが大変。

そもそもこの人たちは効率良くないから出来上がるのが遅い。

設計がそもそも微妙で、変なイデオロギーで選んだりする。
最近の例で言うと、LINQが良さそうだとインド人が騒ぎ立ててそれを選んだらパフォーマンス悪いしバグ出まくり。 インド人は、周囲から指摘されても自信300%だから聞こうとしないし。 付き合ってられんわ。 幸い、私の責任範囲じゃないからある程度指摘しても聞かなかったからその後は頬っておいたけど、それみたことか、という感じ。

自信満々なのは前のトピックで書いたような各種原因があるから、インド人の自信満々の素質だけが原因ではないけれども。

こんな感じだから、単価が倍違ったとしても、割に合わないと感じる。
はるか昔の、単価が外国に比べて「10分の1」の時代のやり方をそのまま続けているように感じる。

今の単価で自分の頭で補完しないのならばインド人は本当にいらない。


■某所のインド人従業員のメンタリティ


日本人赴任者は短期間しかいないのでインド人にとっては「仲良くする」ことが第一条件

よく分っている人は、仲が悪くなれば将来的に仕事が来なくなることがわかっている。
よく分っていない人は、あまり考えていない。(私としてはこっちの方が可愛らしくていい)

よく分らないことでも笑顔でスルーできる人材が会社に残る。他の人材はいなくなる。

短期間だとわからないが、長期間いると、いつも笑顔の人材(例えばAdmin長)が、時として「へらへら」と笑うことがあるのに気づく。 心の中では馬鹿にしているのが、時々透けて見える。

2014年にインド人が社長になってから、新入社員や中途社員にふてぶてしい人が増えた感じがする。 日本人ならば取らない種類の人材だ。


日本から仕事が来なくても欧米から仕事が来るから、最終的には転職すればいいと思っている。

日本語を学ぼうという意欲がほとんどない。

インドの単価が上がれば、日本語が通じる中国やシンガポールに仕事が取られるという現実がわかっていたとしても、他に行けばいいやと思っている(というように感じるし、実際、よく転職する)

マネージャは英語化したいだろうが、担当者が選択できれば日本語に流れるのが現実だろう。

今は、マネージャ命令でインドを選択しているだけという現実がわかっていない。
あるいは、それが分っているからこそマネージャーが来た時だけVIP対応で出迎えるのだろう。


■典型的インド人のメンタリティ


他人はどうでもよい。 自分さえよければそれでいい

だから、偉くなったら他の人のことを考えない。
とても「にこやか」に自分勝手に過ごす

周囲が困っていても、本人の心はとても平和
周囲が怒っていても、それは全く関係ない

これが一種の「悟り」というものかもしれない。

周囲から見ればそやつは傍若無人。  本人の心はとても平和

インド人の心の中はとても平和です・・・ って?
修行の場にはいいかもしれないですね。

普通は関わり合い持ちたくないですね。 何言っても「無視」ですからね、こういう人は


■某所のインド人マネージャは「ぬかに釘」


「ぬかに釘」という諺が合っている。

何を言っても無視。

無視するだけならともかく、
人によってはにやにやして高みの見物。気持ち悪い。

何人かは、私が社長ならばクビの人材だ。


■日本人従業員のメンタリティ


日本人赴任者は短期間しかいないので、あまり嫌われたくないので金で解決しようとする(ように感じる)
これはきっと某インド子会社に限らず某グループ全般の特徴かもしれない?(あるいは日本人全般の特徴?)

・給料を言われるままに上げる
・家賃を言われるままに上げる
・メイド給料を言われるがまま上げる(私はそうしない)

結局、インド人に都合の良い言い訳を赴任者が真似するようになる
・「インドはインフレしている」
 だからといって、言われるがまま給料を上げることにはならない

・「インド人に日本語を学ぶ意欲はない。メリットはない」
 日本語ができなければ仕事が来なくなるという現実を理解させれば変わるのでは。
 日本に興味があれば日本語も自然に学ぶはず。
 インド人に対して大した期待をしていないことの裏返し、か?


■インド人の使い方を変えるのも手では


・安い給料で働いてもらい、給料アップしたい人には転職してもらう
・インドへの仕事の出し方を、より細分化して外注でもそのまま組めるようにする
・チームではなく、単なる作業者としての扱いにする

・・・こうなれば好ましいとは思いますが、前述の理由により、某会社においてはこうはならないでしょう。

もっと言うのなら、TATAコンサルティングサービスみたいなところに会社ごと売り払って、そこに発注するのがWin-Winと思う。使えないマネージャー層は総取っ替えになるでしょう。


■日本人はよく勘違いされる


インド人は、請求できそうなら当初の約束以上の金額を請求してくる。
それを見て、日本人が「おかしいぞ」と言っても「おかしくない」と言う。更に日本人がゴネた場合だけ色々と、すぐ分るような子供のような嘘をついて誤魔化そうとする。
最終的に日本人が「しょうがないな」とある程度のところで手を打つと、インド人は勘違いして「これでいいんだ」とか「解決済だ」と思う。
日本人からの信用を失っていることに気づいていないどころか、自分はよくやった、と自画自賛までしている。
グループ内取引であっても、インド人は「相手は敵」だと思って請求している。取れるだけ取って、長期的な関係をあまり考えない。グループ内だから仕事はいくらでも来ると思っている。

