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音のないところ

2019-03-07
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

この記事は 「アナハタ・ナーダの聖音とクンダリーニ」 の続きです。

ハタ・ヨガ・プラディーピカ(Hatha Yoga Pradipika)4章101~102番に「音のないところ」の境地が描かれています。この記述は難解な部分もあるので幾つかの書物を見比べてみます。

(4章101~102番) アナーハタ音のひびきが聞こえる間は虚空についての想念はまだ存在している。かの音も無いところが至上の梵、至上の我であるとうたわれている。音の形で聞こえるものはシャクティに他ならない。すべての存在の没入する場であり、そしてなんらの形相の無いものこそが至上神(アートマン)である。 「ヨーガ根本教本(佐保田 鶴治著)」
(4章101~102番) アーカーシャの概念(音の生成)は、音が聞こえている限り存在する。音の無い状態はパラ・ブラフマンあるいはパラ・アートマンと呼ばれている。ナーダとして聞こえる音は何であれ、それはシャクティであるに過ぎません。最高の真実は形がないものです。それこそがParamesvara(至上の主、Supreme Lord)です。「ハタ・ヨガ・プラディーピカ(Hatha Yoga Pradipika、Swami Vishnu-Devananda著)」
(4章101~102番) アーカーシャの概念(音の本質)は音が聞こえている間は存在する。音のない状態こそが最上の真実であり、至上のアートマン(Supreme Atma)と呼ばれている。神秘的なナーダの働きとして聞かれるものは何であれシャクティに過ぎない。全ての要素(panchatatva: panch + tatva, 五大元素, Prithvi (Earth), Jal (Water), Agni (Fire), Vayu (Air) and Akash (Space))が中で溶解しているもの、それこそが形のない存在(formless being)であり、至上の主(Supreme Lord, Parameshwara)である。「Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修)」

Swami Muktibodhanandaによる解説を引用します。
五大元素はそれぞれの質(quality)を持っている。音はアーカーシャ・タットヴァの質であり、五大元素のうち最高で最も繊細なものです。音が存在していることを意識していたり、あるいは、貴方が音そのものであったとしても、そのような状態であるうちはまだ貴方は最高の状態の中に溶け込んではおらず、まだ最高の状態になってはいません。アートマンの中では"これ/存在する(is)"とか"これではない/存在しない(is not)"という概念は存在しない。よって、"音が存在する"とか"音が存在しない"という概念も存在しない。よって、音が聞こえているということはアートマンの中にはいないことがわかります。「Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修)」

おそらく、このあたりがナーダ音の真実の最終理解なのでしょう。意識の壁を突破しなければこの最終的な状態は理解できないのかなと思います。

同書では、この後にスピリチュアルで有名なたとえ話「波と海」が紹介されています。
個人としての存在は例えるなら海における波です。波は海とは隔てられているように見えるかもしれませんが、しかしながらそれは全体の一部であります。「Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修)」

このたとえ話は有名すぎてスルーしてしまいそうなところですが、ナーダ音の最終理解と結びついてこの話が出てくるところがとても興味深いです。このたとえ話はわかるようでいてわからない話で、とりあえず頭で理解することはできますが、いくら理解してみたところで私という存在はあくまでも個人として分かれているし、それが一緒だと言われても最初はよくわからないわけです。世間で多くの場合はこのたとえ話は「道徳」として語られているように思えますが、このハタ・ヨガ・プラディーピカでそれがまさにナーダ音との繋がりとして説明されているところがとても興味深いわけです。

瞑想はやがてサマーディになる。その時、意識は瞑想の対象(Object)と一緒になり、二重性は融解する。「Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修)」P452

よって、ナーダ音の場合はナーダ音そのものが瞑想の対象(Object)であり、ナーダ音との二重性を融解させるところが次の目的地になります。

アートマンの属性はサッチダナンダ(satchdananda, Sat:存在 + Chit:意識 + Ananda:至福)として知られている。私は存在(Sat)している、私は意識(Chit)している、私は至福(Ananda)だ、私は執着していない、私は光に満たされている、私は二重性に囚われていない、という状態。音を対象(Object)としたサヴィカルパ・サマーディです。「Hatha Yoga Pradipika (Swami Muktibodhananda著, Swami Satyananda Saraswati監修)」P589

音と同一化して、音が聞こえないところにまで到達することがサマーディである、と解釈できます。サマーディには各種あってサヴィカルパ・サマーディはその1つです。

そう言えば、クリアヨガの先生とナーダ音について話をした時に、「その音の発生元を確かめなさい」と言われたのを思い出しました。その意図としては、「物理的な音でないことをまず確認しなさい。ナーダ音であるならば内から聞こえている筈で、その場合でも、内なるナーダ音がどこから聞こえているか確認しなさい」と言われて、前半部分はともかく、後半部分の理解がその時はあまりできなかったのですが、今思えば二重性やサマーディに関することを言っていたのかなと推測できます。

こうして「ナーダ音のないところにまで達するべきだ」「ナーダ音の発生源を見つける」「ナーダ音やその発生源と一体化する」、と道が示されました。その先にはサマーディが続きます。サマーディによってナーダ音は消え去る筈です。おそらく。もしかしたらサマーディ中だけ消え去るということなのかもしれませんが、そこはまだ体験していないので分かりません。



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