クンダリーニをサハスララまで上げる(同テーマ&時系列の前記事)

ナーダ音が聞こえるのは右か左か、それとも両方か?

2019-06-03
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

この記事は 「アナハタ・ナーダの聖音とクンダリーニ」 と 「仙道におけるクンダリーニ、性的欲求の克服(馬陰蔵相)」 の続きです。

■再度、「左右」のお話
飛び飛びに記載していましたので、ここにまとめておきます。

  • 「瞑想をきわめる(スワミ・シヴァナンダ)」 → 右耳(前のページに引用)「アナーハタの音は右の耳から聞こえます。」とあります。
  • 「Meditation and Mantra (Swami Vishnu-Devananda著)」 → 右耳(前のページに引用)「右耳でのみ聞く訓練をしましょう」という立場。
  • 「ハタ・ヨガ・プラディーピカ(Hatha Yoga Pradipika、Swami Vishnu-Devananda著)」 → 右耳。「右耳で聞こえる」とだけ書いてあります。
  • 「ヨーガ根本教本(佐保田 鶴治著)」 → 右耳。「右耳で聞くべし」と書いてあります。
  • Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修) → 左右は重要ではない、という立場。(前のページに引用)
  • スピリチュアリスト、ドリーン・バーチュー → 左耳(彼女の体験)
  • 「オーラ13の魔法の法則(小宮ベーカー・純子著) → 左右の記述なし
前のページに書いたように「右から聞こえるのがピンガラ。左から聞こえるのがイダ」と最初は解釈しました。最近の(私の)仮説は「ハタ・ヨガ・プラディーピカの著者は右側のピンガラが優性だった。左側のイダが優性だと左側から聞こえる。両方活性化されていると左右両方から聞こえる」のかなと思っています。であれば、ヨーガ行者の多くが男性であれば右のピンガラが優性な人が多いのもうなずけますし、女性が左のイダが優性で左耳から聞こえやすい、というのは理にかなっています。

ただ、書籍によっては左右の記述はなく、単に内なるアナハタチャクラの音を聞く、とだけ記載されていたりもします。

ちなみに私の場合、最初は明らかに「左耳」で聞こえていたのですがやがては両方の耳から聞こえるようになり、今は左耳の方が音量が大きい、という状態です。 自分がこんな感じに聞こえていなければ(おそらく)ここまで拘ったりしないです。 聖典と違うのは何かが問題なのか、あるいは、それでもいいのか、と言うのは微妙ですがそれなりに重要なお話です。

他の(私の)仮説は、そもそもこの「右耳」の話はハタ・ヨガ・プラディーピカ 4章67版に書かれてあるのが元と思われますので、実はそこは単に右耳から聞こえるというだけでなく、アサナの説明の中で右耳から聞こえる、と書いてありますので、そのアサナを練習すると右耳から聞こえるようになる、とも解釈できなくもないです。でも、それほど右耳に特化しているアサナのようにも思えませんが。

ですが、やはり Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修)の「左右は重要ではない」と言う説明が一番それっぽいです。考えすぎですかね。

■新しいナーダ音
2019年5月末。その後、新しいナーダ音が聞こえ始めました。これがナーダ音かどうかは微妙なところですが、普段聞こえている高周波(4096Hzに近い)のピーという音に加えて、それよりは音量が更に 1/5 くらいのとても微妙な音が聞こえ始めました。それは、微かな「グワン、グワン、グワン」という感じの音で、とても音量は小さいけれども「大きめのシンギングボール」が「低めの音」で、「遠くからかすかな音」で聞こえている感じです。

私の場合、普通のナーダ音は普段の生活でも普通に聞こえているのですが、この新しいナーダ音は周囲が聞こえないと気付かないくらいとても繊細な音です。最初は遠くの音かとも思いましたが、ヨガスタジオや家でも変わらず聞こえますので、微妙なところではありますがとりあえずナーダ音認定してあります。「Meditation and Mantra (Swami Vishnu-Devananda著)」にも、「小さな音量のナーダ音を聞くようにしましょう」みたいなことが書かれてあったような気がしますので、私は基本はこれに従って、なるべく小さな音量のナーダ音の方を聞くようにしています。

これは、今まで聞いた他のナーダ音のように一定の音ではなく、まるで声か音楽のようにリズムがあります。トンネルの中の空気の圧力というか音がこだましたグワングワンした感覚にちょっと似ていなくもないですが、そこまで大きい音ではないです。

