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クンダリーニは必ずしもスシュムナから上げる必要はない?

2018-12-10
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

■クンダリーニは必ずしもスシュムナから上げる必要はない?
ピンガラからクンダリーニを上げるとクンダリーニ症候群になる、と上で書いたのですが、Swami Satyananda Saraswati著の「Kundalini Tantra」には、「スシュムナからクンダリーニを上げるのが通例のようになっているけれども」、という前置きの後に「古典には必ずしもスシュムナから上げる必要がないと書いてある」とありました。ピンガラから上げた場合は外的に働きかけるシッディ(パワー)を得て、イダから上げた場合は未来を見通す力を得て、スシュムナから上げた場合はジーヴァンムクタ(生きながらの解脱)を得る、と同署には書いてあります。おそらくは古典の目的が解脱であるためにスシュムナから上げる方法を記載してあるのだ、とSatyanandaは解説しています。イダとピンガラを目覚めさせるのに比べてスシュムナを目覚めさせるのは格段に難しく、特別なノウハウが必要になり、グルの助けあるいは神的な力の助けが必要になるとのことです。であれば、ピンガラのパワー系シッディである物体操作・破壊の力が使えるインドの聖者であるとか、イダの透視系シッディである千里眼や予知能力の力が使える西洋の魔女とかが必ずしも解脱していない、というのも納得できます。イダとピンガラが目覚めるのは早くてスシュムナが難しいのであれば解脱した人を見つけるのが難しいのも理解できます。インドの聖者の特徴として、インドは修行者に男性が多いためにピンガラが開花しやすく、よって物体操作系の話が多いのだと思います。一方、欧米の魔女は女性ですからイダが開花しやすく、よって、透視系の話が多いのも理解できます。もちろん両方あるいは逆の場合もあるでしょうが、多いのはこのパターンかと思います。

そして、解脱を目的にしている人たちは往々にしてシッディの力を持っているがそれを重要視せずにスシュムナによる解脱を目指しているのも理解できます。解脱が難しいからこそシッディに拘らずに修業をしているのですね。シッディ(力)が目的であればそれに迷わされてしまい、往々にして解脱に辿り着かなくなってしまうのでしょう。

私の場合、スシュムナが動いたような感覚はまだなくて、単に2本の光の筋が通っただけなので、解釈としてはイダとピンガラが通ったような気もするのですが、多くの書籍には「スシュムナが浄化されて初めてクンダリーニが目覚める」と書いてあるので、このあたりがよく分からなかったのです。「であれば、私のは何だったのだろうか?」と言う疑問がありました。Satyanandaの解説に基づけば、それも十分あり得ると解釈できます。とは言っても、現時点では上記に書いたように体力がついたり睡眠時間が減ったり意識が向上した以外は得に取り立てた変化もなくて普通に体力がついただけなのとそう変わらない感じなので、まだまだだ、という感じです。一回通っただけでは不十分でその後のメンテナンスが重要とも言いますしね。



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