インドに発注するマネージャーは、面倒になって「もういいや」と手を打ちがちだが、それがますますインド人をつけ上がらせている。
日本人からしたら、インドと関わり合いを持ちたくない、となっても仕方がない。
それでいて、インド人に「インドは信用されていない」とか言うと「傷ついた」とか言って露骨に嫌な対応をする。 指摘してあげたのに逆ギレされて、かなり頭痛の種になる。 意識のギャップがあるので、面倒なので指摘すらしたくなくなる。
日本人からしたら「勝手にしろよ、お前ら」って感じ。関わり合い持ちたくない。

日本人で歓迎されるのは、インド人の意見に忠実で、しかも「ATM」な人。
前の社長などはまさにATMで、インド人からしたら笑いが止まらなかっただろう。


■某所のインド人の単価


2012年は人月単価??万くらいだったらしい
2013年は人月単価??万くらいだったらしい
2014年は人月単価??~??万円くらい(プロジェクトによって異なる)

ただし、これに加えてインド人裁量で「取れそうなところからむさぼり取る」という勝手で一方的なサーチャージが加わる(もちろん発注元に無断かつ内訳は別の理由で誤魔化す)ので、気をつけていても本来かかった工数以上の人月で請求されるのがデフォルト。 なので、見た目の単価が上記で提示されたとしても、実際は1.5倍くらいだと思った方が良い。 (昔の実態は知らないので今の話のみ)

よって、実際の単価は以下

2014年は??~??万円   (もう実質単価は日本人を超えている場合もある)

あと気をつけないといけないのは、日本人の感覚だと「提示があった価格で、変更があるまで固定」と思いがちだが、インド人の感覚だと「時価」であり、その時点の時価で勝手に請求されるので注意。

最初に決め事で「この単価でやります」と約束していても「口約束ならば証拠がないから破ってもいいんだよ」みたいなことを平気で言うようなやつら。 これも、言葉ならば証拠が残らないから平気だと思って言っているんだろう。

上乗せ請求にしろ、単価を勝手に調整することにせよ、「だって、それだけかかってるんだもーん」みたいなふざけた意識で平気で好き勝手な請求書を出してくるので注意。インド人には「約束を守る」という感覚が薄いのか? とも思わざるを得ない。

わかって意図的に不正をしているのであれば更に悪質だが、今はグレーであって、外から見ると明らかに意図的に見えるものの、のらりくらりと言い訳をしてかわしているので今のところグレーということになっている。

 個人的には、インド人マネージャーは「真っ黒」に見えるので、全くインド人は信用していない。何か都合の悪いことがあると「にこにこ」して誤魔化そうとするインド人マネージャー。


■某所のインド開発に希望はあるのか?


若い頃の「最初」が肝心
若いうちに、物事の道理は重要だということを教え込ませる
インド風に「道理は重要ではない。決定だけに従えば良い」という風土に染まった年寄りは排除する必要がある。
今の某インド子会社には、「道理はどうでもいいから俺たちマネージャに従え」という人が大勢いる。そういう人材はクビ。
こつこつと「最初」から積み上げてゆけば組織が育ってゆく可能性がある。
育てる側が横着して、なんとなく偉そうだったり態度が良さそうな人を昇進させてしまうと、上記のような積み上げがないので後の人材がついて行かない。
今の某インド会社は若者に希望があるが、年寄りは役立たずが多い


■某インド組織に希望はあるのか?


組織を作った「最初」が肝心。
今の組織は一旦解体し、「最初」からこつこつと積み上げる必要がある。
会社を作り直し、必要な人材は残して他の人材はいなくなってもらう必要がある。
特に、長くいるだけで偉くなった使えない人材は不要。



■インド支社の後日談


あれから2年。

インド子会社に残された日本人マネージャーは悲惨なことになった。
インド人社長及びインド人マネージャーから無視されるだけでなく、事あるごとにインド人から「お前は黙ってろ」と罵られてコケにされ、除け者にされていたらしい。インド人マネージャーは日本人マネージャーの言うことを聞かないばかりか、自分たちが最高で日本人は頭おかしいと思っているらしい。
顧客が日本人であるのにも関わらず、日本人に向かって「君たちのやり方はアメリカでは通用しない」などと言って、顧客の方を見ずに自分たちのやり方に日本人が合わせるのが当然で、日本人のやり方は愚かで技術的に使えないから俺たちに全部任せろ、と思っているらしい。どうやら、あのインド人には「顧客のやり方に合わせる」という概念がないらしい。

この日本人マネージャーは、私がインドにいた時にインド人の尻馬に乗って、状況をよく分かっていないのにも関わらずインド人の主張を擁護して私を批判したような人なのだが、私がいなくなって、ようやく自分が私と同じような対応をされて初めてインド人のダメさ加減を知ったようなのだが、自分がそう言う目に合わないと状況がわからないような想像力のない使えない日本人マネージャーだったと言うことか。そもそも、インド人に対応できるのは論理ではなくて力なので、力がなくて理屈ばかりこねるようなマネージャーをインドに送り込んだ人事のセンスのなさには呆れ返るのであるが。最初から失敗が目に見えていた。

