ヨーガ行者・本山博先生の体験

2018-11-11
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

「密教ヨーガ(本山博著)」には先生本人の体験談が述べられておりますが、そのムーラダーラ・チャクラの目覚めのところに以下のようにあります。

ある朝、いつものように御神前で行をしていると、尾骶骨から下腹部がとても熱くなり、下腹部の中に丸い、赤い、多少黒味がかった光が、熱い白い水蒸気がシュッシュッとみなぎっている真っ只中に、爆発寸前の火の玉のようにオドロオドロしく見えました。すると脊柱を、ものすごい力が頭頂まで突きぬけて、座ったままで自分の肉体が3~5cmほど上昇しました。ほんの1~2秒の出来事でしたが、たしかに自分の肉体が持ち上がったのです。非常な驚きと、恐怖と戦慄を感じました。身体中、頭中が熱くなって、その日は頭痛がして何もできませんでした。2、3日は体が熱かったように思います。また、頭頂や頭内にエネルギーがつまった感じがして、自然に頭頂のブラフマンの門のあたりをこぶしで叩きました。叩くと、いくらか気分が良くなったのです。これが最初のクンダリーニの上昇経験だったのです。

いくつかの体験談を見ると、このように、最初のクンダリーニ経験で体調を悪くされる方が割と多いように思われます。私の場合は上昇エネルギーが軽かったということもあるのかもしれませんが、エネルギーが頭頂から「抜ける」ということはありませんでしたし、頭痛もありませんでした。ここに2、3日は体が熱かったとありますが、私も、特に最初の2〜3日は体にオーラが充満していて体が熱かったです。日が経つにつれてその熱さは落ち着いていき、1週間くらいしたら熱さが安定しました。経験前よりは遥かに体が暖かいので寒さにも少し強くなりましたが、その熱さがとても強かったのは、たしかに、経験後2〜3日の間だったように思います。私は寝ていたので自分の体が上がったという感じではありませんでした。おそらく、私の場合も、クンダリーニのエネルギーそのものが上がったわけではなくその一部が上がっただけだと思います。クンダリーニのエネルギーの圧倒的な力を感じましたが、背筋の腰の少し上のあたりで感じたクンダリーニのエネルギーの高さと、上昇した一筋の光のエネルギーは比べ物にならないほど違いがあって、上がったのはほんの一部の一筋の光ではありますが、それでも、たったそれだけでも意識と体を活性化させるには(とりあえずは?)十分なほどだと思いました。本山博先生やシバナンダ 先生が言われるように、何度も何度もクンダリーニを上昇させることで上のチャクラを次第に活性化させてゆく必要があるのでしょう。

本山博先生によると、クンダリーニ経験を前後していくつかのチャクラが活性化するが、本山博先生の場合は必ずしも下から活性化して行ったわけではないようです。同書に述べられているサッチナンダ先生の見解によると、最初はアジナ・チャクラから活性化させるべきだと言います。ムーラダーラ・チャクラやスワディスタナ・チャクラにはカルマが眠っており、アジナ・チャクラが目覚めることでそのカルマを制御できるようになるので、その前にムーラダーラ・チャクラやスワディスタナ・チャクラが目覚めるとカルマが制御不能になって危険な状態に陥る可能性があるとのことです。

私の場合、最初のクンダリーニ経験の後、お腹のあたりがとても暖かかくて意識がかなり変わったので、おそらくはマニプラ・チャクラ(臍のあたりのソーラ・プレクサス・チャクラ)が活性化したように思います。まだ完全にアナハタ・チャクラ(胸のハート・チャクラ)は活性化しておりませんが、少し動いてきた感じがあります。クンダリーニ経験の前はカルマに翻弄されて意識が持っていかれることも時々あったので、多少なりともムーラダーラ・チャクラやスワディスタナ・チャクラが動いていたのだと思います。マニプラ・チャクラが動き出したことにより、カルマに翻弄されることが減った気がします。世間では哲学書や宗教書で「気付き」が深まることによりネガティブが減るという教えがありますが、マニプラ・チャクラの意識は「気付き」ではないですね。意識の波動が切り替わることにより、そもそもネガティブのレベルに落ち込まなくなる、という感じです。おそらくは、「気付き」が重要というのはそれはそれで正しくて、マニプラ・チャクラが目覚めていない状態では「気付き」によって気を付けて自らの発言や行動を抑制するしかない、という経験則による教えなのかなと思います。そうして道徳的な生活を送ることにより浄化してゆくのかな、という気がしますが、それと、マニプラ・チャクラなどで感じる絶対的な意識の変化とはかなり別物のように思います。

最初のクンダリーニ経験から数週間経った後、次第に意識のレベルとエネルギーのレベルが下がってきているので、意識とエネルギーが元の状態に落ち込まないように生活習慣や行動にも気をつける必要がありそうです。ですから、まだまだここが終わりではなさそうです。