クンダリーニの覚醒、2分類、あるいは3分類

2018-10-28
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

クンダリーニの覚醒には、大きく分けて2つあると言われているようです。
  • 急激型:轟音と共に一気に上がる
  • 緩慢型:少しづつ上がる
この分類は気功で有名な高藤聡一郎氏による分類のようですが、手元にある高藤聡一郎氏の本には同様の記述は見つけられませんでした。

これについては「ヨガと冥想(内藤 景代著)」に以下のような記述があります。
とぐろを巻いた蛇で象徴される、クンダリーニは、根源的な火のような生命力です。その炎のようなエネルギーを、一気に登頂まで、呼吸法で上昇させるのは、頭まで熱くなって、気が逆上することで、危険なのです。
古代からのチャクラ覚醒法は、下から上昇するクンダリーニ・シャクティの荒々しい力で、つぼみのように封印されたチャクラを突き破れば、チャクラは開花するという方法です。まったく、男性原理的な発想で、チャクラの機能が狂ってしまう可能性の方が高いのです。

急激型のクンダリーニ覚醒がいわゆる「ヨガ病」あるいは「クンダリーニ症候群」と言われている状態を引き起こすのだと思います。

それは、 スシュムナが浄化されていなくて不純物で詰まっている状態でクンダリーニを上げようとするからおかしくなるのでしょう。

ヨガの古典には緩慢型しか述べられていないように感じます。
世間一般でのクンダリーニのイメージと違い、急激型に関する記述は見つかりません。

■再び、ゴーピ・クリシュナによるクンダリニー体験

ゴーピ・クリシュナによるクンダリニー体験は急激型だったわけですが、これを再度振り返ってみると、更に気付く事があります。

まず、クンダリーニ体験をする前の状態ですが、「クンダリニー(ゴーピ・クリシュナ著)」の最初の方のページにそれまでやっていた修行内容が書いてあるのですが、それは蓮の花のイメージに集中して一体になり彷彿感を感じるサマーディ瞑想で、その記述には「音が聞こえた」とは書いてありませんでしたので、少なくともナーダ音の「しるし」は出ていなかったようです。ナーダ音が必ずしも聞こえるわけではないとはいえ、ゴーピ・クリシュナがクンダリーニ症候群に陥ったのであれば スシュムナは浄化されておらず詰まっていたと判断してよいでしょう。

クンダリーニ経験をした後、ピンガラから上げてしまってイダから上げることを思いついたのは上記の通りですが、その記述で「脊髄をジグザグ状に動いて昇り」と書いてあることにに気づきます。以下の部分です。これは、右側のピンガラからクンダリーニを上げてしまったことに気付いた後にイダからもクンダリーニを上げようと決心して実行する瞬間の記述です。

パチンと気道に音がしたかと思うと、銀色流れが白蛇の這うがごとく脊髄をジグザグ状に動いて昇り、最後に生命エネルギーの光り輝く滝となって脳髄にふりそそいだのである。
至福の白光で私の頭は満たされた。

スシュムナであれば背骨に沿って真っ直ぐですから、ジグザグであると言うことは、記載の通りイダを目覚めさせたのだと思われます。

最初読んだときはピンガラとイダの組み合わせを「そんなものかな」と思って素通りしたのですが、スシュムナでクンダリーニを上げたとの明確な記述は見つかりません。であれば、以下のような状態だったのでしょう。

  • ピンガラ(右、太陽):最初にクンダリーニが上がった気道
  • イダ(左、月):死にそうになった時に必死の思いで開いた気道
  • スシュムナ:詰まっていて稼働していない気道
であれば、 スシュムナが動いていない以上、しばらくの間ずっとゴーピ・クリシュナが一般人とそうは変わらない状態で聖者とは言い難い状態だったのも理解できます。ヨガの本流であれば緩慢型で修行しますので、ゴーピ・クリシュナが同様の事例を識者から聞く事ができなかったのも理解できます。