本社の人事にこういうことを言っても、インド人たちは本社の人事に対して従順で完璧なるイエスマンなので、人事から返ってくる回答としては「素直なインド人じゃないですか。何が問題なのですか」などというセンスのなさ。インド人からしてみたら日本人などカモなのだろう。現場のインド人たちは、前にも書いたようにへへら笑ってニヤニヤした顔つきで過ごしていても誰も咎めることはない。

パワハラしまくっていた非人格者の元インド社長は本社に戻ってから本部長になったらしい。

現場とインドの距離は離れ、やがては、インド支社は日本から仕事が来なくなったのだが、誰も責任を取らない。1年ほどの間、大した仕事がなかったので大勢やめて、使えない年寄りと使えないマネージャと若者だけが残った。それでも、仕組み的にお金は垂れ流しでインドに行くので給料は支払われるため、自分たちの給与を上げまくっても破綻しないと言う状況。現場に近いプロジェクトをしている部隊であれば原価管理が厳密なのでこのような状況は許されるはずもないが、開発部はぬるま湯だ。どうやら、マネージャーは日本人と同等の給与をもらっているらしい。よって、インドに仕事を出す単価も日本の協力会社に仕事を出すよりも遥かに高くて、それでいて内容もイマイチなのでほとんど仕事を出さない。それでもお金は勝手に落ちてくるのでインド支社は破綻しない。インドからすれば、自分たちが作り上げたシステムは素晴らしくて完璧だというのはある意味、皮肉にも正しい面がある。費用的に絶対に破綻しないシステムだ。

日本の本社の隠蔽体質及び「全ては成功しています」ということしか言えない社風が重なって、対外的にはインド支社は成功しているとみなされているらしい。それゆえに、インド支社は決してお取り潰しにならないし、めちゃくちゃやってパワハラしまくった元社長も上記のように本部長になって、本人は将来的に社長になるつもりらしい。本部長になるまでは皆から嫌われ無視されていたが、本部長になってから周囲の態度が代わり、急に「〜様」などと呼ばれているらしいが、よく聞くと皮肉で「様」と呼ばれているらしく、周囲は「なんであの人が本部長になったのでしょう?」と不思議がられているようだ。裸の王様とはこのことか。全ての失敗はうやむやにされ、発言した者には「余計なことを言うな」と逆に叱咤され、その影で利益を貪るインド人たちがたむろしていても、誰もそれを正そうとしない。

日本の会社では本当のことを言うよりも、全て素晴らしいと賛辞する人が喜ばれるのかもしれない。でも、おそらくトヨタのように優秀な会社の場合は本当のことを言わないと見抜かれるのだが。

確かに、係長以上になったら現状のことよりも周囲のモチベーションを上げることが必要になるが、それと、現実を否定して全て素晴らしいとしてしまうこととは、全く別のことだ。2年前のブログにも書きましたように、「自信を持たせるために褒める」などと言う愚かで浅はかな施策が何年もの間、支社を停滞させ続けている。もはや開発部では誰もインドに関わり合いたくないが、他の部署に対してはそんなことは言えないのでなんとか継続させなくてはならず、そんな状況を分かっているのかいないのか、インド支社としては自分たちの主張を押し付けつつ、自分たちがやりたくない仕事は拒否している。支社なのに仕事を拒否するなんてあり得ないでしょう。それも、お金が垂れ流しなので仕事をしなくても安泰だからなのだが。

今では、インドがうまく立ち上がったと思っているのは世間知らずの上層部だけで、現場の人たちはほとんどがインド支社は使えないと思っている。確かに、多少は使える人も混じっているが面倒で使えないインド人マネージャーや勝手に追加を請求してくるインド人ラインマネージャ、約束を守らずにごにょごにょ言って誤魔化すインド人のラインマネージャ、口約束は守らなくてもいいと思っているようなマネージャーと関わり合いを持ちたくないと現場は思っている。

インド人は顧客が日本人であるのにも関わらず品質基準を自分たちの主観で考える。このくらいであれば良い品質だとインド人が考え、それに対して顧客である日本人が指摘して修正させようとしても「お前たちはそんなこと考えるなんて頭おかしい」とまで陰口を叩くマネージャーがいる。顧客の求める品質ではなく自分たちの考える品質を満たせば満足というやり方は、前にも書いた通り、今までの日本の顧客及び過去の赴任者が諦めた結果として、もうインドなんてこの程度なんだからもういいやと思って、いい加減に褒めて終わりにしたり、とりあえず自信をつけさせるために褒めてしまえという安易な考えが続いたこともあるし、前にも書いたように前社長が自分が帰りたいがためにインド人を褒めまくってもう一人前だとお墨付きを与えてしまったのだから、もはや日本人のことを聞かなくなり、いろいろ指摘してくる日本人を鼻で笑っている状況がここ数年ずっと続いていたようだ。

