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チャクラの花びらと浮き上がった感覚

2019-08-02
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

■チャクラの花びら(蓮の花)
後頭部のあたりから前方方向に花びらのようなオーラが広がっている感覚。赤ちゃんの頭巾やフードのように頭の周囲にひらひらと何かが漂っている感覚。頭巾とは違って花びらのように1本づつ分かれています。最初は割とまとまりがなくて上下左右に広がって揺れていました。これはオーラの形がなんとなくそういう感じに見えた(気がする)というだけで、本当の花びらがあるわけではありません。ひまわりの花のようにも見えます。伝統的ヨーガのチャクラでは蓮の花びらですが、オーラの花びらが咲いているかのような感覚。最初はゆらゆら動いていましたが、定(じょう)が深まって集中力というか観察力が高まるにつれてそのオーラの花びらの先っぽまで気が行き届くような感覚。最初は風に揺られるように規則性がなく揺られているだけでしたが、定が高まるとそのオーラの花びらは、まるで、刺激を受けて気が入った動物の尻尾のようにオーラの花びらの先っぽまで意識が入り込んだ感じがします。そうすると、オーラの花びらはだんだんと筒状になるというか根元からピンと伸びてきて、花びらの先っぽが前方向を向きました。今までそれは後頭部のチャクラのお話でしたが、花びらの数は数えられませんでしたが10以上はありました。アジナは二つなのでアジナではないのかもしれません。後頭部のような気がしましたがヴィシュッダだったのかも? ヴィシュッダだとしたらもしかしたら16かもしれません。そんな状態に続いて、ハートの花びらも同様にひらひら状態だったのが意識が入るにつれて先っぽが前方を向くようになりました。定が深まって集中力と観察力が更に高まると、お腹のあたりもちょっと硬くなる感じがしました。お腹の花びらは感じませんでした。今回、花びらは後頭部とハートだけです。今回の定(じょう)の安定度は今までより高かったように思います。花びらの動きは、集中力と観察力に応じて形が変わる気がしました。まあ、瞑想中のお話ですので、そんな気がする、というくらいですけど。

■浮き上がった感覚
上記のチャクラの花びらの瞑想の後の方で、体は座ったままなのですが、意識の体だけ数センチ浮き上がった感覚が何回かありました。
これはヨーガ行者の経験談で度々聞くお話です。それほど珍しいことでもないようです。今まであまり気にしていませんでしたが、何かの段階の「しるし」だったかもしれませんので、そのうちまた書物を確認してみます。たしかヨーガ根本経典あたりで実際の肉体が宙に浮くお話はあった気がしますが、「意識だけ」のお話はどこにありましたかね・・・。まあ、魔境の一つとして無視しといても良いのかもしれません。これだけ熱心に書物を探すほどでもないですが、何かの折にたまたま見つけたら確認する、というくらいの低い重要度です。

■消しゴム
そういえば20年くらい前にどこかのスピリチュアル本で読んだことをふと思い出したのですが、エゴを消すにはイメージで消しゴムを使ってエゴを消したり、体と周囲の境界線をイメージ上の消しゴムで消したり、トラウマを消しゴムで消してゆけば良い、と書いてあったことを思い出しました。何故こんなことを思い出しかと言いますと、「悟りに至る十牛図瞑想法( 小山 一夫 著)」の心身脱落の説明のところに、周囲との境界を消してゆく、という方法が書いてあったからです。瞑想中に周囲との境界線を消して溶け込ませてゆけば自我がなくなる、という方法のようです。特別私はこれをお勧めはしませんけど、思い出しましたのでメモ書き。

■魔境
先日の続きですが、根拠は不明確で今後更に確認が必要なところではありますが、私の内なるガイドが瞑想中に教えてくれたことによりますと、いわゆる魔境というのは瞑想の仕方が間違っている(あるいは組み合わせが良くない、あるいは瞑想とその人の相性によって生じる。しかしながら瞑想の仕方が間違っていることがほとんど)とのことです。例えば、周囲との境界線を消して溶け込ませるという方法が人によっては魔境を作り出すと言います。私の場合は多少ながらその傾向があるので、消しゴムとかを使って瞑想中に周囲との境界線を消すことはしなくて良い、みたいな指示がありました。その時のインスピレーションの説明では、周囲との境界線を消すのは自然に起こることなのでわざわざ消しゴムを使う必要はないし、消しゴムや意思の力で境界線を消そうとするとオーラが発散してしまう。境界線を消してエゴを消すよりもオーラを発散させないことの方が重要なので、オーラの質を純化することが手段で周囲との境界線が消えるのは結果であり、わざわざ消す必要がなくて、オーラは自分の周囲に留めておくこと。オーラが発散してしまうと先日の神道の神秘の鎮魂のお話のように周囲の雑多な印象を取り込んでしまうことがあり、それが魔境を引き起こす。というようなお話が内なるガイドからありました。

先日の書物の理解ですと無意識に眠っている、ヨーガ的なサムスカーラと思われる「印象」が表に出てきて魔境になるのかと思っておりましたが、その説明とは若干この説明は食い違っています。まあ、このあたりも様子見です。両方あるのかもしれないですね。理屈で言うならばサムスカーラは溜まっているものですから有限で浄化のしがいもありますけどオーラが不安定になって周囲から拾うのであれば限りなく続いてしまうので、前者はどうにかなりますけど後者はその点はどうにもならないので後者の方はオーラを閉じるというか自分の周囲に留めるしかない気もします。



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