ゴーピ・クリシュナの「生命の海」の章を読むと、最初のクンダリーニ体験は「(滝が落ちてくるような)轟音」だったが、クンダリーニ症候群から回復するきっかけになった神秘的な彷彿の神を感じる体験においては「蜜蜂の群が発するような音ともとれる心地よいリズムとメロディ」が聞こえたとありますので、この音が一つの基準になりそうですね。以前引用した「瞑想をきわめる(スワミ・シヴァナンダ)」には、蜂の音がアナーハタの音だとかかれてあります。一方、上記の「続・ヨーガ根本経典(佐保田 鶴治著)」にあるゲーランダ・サンヒターの引用にも蜂の音が書かれてありますが、ゲーランダ・サンヒター的な分類では蜂の音そのものはアナーハタ音ではなくその前に聞こえる広義のナーダ音と言う位置付けですので、ゴーピ・クリシュナがクンダリーニ症候群から回復した時点ではまだゲーランダ・サンヒター的なアナーハタ音は聞いていないのだと解釈できます。であれば、まだスシュムナは完全に浄化されていないということでしょう。

ゴーピ・クリシュナは、クンダリーニ経験の後に少しづつナディの浄化が起こっていったのだと解釈できます。古典や各種の聖者が伝えるところでは、最初にナディの浄化をした後にクンダリーニを覚醒する順番になっていますがゴーピ・クリシュナは順番が逆だったのでクンダリーニ症候群で苦しんだのでしょうね。それでも、何とかすれば本来の覚醒にまで至れる可能性があるのは希望があります。ゴーピ・クリシュナはクンダリーニ症候群に12年苦しんだ後に自称「神体験」に至ったようですが、その時点では蜂の音を聞いただけでまだ超感覚が目覚めていなかったと記載していますので、まだそれは自身が言うような「神体験」ではなかったのでしょう。

クンダリーニ症候群から回復するきっかけの体験では音だけでなく「透明な銀色の光」も見たそうです。最初の体験の時は「赤い光の輪」だったと書いてありますので、これらの色も関係しそうですがナーダ音とはあまり関係がないので割愛します。どちらにせよ、まだ完全に覚醒しておらず、単にクンダリーニ症候群にそれほど悩まされない程度にまでナディが浄化されたのだと解釈できます。

近年、クンダリーニは急激型で覚醒するのが主流だと思われているようですが、緩慢型こそが本来のクンダリーニ覚醒法だと思います。何故かと言いますと、様々な古典を読むとクンダリーニは「自然に上がる」と書かれており、古典をきちんと読めば緩慢型の道しるべがはっきりと書かれているからです。最初は急激型のことを「自然」と言っているのかなと思っていたのですが、理解が深まるにつれて急激型が「自然」とは思えなくなりました。それは、急激型のイメージが最初に私の中にあったからそう読んでしまっていただけで、実際は緩慢型が書かれいるのだと理解するようになりました。

急激型のことなどどこにも書いていないのに急激型がクンダリーニ覚醒の本流のように世間一般で思われているこの状況は危険ではありますが、そうは言っても世間一般でクンダリーニ覚醒はそうそう起きないのでそれはそれで問題ないのかもしれません。あるいは、もしかしたら日本の仏教の一部の流派が急激型を基本としているような気もします。禅宗はそんな気もしますがどうでしょう。少なくともヨーガの古典を読む限りは、聖典のコンテキストは急激型ではなく緩慢型を意味している印象です。ゴーピ・クリシュナは座禅でクンダリーニ体験をしたようですし、禅宗に急激型クンダリーニのイメージが強いので、もしかしたら座禅と急激型は関係があるのかもしれませんがそこは謎のままです。座禅との関係というよりも、浄化(クリア)を行わずに瞑想をしてクンダリーニを目覚めさせるからクンダリーニ症候群になる、という推測はできますが私は禅宗に詳しくはないので単なる想像の範疇を超えません。

ナーダ音それ自体は単なる浄化の「しるし」ではあるのですが、意外にもそれはクンダリーニと繋がっているのが興味深いです。
このあたりの知識は見解によって多少異なるとはいえ割と似通っているのも面白いところです。


[追記 2019/07/01]