ある時、インドを立て直そうとして日本からマネージャーを赴任させようとしたが、インド側は「俺たちは完璧だからお前なんていらない」と拒否してきたらしい。拒否できるシステムにした本社の意向はどうであれ、拒否できるのだから拒否するというのがインド側の主張らしい。自主権を与えてしまったが故にその権利を最大限に行使する。日本のように空気を読んである程度は受け入れるなどということはせずに自分たちがその最大限の権利を手に入れたと判断してその権利を惜しむことなく行使する。そもそも、物事の道理というものがわからない子供のような精神の社会であるインドに対して自立などを求めるのが間違っているし、全世界一律に同じ制度を適用することが良いことだと判断した人事のセンスの無さにも呆れ返る。人事は所詮、現場のことなど他人事なのでどうでもいいのだろうと思わざるを得ない。現場からすれば。

インド人が日本人を貶めるためのの基本的な戦略は情報封鎖だ。基本的に業務連絡は他のインド人メンバーだけにして、役職的には同じだとしても日本人には全く連絡をしないことで情報を制限させる。自分で本社に問い合わせざるを得ない状況にして、本社からすればどうして同じことをインド人と日本人に説明しなくてはならないのだと反発を起こさせる。一般的な業務連絡だけでなく、本業に関わることでも判断に必要な情報を与えずに判断だけ聞く。情報がない上にいきなり聞かれても完全な答えをすることができず、その回答を本社に伝えつつ「あいつは使えない。俺たちインド人に任せろ」という根拠にする。日本人赴任者がインド人に情報を伝達するように行っても、それはどこそこに置いてある、というような言い訳がましいことを言うばかりで解決にはならない。どこに置いてあるのかのアナウンスもしようとせず、自分が好きなところに置いて、それを持ってして情報公開していると言うアリバイにする。インド人の目的は「我らインド人が日本人よりも優秀であることを証明すること」であるのでその手段として正々堂々と同じ情報を元に考えて結論を出してその優秀さを証明すると言う手段ではなく、情報さえ閉鎖すれば考える以前のお話になってしまうのでたやすく勝利することができ、しかも、アリバイを作ることで情報公開の根拠を作れば同じ土台で勝負していることを対外的に証明することになるのでインド人の優秀さを対外的に証明できるようになる。前にも書きましたように、結局は、インド人だけになる時にそのダメさ加減が表ざたになるのであるが。日本人は世話好きなのでインド人のダメなところを一生懸命フォローするがインド人はすべて自分たちの優秀さあってのものだと判断して日本人はいらないと思っている。だからと言ってインド人に任せてみるとうまくいかなくて、うまくいかないと発注の仕方が悪いのだとか誰それが悪いのだとか他人のせいにばかりして自分たちが原因だとは考えようとしない。

インド人の給与は一般的にとても低く、IT系は新卒の初任給ですら親の収入を軽く超えることがよくある。それゆえに、全く何もなしていなくて役立たずであってもその給料を根拠にして自分がとてつもなく優秀で完璧だと勘違いすることが多い。

担当者が本当のことを言えばマネージャーから叱咤されて評価が下がり、一方、根本的な対策が打てずにプロジェクトがうまくいかなければその責任は担当者が負わされる。インド人は自分の非を認めず、うまくいけば自分たちが完璧だったから日本人はいらなくて日本人はそもそも大したことをしていなかったと報告し、一方で、うまくいかなければ日本人がきちんと機能していないから失敗したのであって自分たちは優秀で完璧だから最初から自分たちに任せろと言う。そう言うのであればということで試しに日本人が関与せずに任せてやらせてみてもボロボロで、その結果に対しても自分たちに非はなくて依頼内容がおかしいのだと言い出す始末。結局、どうやってもうまくいかないのに何故か自分たちは優秀だと言って譲らない。こういう口だけのはクビにしないといけないのだが、日本の会社は甘いのでそのまま放置し、状況が改善することはない。

インド人全てが悪い人ではないが、今マネージャーになっている人の多くは悪がしこい人なので、そのような人を昇格させた過去の元マネージャ及び元社長は世間知らずであると言える。日本人同士であれば信義に基づいて良くしていくと言う前提条件が多くの場合に成り立つが、悪がしこいインド人の場合は、自分たちに対して悪い報告をする日本人は全て敵であるから徹底的に悪い噂を流すなどしてその人のことを本社が真に受けないようにし、一方で、そのような日本人は無視をしたり嫌がらせをして心がボロボロになるようにネチネチと攻撃する。心が折れてしまい、もうどうでもいいやと思って「インド人は優秀です」と言ったものならそれをアリバイにして「ほらみろ、俺たちは優秀なんだから俺たちに任せろ」と言うが、戦略的にそのように言わせるように仕組んでいるだけなので、出てくる成果物はやはりボロボロなものでしかない。言葉でどう言われようが行動と結果が結びついていないから、次第にインドは相手にされなくなってゆく。日本の開発部は仕方なくその尻拭いをするが、尻拭いを横目にみつつもインド人は「ほらみろ、俺たちは優秀なんだから日本人の助けなどいらない」と言って譲らない。もう、相手にしても仕方がないので、次第にインド人を相手にする日本人は減ってゆく。