何か、今まで聞こえてきたいくつかのナーダ音とはどこか違っている感じを受けます。今まで聞こえていたのは自然界あるいは肉体あるいはアストラル体の構造的なものから一定の微細な音が聞こえる、という雰囲気でしたが、今回は、どこかリズムがあるような気がします。喋る時の抑揚に似ているかもしれません。言語としては理解できないのですが。

これがひょっとしたら、いくつかの書籍で書かれていた「ナーダ音の言語化」に繋がってゆくのですかね? まだ意味の解釈はできませんが。

■六角形の結晶のナーダ音
つい先日、いつものピーと言う高周波のナーダ音が違って聞こえることがありました。音だけでなく、まるで六角形の結晶が何百個も何千個も寄り添ってそれぞれ振動して響いているかのようなイメージも感じました。いつものピーと言う高周波を細かく見聞きするとそんな感じになるのかな、と。ナーダ音は耳で聞こえるものなのに、何故かこの時は映像のイメージで見えたのです。イメージと音とを同時に見聞きしました。高周波のピーと言う音はそれを聞いて終わりではないのかもしれません。もしかしたら古典や聖典に書かれてある「微細なナーダ音を聞くようにしましょう」とは、微細なナーダ音が別にあるのではなくて既存のナーダ音をしっかりと細かく見ると別の音や姿で見える、と言うことなのかもしれません。 一回見ただけなのでまだそれほど確証はありませんけど。

これは、すぐ上にある「新しいナーダ音」とは別物で、完全に既存のナーダ音を詳細に見聞きしたものです。

初期に聞こえていたベルの音だとか虫の音の変形バージョンとも言えなくもないですが、それよりも遥かにパワフルな感じです。実は元々同じ音で、聞こえやすくなったから音が重なってピーという高周波に聞こえていたけれども細かく見ればそれは元々一緒の音なのかもしれません? ベルの音や虫の音を「音の波形編集ツール」とかで何重にも重ねたらきっとそれは高周波成分になってただのノイズというかピーという高周波に近づくかもしれません? でも、それぞれの音を分解してみるとまたベルの音や虫の音に戻る? 元々聞こえなかった音が心で聞こえるようになって、聞こえすぎるからピーという高周波になって、更に集中が進んで細かく見れるようになるとそれぞれが結晶で見えてくる、という仮説を立ててみます。 音が沢山重なっているからピーという高周波はパワフルなのも理にかなっています。まだ仮説ですけど。

■言語
例えば、以下のように、ナーダ音はやがて言語化されて理解されるようになる、と多くの書籍に記載されています。

クンダリーニが動き出す時、時々、内部の声あるいはそれに類する音が意識の深いところで聞こえるようになります。実際の現象は理屈で説明するのはとても難しいのです。と言うのも、それは物理的な音というよりは感覚的なものだからです。それは時には2つの木がお互いに話しているかのようなものです。これは、高い意識の状態です。最終的に、内部の声は純粋な振動になり、映像でもなく考えでもなく音でもないものになります。しかし、それでも、それを通じて理解することができます。まるで言語を話しているかのように。 (Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修) P564)

他には、上に引用した「ダライ・ラマの密教入門」にも類似のことが書かれてありますし、覚えきれないくらい当たり前のように色々な書籍で見る気がします。実際にそこまで到達する人はそれほど多くなさそうですけれども。

私が最近聞こえ始めた、新しいナーダ音が「それに類する音」かもしれない? まだ様子見です。
「2つの木がお互いに」と言う記述は、「六角形の結晶のナーダ音」に近いものなのかもしれません。こちらも、まだ様子見です。

■音楽っぽいナーダ音
2019年5月末。基本はピーという高周波であることには変わりがないのですが、ここ最近、何やら、音楽っぽく聞こえてきました。

上にも書きましたがナーダ音は「天空の音楽(ピタゴラス派)」とか「クリシュナの笛(ヒンドゥ教)」とも言われていますが、今までのナーダ音は「音楽という感じでもない」と思っていましたので、どうもこの表現が腑に落ちなかったのですが、ここ最近は音楽っぽくなってきましたので、この表現はなかなかそのものズバリの表現かもしれない、という感じになってきています。