■カジューシャスの火

「クンダリニ― ある奥義体験(G.S.アランデール 著) 」には、クンダリーニと非常に似通った「カジューシャス」について記載されています。これはギリシア神話で「ケーリュケイオン」とか「カドゥケウス」とか言われている羽のついた蛇の絡まっている杖の姿で象徴されますが、同書によると、どちらも「火」と「活力」という点においては共通で、カジューシャスは単独で目覚めうるそうです。両者は混同しやすく、同じものと受け取りがちとのことです。この内容に基づけば、私が経験したのはクンダリーニではなくカジューシャスだった、という仮説が成り立ちます。

同書では比喩として、カジューシャスの火は「解放の道」をもたらし、クンダリニの火は「成就の道」をもたらす、という違いがあるとも述べられており、カジューシャスはその杖のシンボルに象徴されるように中央の「スシュムナ」と左右の「イダとピンガラ」のセットのことであり、同書によるとカジューシャスは低次処体内への拘束から解放する通路である一方、クンダリニの本質はより大きい意識と1つになるための案内役である、と記載されています。カジューシャスが低次の欲求や混乱から解放するものである一方で、クンダリーニはより高い次元へと導くのでしょう。

ということであれば、前記事で記載したような私の体験は、どちらかというと低次の欲求の解消の面が大きかったと思いますので、実際はクンダリーニではなくカジューシャスの体験だった、とすれば納得がいきます。とは言いましても、このように分けているのは神智学の一部の書物だけで、それも、同じ神智学でも「神智学大要」などにはこの記述はなくて「クンダリニ― ある奥義体験(G.S.アランデール 著) 」くらいにしか出てきませんので、多くの場合はクンダリーニとして一纏めにされているのが現状のような気がいたします。ヨーガ系でもこれら2つは分けられていませんし、これはトリビアとして心の端に留めておくくらいがいいのかもしれません。

それにしても、クンダリーニの経験は「ヨーガ行者には解脱を、愚者には束縛を与える。」と言いますし、一人でのクンダリーニ経験は危険ですから、私の経験がクンダリーニではなくカジューシャスだったということは、グルがいない私としてはこれで良かったのかもしれません。まあ、実は似たり寄ったりかもしれませんが。

■クンダリーニを2回に分ける

瞑想中に得たインスピレーションによると、私の場合にはクンダリーニ経験を2回に分けるというテクニックが使われているようです。それは私の守護霊の1人がヨガ系のガタイの良い修行僧みたいな人(霊)で、恐らくはシバ派あるいはどこかの流派のやり方のようなのですが、他の多くの流派では一回でクンダリーニを上げるので準備が整っていない人はクンダリーニ症候群になっておかしくなることが多々あるようですが、それを避けるために、私の守護霊の流派では伝統的に2回に分けてクンダリーニの上昇が行われるようです。その期間は数ヶ月開ける事もあればもっと長い事もあるようですが、最初は緩くクンダリーニを上げるようです。具体的には、1回目は左右1本づつ合計2本クンダリーニを緩く上げて、その後、時間をかけて体をクンダリーニに順応させます。まだ完全に準備が整っていなくても、1回目のクンダリーニでおかしくなることはほとんどないようです。このあたり、どのような感じだったかは 前の記事に書きました。(ちょっと紛らわしいですが、前の記事に書いた2回目がここで言う1回目で、ここで言う2回目は私は未体験です。)そして、体の準備が整ってから2回目の本番でクンダリーニ本体を上昇させるとのことですが、私の場合は2回目はまだです。2回目はやり直しがきかない一発勝負で、それが失敗したらかなり悲惨なことになるし、失敗すれば今生での霊的成長がかなり滞ってしまう、あるいは、完全に無理になる事もあるようなので2回目をいつ行うのかは守護霊が慎重に見極めているとのことです。私も、2回目をいつ行ってくれるのかは教えられていません。それはずっと後かもしれませんし、2回目は無理と判断されるかもしれないです。私の意志よりも守護霊の判断が重要のようです。瞑想の中での話なので本当かどうかはわかりませんけど、私はこれを「仮説」として理解しています。