色々な状況を本社に報告しても、ほんの少しでも不快な発言があればその言葉尻を抑えて「そんなことを言っているようではだめだ」とか「クビとか言っていないで他のことを考えろ」とか言う。本社マネージャーは「第3の道を考えろ」とか言うが、実際のところ、現地インド人マネージャーをクビにすることこそが第3の道であるのに、結局、本社マネージャーは現状を理解していないから色々と言って後回しにしているだけなのだろう。本質とはかけ離れているところを指摘して思考停止して無関係を決め込む本社マネージャーには嫌気がさした。理解力がないばかりか理解する気がないのではお話にならない。無関係でいるための口実を探してばかりで本腰を入れようとはせず、「寝た子を起こすな」などと逆に発言を抑え込もうとするマネージャーにも呆れ返る。こんな状況だと、インドからしてみたら日本人などカモでしかないだろう。
せっかく不快にならないような言葉で説明していてもほとんど理解しないどころか興味がない日本の担当マネージャ。きちんとわかるように説明しろというのではっきりとした言葉を使って説明すると「お前はなんてことを言うのだ」と拒絶反応を示して現実を理解しようとしない。生理的に受け付けられない事態が起きているから日本のマネージャーが本腰を入れて対処しないといけないのに、生理的に受け付けないからそもそも理解しようともせず、対処するどころか、理解することすら拒絶し、関係者全員を異端者と決めつけてダメなやつらだと切り捨てる本社の一部マネージャー。そのような状況でも、インド人は日本からたまに来る日本人の上位マネージャー(部長クラス)に対してはVIP対応をするのでインド人はいい人たちだと上位マネージャーたちだけは思っていますが、それ以外の平マネージャー以下に対してはインド人がガン無視あるいは軽視してへへら笑っているのでインド人とは付き合いたくない。しかし部長以上からはインドを使えと指示が来る。全くもって、インド人はなかなか良くやっていると皮肉れる次第だ。上の命令があるからインドを使わざるを得ないが、担当者や平マネージャーはインドと関わり合いたくないと思っている。その証拠なのかあるいはその他の会社施策があったからか、あるいは無関係なのかもしれないが、大勢のマネージャーと元インド赴任者が鬱になって休職しているらしい。どの程度の関係があるのかは個別事情だが。

元社長はパワハラの常習犯で、一部の赴任者に対して「おまえなんかいらないんだよ」と皆の前でゲラゲラと気持ちの悪い顔で笑いながら馬鹿にするような下品な人なのに、そんなのが本社に戻ってから昇格するなんておかしな会社だ。 役立たずなだけでなく周囲を貶めているような人が昇格するのだから。

何を決めるにしても「皆で決めたことだから」と言って責任者を決めず、自分の意思を通しておきながら自分で責任を取ろうとしないマネージャー。説明しても逆に質問ばかり繰り返していつまでも理解する気のないマネージャー。責任逃れのために理解していても理解したことを認めずに理解できない態度を続けて関与しようとしないマネージャー。糠に釘のインドマネージャーはこうした本社マネージャーの悪いところを受け継いだとも言える。それでいて、自分の意思を通す時だけマネージャーという立場を利用して、逆に、下からの意見は聞こうともしない。色々と意見があるのに、それを話す場も用意せずにいきなりディシジョンを伝えて来て、それに対して意見を言っても、もう決まったことだから、と言って話を聞こうとしない。マネージャーは間違ったデータを元に間違った決定を下していても、それを認めようとせずに自分たちは全て知っているとみなしている。マネージャーの間だけで情報共有されているポータルの情報がとてつもなく恣意的なもので、自分が担当している部下の評価を高めるために一部のメンバーを貶めるような評価にしていることがあり、それを見た他のマネージャがそれを元にして評価するものだからどんどんと変なことになってゆく。しかも、マネージャーも部下をきちんと見ることをせずに、他のマネージャーがそう言っているからその通りだと判断することが多くて、とつてもなくおかしな認識を持っているマネージャーが多くいる。目の前の人物を見ることなく「君は○○なんだって?」と恣意的で間違った情報をあたかも本当であるかのように、あたかも自分が全てを知っているかのごとく「○○なんだろう」と他のマネージャーから報告された嘘の情報を真実であるかのごとく主張して不遜な態度でマネージャーが部下に接したとしたら、部下はマネージャーがその程度の人物だと見限ってしまっても不思議はない。同じ情報をもとに思考力でマネージャーが部下に勝つのが本来であり、それでこそマネージャーは部下からの信頼を受けることができるというのに、情報を制限してマネージャーが部下をコントロールしようとしても、逆にマネージャーが部下から馬鹿にされるだけのことだ。情報制限でマネージメントすることほど馬鹿らしいことはない。
マネージャーがきちんと判断できるAppleのような会社であれば最小限の人物が会議で決定して部下がそれを推進するという効率的な運営は正しいと言える。しかし、マネージャが部下の信頼を勝ち得ていない状況においてはマネージャが自己の権威を保つための情報封鎖でしかない。日本企業の競争力の原点は現場が優秀だからきちんと判断できるのに、とてもイマイチな判断しかできなマネージャに従わないといけないなら多くが辞めてしまうだろう。実際、早期退職で募集の2倍の人員が辞めて、部下が丸ごといなくなったマネージャも多くいたと聞く。部署が丸ごとなくなったところもある。
同じ情報を与えたら部下の方が優秀だと分かってしまうが故に自分の立場を守るために情報を与えないマネージャ。そのオペレーションの根拠として効率だとか何だとか理由をいくつも持ち出すが、結局、優秀ではない人物がマネージャーになってしまったが故に部下がついてこない、という単純な事実なのだ。使えない人物を昇格させてはいけないのだ。部下はマネージャーを尊敬していないのからマネージャーは単に命令して無理やり部下を動かさないといけず、そんな状況では部下はついて来ず、逆に、部下の拒否を招く。そんな状況で自己擁護するために、優秀だが使い辛い人材ほど低い評価になる。表向きの評価はそこそこなのだが、マネージャ間でのみ共有されているポータルの人事情報に有る事無い事書き込んで評価を落とそうとする小賢しいマネージャ。私の場合、私が作った箇所すらも「○○の作ったものをつけただけで彼は実質何もしていない」とか書かれていたことがある。反論しても嘘だと思われる状況。日本人のインド赴任者に対するインド人マネージャの評価も、本来の目的「インド人を優秀だと主張して日本人よりインド人を上位に位置づける」に沿った行動をなんのためらいもなく実行するため、日本人赴任者の評価も概ね低いものになる。自分たちインド人マネージャーを批判する者もいないのでやりたい放題。全ての成果物は自分の気に入った者の成果にするという恣意的な評価及びそれを許す体制がマネージャの信頼をますます落としている。
日本人マネージャーですらその程度で、そのポータルの情報を見たインド人マネージャーも勘違いしてとてつもなくおかしなことになっている。目の前の人材のことをしっかりと見ずに、権威のある人の意見が正しいとする会社は東芝のように自己肯定を繰り返すのだろう。内容を理解するよりは「分かりやすい」説明を良しとして、現実よりも「○○の筈だ」と言う理屈を優先させて評価をする。