聞こえているナーダ音はピーという高周波が基本で、高周波には変わりがないのですが高周波の中の狭い周波数のレンジ内で音程が多少は上下していました。今まではその上下はあまり気にしていなかったと言いますか、とても長い周期でちょっとづつ変わっていくような感じだったと思います。なので、基本は割とピーという一定音っぽい感じで聞いていたのですが、今までよりちょっとだけ短い周期で音程が上下するようになった気がします。

何ですかね、この違いは。例えて言うのであれば、コンサートホールのアリーナほどははっきり聞こえないにせよ、外100mで漏れ聞こえる音とコンサートホールのエントランスで漏れ聞こえる音との違い、とでも言いましょうかね? 今までは、 何やらノイズっぽい音が雰囲気と共にコンサートホールの外100mまで流れ出て聞こえてはいるものの音楽とはあまり識別できないでいたのに対して、最近はエントランスまで近づいて昔より音楽っぽく聞こえてきた、と言いますか。

それと当時に、聞く側の私の心の変化もあると思います。ナーダ音が聞こえるようになる前は音楽を聴いたりしていましたが、ナーダ音が聞こえてからは音楽をほとんど聞かなくなりました。昔はクラシックであっても多少は旋律がはっきりしたものが音楽という固定観念があったのに対して、今はどんどんと好みがマイルドになってきて、それ故に、こんなシンプルなナーダ音であっても音楽のように聞こえるようになった、という違いもある気がします。音楽だけでなく食べ物も飲み物も薄味になってきています。昔であればこんなシンプルなナーダ音の旋律は音楽とは認識していなかったと思います。その心の変化もあると思います。

今までも音量が変わったり聞こえ方が若干変化したりはしていましたので、おそらくは元の音はそれほど変わっていないような気もします。昔も、時には変わって聞こえたり音程が変わったりしていた気がしますので、今までもたしか同じように変化しつつ聞こえていたと思います。音程が変化するという点に関しては前から変わらないにせよ、言葉で言い表すのは難しいのですが、何か、聞こえ方と言いますか、聞こえる感覚が違っているのです。昔は音程が変化してもあまり気にならずに「そんなものか」と流していたと言いますか、音程が多少上下しても心はそれを「一定」と認識していたのですが、今は、同じように音程が変化する音を「音楽」として認識し出したのです。ということで、ナーダ音が変わったというよりも、それを聞く側の認識と言いますか心が変化したのかもしれません。あるいは、両方かもしれないです。

以前聞こえていたナーダ音をはっきりとは再現できないのですが、比較対象として上にリンクのある4096HzのYoutubeと比べてみたところ、ちょっと合わない感じです。であれば、やはりナーダ音もちょっとだけ変化したのかもしれません。

ここから更に音楽っぽく聞こえるようになるのか、あるいは、ここで終わりなのかはちょっとわかりませんけど。まだまだ様子見です。

上に引用した「7種類の音」に分類するならば、今まではっきりと認識できたのは1番「ウズイスの声」、2番「銀のシンバル」、3番「貝から聞こえる海のメロディ」までははっきりと認識できており、最近までの聞こえ方がヴィーナなのかフルートなのか区別が付きにくかったのですが、どうやら新しく聞こえてきたのは「フルート」っぽい感じですので、最近まで聞こえていたピーという高周波はきっと4番の「ヴィーナの歌」なのでしょうね。ヴィーナは日本人には親しみがないですがYoutubeで検索するとそれほど高い音程でもなくて割と中間の音程っぽい感じですので、5番のフルートあるいは竹の笛の音よりも低い音だとすれば、最近までが4番の「ヴィーナの音」で、ここ最近ようやく5番「竹の笛、フルート」が聞こえつつあるのかな、という感じがします。以前書いた上の方の記述には5番のフルートが聞こえたような記述もありますけど、それは4番のヴィーナに訂正ですかね。

今5番だとすれば、あとに続くのが6番の「ラッパの音、トランペットの一吹き」と7番の「轟々たる雷鳴」ですね。ナーダ音が聞こえ始めて1年半ほど経ちましたが、ちょっとづつ進んで行くのですね。面白いです。

2017年11月前後〜2018年始め:1番「ウズイスの声」、2番「銀のシンバル」、3番「貝から聞こえる海のメロディ」音量は最小
2018年始め〜2019年5月中旬:4番「フルート」普段の生活でも常に聞こえるようになる
2019年5月後半〜:5番「竹の笛、フルート」。感覚の変化。音楽っぽい感じ



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