これはある流派の秘儀であり、一般的には公開されていなくて、同様の情報を見つけるのは困難なようです。多くの流派は1回のクンダリーニで上げようとするようですから。私の場合は人間のグルはいなくて守護霊がかなり上級のヨガ行者のようなので割と見極めてもらっていると思っています。そこに確証はないですけど、たぶんそうだとなんとなく思っています。基本的にはグルがいないとこの種のことは危険かなとは思います。私の場合、クンダリーニの上昇は守護霊およびハイヤーセルフの意思がなければおそらく起こらなかったと思います。私はハタヨガなどの秘儀は書物は一応ハタヨガプラピディカとか読みましたが実践という意味ではそんなに通じていませんし、私が自己流でハタヨガを修行してクンダリーニを意思の力で上昇させるのが危険なのは明らかですから、私の場合、安全にクンダリーニ経験するには「あちら側」にいる霊やハイヤーセルフの意思に委ねるのが安全だったといいますか、そもそも私の意思なんて無関係で「あちら側」にいる霊やハイヤーセルフが全部お見通しで筋書き立てて経験させたのだろうと思っています。だからおかしくならなかったのかなと。そんな安全な筈のやり方であっても時々バランスを崩した事もあるので、2回に分けるやり方でなかったらどうなっていたのだろうかとも思いますが。補足しますと、「あちら側」にいる守護霊やハイヤーセルフに委ねたのは確かですけど、この世界は自由意志が尊重される世界ですので自分の意思とは無関係に勝手にクンダリーニ経験を与えることは許されておりません。その筈です。瞑想中に何度か守護霊やハイヤーセルフにコンタクトを取って、計画と言いますか、お願いおよび許可を出して、それを元に色々としてもらった、という感じだと理解しています。ですから、たまに聞く「瞑想していたら(運よく? 事故で?)クンダリーニが上がってしまった」とかいう状況とは私の場合はかなり違うのかな、と。

私が瞑想中に得たインスピレーションでそう思っているだけですので他の人はクンダリーニ修行など好きなようにしても良いと思いますが、私はこんな感じで理解しました。

この2回に分けることは広義においては文字通りクンダリーニを2回に分けることだと思いますが、神智学の「クンダリニ― ある奥義体験(G.S.アランデール 著) 」に記載されているように「カジューシャスの火」と「クンダリーニの火」に分けて考えると随分としっくりきます。これは言い方の違いだけで、おそらく同じことを意味しているのかなと思います。

[追記 2019/08/09]

■クンダリーニの覚醒、3分類

神智学系の「クンダリニ(ある奥義体験)(G.S.アランデール 著)」に以下の記述がありました。

クンダリニの発達には、全体として二つの系統があるように思う。その一つは、ゆっくりときわめて緩やかに、注意深く少しづつ進みながら、恐らくは高次の生にまで拡大してゆき、ふつうの成長と”同じ歩調”で発達する。もう一つは、最後の瞬間までクンダリニの積極的な覚醒をやらないでおくのであって、いわばまあ全てが安全で、大師が宣言を発せられるとクンダリニが一気に目覚めるのである。この方法は、ある意味からすると、もっとずっと危険をはらんでいるが、しかし個人が慎重を期せば、少しも危険なことはないだろう。(中略)後の方法はごく稀に行われるだけで、大部分は前の方法がとられる。

これは、他の書物で言われているような「クンダリニの性急な早すぎる目覚めが危険」と言う文脈とは若干異なり、最後まで覚醒しないで最後に急激に覚醒する、と言う位置付けのようです。と言うことは、3分類あるのでしょうか。

  1. 性急なクンダリーニの目覚めにより轟音と共に一気に上がる急激型。危険。一部のハタヨガや仙道の方法? 実は三つ目と同じ?
  2. 少しづつ上がる緩慢型。(神智学では)大部分はこれ。おそらく私もこのパターン。
  3. 最後まで覚醒しないでおいて、最後に一気に目覚める方法。(神智学で)稀に選択。実は一つ目と同じ?
以前にも少し書いていたと思いますが、クンダリーニが目覚めた時の「熱」のエネルギーをそのまま登頂にまで上げる方法は危険だと思います。「熱」はマニプラ、「暖」はアナハタ、と言うようにエネルギーの質が違うのですから、クンダリーニの「熱」をアジナにまで上げておかしくなるのは当然のような気も致します。