担当者はルールに従って作業するのが主であり、マネージャは正しい判断をするのが仕事だ。マネージャの判断はルールで全てを決めることができるわけもなく、その時々の判断が必要になるのにもかかわらず、ルールにないから不可能だと答えるしか能がないようなインドのマネージャーは不要だ。その上、いくら説明しても「時間の無駄だ」と言って最初から話を聞こうとしないインド人マネージャが多い。可能だとわかっているのに実行しないのだとしたら日本人に対して嫌がらせをしていることになる。不可能だという時の顔がニヤニヤと薄ら笑いをして日本人を馬鹿にしているようなインド人マネージャーなのでどのような意図を持って嫌がらせをしているのかも自明だろう。そもそも話を理解しようとしてない。自分たちが前に行った決断は絶対的に正しくて反論の余地はなく、全ての人は自分たちに従いさえすればいいと思っている。理屈は通じない。物事の道理が理解できないほど頭が悪いと思うことも多い。

インド人マネージャーの目的はいくつかあるだろうが、主に以下だ
1. 今まで日本人赴任者に不遜な振る舞いをされてきたのでストレスが溜まっており、その鬱憤を晴らすため
2. 日本人は不要でインド人だけで十分だと主張するために日本人を全て追い出すため。日本人よりインド人の方が優秀だと主張するため。そのために、プロジェクトにおいて他のインド人メンバーには告知している業務連絡が日本人に対しては連絡しない、といった嫌がらせが日常茶飯事となっている。情報を与えないことでそもそも判断する機会を奪い、言論を抹殺する。言論を求める時は情報をあらかじめ与えずに発言させて、前提条件が分かっていなくて的外れな発言をさせてインド人が優秀だと主張するためのアリバイとしてだけ発言させる。会議を呼ぶときにも情報を与えずにいきなり発言させ、発言がない状況にさせるか、あるいは、的外れの発言をさせてそれを指摘して日本人を弄ぶ。
3. 会社を自分のものにするため。法的に所有者がどうであれ、実質的に自分が社長になるため。一旦社長になってしまえばインドの法律においては辞めさせるのはかなり困難。給与も自分で決め放題。今は日本人より多い給与を貰っているインド人マネージャーは貰えるだけもらうつもりなのだろう。これは本当だ。信じられないのだとしたらインド人のことを知らなくて世間知らずなのだ。

今はインドに赴任している日本人がゼロになったと聞く。たったの2年なのに隔世の感がある。最後の赴任者はインドでアウェイ感を感じて暮らしていたようで、赴任というとそれなりに楽しい生活の筈なのに、インドの赴任は拷問のようになっている。今は希望者もおらず、誰も赴任していない。どうやら会社の規模も小さくするようだが、どの程度インド人が同意するのかは不明だ。

日本の開発部隊の人は、陰ながらこう言っている。「誰を生贄にしてインド赴任させようか」。一部のマネージャーもインドがとんでもないことになっていることに気づいているものの、自分の問題として解決しようとしているのではなく、日本にいる厄介者払いの場所として考えているのかもしれない。結局、噂が先行してしまったのでインド赴任を提示しても拒否られることが多いのだろう。一方、インド側もうまくインドを持ち上げてくれるような操りやすい人材、あるいは金づるの人材以外は欲しくないのか、堂々と赴任要請を拒否してくる。 普通に考えたら本社から指示された赴任の指示に従わないような支社は必要なくてお取り潰しあるいはマネージャー入れ替えでも不思議ではないのだが、とてつもなく不思議なことに今の今まで存続している。これも、元社長が睨みをきかせていてインド支社のことを悪く言う人を貶めているのかもしれない。だとすれば元社長が左遷される時がインド支社の終わりなのかもしれない。

元社長は、新インド人社長のことを高く買っていると公言していますが、公言するからには自分が率先してインドを使うのが当然であるのに未だにほとんど全くインドを使わずに他人にインドを使わせていることは言動不一致であり、実際にはインドが使えるとは思っていないのではないか。言葉でなんと言おうが行動が伴っていない元社長のことを真剣に捉える必要はないのだが、それでも上層部に気に入られて本部長になってしまったのだから周囲はある程度はイエスマンになってその指示に従おうとするが本人が実際に使ったとしても失敗したら元もこうもないので実際には使っていないのではないか。結局、他人に尻拭いさせているということだ。上にいくら気に入られて昇格したとしても、下はあんなのについていかない。

それでも上層部はなんとかしてインドを使おうと思っているらしく、年間何人もインドから日本に赴任させて仕事をインドに引き継がせようとしていますが、インド人からすれば「今」既にインド人が優秀だから日本に来て活躍している、と200%の自信でそう思っている一方で、日本人からすれば、今は使えないインド人だけれども日本に来て仕事のやり方を学んでもらえればインドに戻ってからその仕事を受け持ってくれるから、今しばらく我慢して付き合ってやればいい、と思って日本に来てもらっている。しかし、その意識のギャップがあるので、せっかく高い費用を使ってインド人を日本に赴任させて、ようやく立ち上がったと思っても、インド人からすれば仕事は終わったと思っているからインドに帰ったら違う会社にステップアップで転職してしまう。その割合は高くて8割にも達する。日本人からすれば、苦労して成長させてやったのにインドに帰ったらすぐに辞めてしまうから苦労の割に合わないと思うことが多い。インド人マネージャーからすれば「俺たちが優秀だからもっと人を送って貢献してやる」と言うが、勉強だけさせて、その後辞めてしまうという図式が続いている。よって、私なんかからすると、他の会社に移ることができないほどの出来の悪い人ほど赴任させて、帰ってからも転職しなさそうな使えない人を赴任させればいいと思うのであるが。日本企業は外資系に対抗できるほどの給与を支払うことができないのでこのくらいしか対処が無いであろう。アメリカ企業がインドに支払う額には到底対抗できない。

それにしても、2年も経っているのに私が2年前に予想した通りの状況のままだし、未だに状況が改善されていないと言うのは一体どう言うことだろうか。私が最初に言ったようにマネージャー層を一掃して、もう1つ会社を作って新たなマネージャー層と共に再スタートするしか解決できない。とは言っても、もはや私とは関係のないことだが。最初から私に全て任せておけばよかったものを。今となってしまっては、永遠に負債を垂れ流すことになるのだろう。せいぜい年間数億円の垂れ流しができる財務体質なのは素晴らしい会社であると皮肉れるのかもしれないが。元社長がどれだけこのことを予期していたのかは不明確だが、会社をボロボロにしたあげく周囲には「素晴らしい」と触れ込んで昇格したのだから、古風な会社というのはおかしなものだ。自浄作用がなくて褒めるだけというのは日本社会の負の面を表しているのかもしれない。最近流行りの、日本を褒めるばかりの思考停止テレビチャンネルとよく似ている。そう言っている自分たちはもう年寄りだから、いい加減なことを言っても逃げ切れるからそれでいいのだろう。あの会社は「上層部が好きそうな振る舞い」をすればある程度は昇進するというのは現場での噂というか常識と化している。ことあるごとに、会社のメインメンバーが好きそうな振る舞いをしていい顔をしつつもその一方ではパワハラが許されるのでは未来はない。とは言っても、私は他の会社のことを知っているので、上場しているとある最悪のグループの最悪のパワハラに比べればこんなのは可愛いものですが、下を見たらきりがない。

インドに最近赴任していた人が帰任したが、やはり「インドはもうダメだ」と言っているらしい。

ちなみに、インドの解決策は2年前にも私が提案した通り、ラインマネージャのインド人をクビにすることだ。もしも社長のインド人がかばうのであれば社長も辞めてもらうしかない。でも、あの会社にはそんな行動力が2年間もの間なかったのだから、これからもないだろう。

これほどまでに修正能力のない会社であることに呆れ返る。誰も責任を取ろうとせず、インド人を放置している。
私はあの会社を辞めて良かったと120%の確信を持って言える。

私個人としは興味を失っていましたが、噂を聞くにつれつくづく思います。

辞めた直後も120%の確信を持っていたし、2年経った今も、120%の確信を持って辞めて良かったと言える。

官僚主義で、「効率のため」と言いさえすれば何でもトップダウンで行なって良いとみなされる社風。下の意見は顧みず、かといって、何か起こっても下のせい。報告をあげても知らぬ存ぜぬで責任は下に擦りつける。何か起こって異論を唱えても、ニヤニヤした顔つきで「お前は知らないくせに」と蔑みながら罵るインド人たち。インド人には何を言っても無駄だし、変えることは不可能。クビにするしか手がないのにそれができない本社。

こんなのにつきあってはいられないですね。勝手にやればいいです。

結局、インド支社は本部の役員や元社長の出世のネタだったんですよね。その役割が終わったのに誰も後片付けをしないからインド人にいいように利用されるのです。日本の会社というのはいいことばかり言ってダメなところを覆い隠して誰も尻拭いしようとしないから、例えば私のように本当のことを言う人が逆に悪者になって追い出されるのです。

大抵の人は日本の会社で「インドは素晴らしいですね」と言っていれば安泰なのですから、そうすれば会社のリソースを食いつぶして、いつの間にか会社が弱っているのに上層部は誰もそれに気付かない、と言う状況になるわけです。日本の会社が海外展開できないのもわかりますね。そもそもマインドが違うのですから。報告が全て「素晴らしい」「完璧」になっているのに一向に海外支社がうまくいかないのは、そもそも根本にマインドが違っているからうまくいかないのです。現状のボロボロの状態を完璧と査定すればそれ以上良くしないのがインド人で、そんな筈はないと思うのが日本人なのですから、その違いすらもわからずに海外には出るべきではありません。

と同時に、インド人社長が本社の上層部にVIP対応をしますからインドがそれほど酷い事になっているとは上層部はつゆにも思わないでしょう。こうして、会社がインド人にいいように利用されるのです。そして、最終的にはインド人の考える品質へと下がってゆくのです。日本の技術も、インド人の品質が基準になってしまったらもう終わりですよね。

私のいたインド支社でも、インド人の考える品質が絶対的だと言う事になっていました。ですから、インド品質が基準になって、いつの間にか製品の品質が下がる、と言うのも時間の問題でしょう。日本の多くの企業様、御愁傷様です。


<追記 2018/5/1>

■インド支社の後日談 その2



その後2年経ち、インド支社の人員は半分になったらしい。

若くて将来に希望のある人はことごとく辞め、使えない年寄りばかりが残っているそうだ。
しかも、インド側で給料を勝手に上げたものだから日本人と同等にもらっているインド人ばかり。
インドに発注しても日本の外注より遥かに技術力が劣っていて使えない上に人数を勝手に投入してきて無許可に請求書を送りつけてくるのでインドを使うプロジェクトはどんどん減っていますが、新しく外から来た部長や副部長をVIP対応して懐柔することで新しい仕事を取るのはそれなりにうまいようだ。

最近も、そんな感じで新しく来て事情を知らない副部長を懐柔してプロジェクトを沢山取ったりしているようだが、社内にほとんど人員が残っていないので更に外注している。そんなことなら最初からそこに外注すればいいのに、と多くが思っているらしい。

技術力がないのに自分たちの技術が最高だと思っているので、日本側が「こうやれ」と言われても自分たちの頭でそれが出来ない場合は「そんなことはこの技術ではできない。日本側は技術を知らないからそんなことを言うんだ。インドに任せろ」とか言うが、日本側がサンプル作ったりして「できるじゃないか」と言うとプライドを傷つけられたと言って逆ギレしてくる。やれやれだ。自分たちが技術力ないことを受け入れることができないほど精神的に子供だと言うことは前にも書いた通りだ。

こんな感じでインドにいいようにカモにされる日本の会社は多いのだろうなと思います。使えない人材を「切る」と言う選択肢が日本にはないから多くの場合で日本人は甘く見られる。使えない場合はすぐに閉鎖すればいいのに、支社を開設した上司が会社に居座っている間は閉鎖することができない日本の会社。そうしてインドにどんどん資金が費やされ、大した働きもしていないのに「インドは優秀」と言うことになってインド人の給与がどんどんと上がってゆく。私がいた会社では必要な分だけどんどんお金を払うような仕組みになっているのでインド側が給与をガンガン上げても決して赤字にならない仕組みだ。マネージャーじゃなくても日本人以上にもらっていて、バブル状態らしい。

色々調べたが、バンガロールの平均的給与と比べて、新人であれば1.2~1.5倍、中堅クラス以上で2~3倍払っているから、使えないような中堅クラスはその給与だとよそへ移ることができず、一方、新人の使える方はどんどん転職して行くから会社には使えない人材だけが残る。

潰そうかと言う話が出るたびにインドのマネージャー衆が日本のマネージャーをVIP対応して閉鎖を遅らせるが、実際は使えないことがわかる頃にはその日本のマネージャーは部署移動になるので、自分の手を汚したくないから閉鎖をせずに誤魔化して次の人に任せる。そんなこともあり、インド支社は使えないのに生き残っている。

状況としては前に書いた通りだし、何も良くなっていないし、場末感が漂っているので私としてはもうほとんど興味がないが、最後のエンディングがどうなるのかだけが興味がある。どのような終わり方をするのか? 早くエンディングが見たいのだ。 あまり長引かせると途中でチャンネル変えちゃいますよ。 早く終わりにしてください。

<追記 2019/10/28>



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