■オーラの交換
誰かを気にする時、エーテル体(幽体)が伸びてゆき、一部が混ざる。
混ざることにより相手のことがわかる。
接続を切り離すと、自分に相手のオーラが残る。相手にも自分のオーラが残る。
よって、相手を思うだけでオーラ交換がなされる。
これが基本的な仕組み。
エーテルの筋を自分が伸ばす場合もあれば、向こうから伸びてくる場合もある。
であれば、自分があまり汚れずに相手を知るには細いエーテルの筋を伸ばす。
鋭く、細く意識する。なるべく少ないオーラで相手と繋がり、少ないオーラの交換で多くを知る。
又、意識しなくとも誰かの近くにいだけで自然にオーラ交換が行われます。
ちなみに、憎い相手を思えば思うほど同一化するのもこの仕組み。
逆に、自分より精神的に進んでいる人と付き合うと成長するのもこの仕組み。
この真実性はオーラが見えなければわからないかもしれないですが。
■カフナ式
上記は私が子供の頃に幽体離脱した時に知ったことですが、似たような記述を見つけました。
カフナ式に言えば、エーテル体をターゲットに突き刺す。すると自動的に内容物は漏れ出てくる。この時に、対象をじっと見ている体制で情報は入ってくる訳ではない。(中略)ターゲットにエーテル体という情報ケーブルを接続した後、情報は他者的に流れ込んでくるのではなく、あたかも自分の体験として受け止められる。「精神世界の教科書(松村 潔 著)」
このカフナ式の説明が私の内容にとても似ています。ちなみにこの後、著者は量子論だとか自我とか自己意識だとかに結びつけてこのことを説明していますけど、カフナ式の話はそういうことでもなくて単純にオーラの使い方と性質を言っているだけだと思います。量子論はオーラの元になっている分子の一つ一つのもっと細かなお話ですし、自我だとか自己意識というのもかなり微細なお話ですけど、このカフナ式のエーテルの話はかなり肉体に近いオーラの性質のお話だと思います。エネルギーの法則的なところに似ていると思います。ケーブルが繋がれば情報が流れるしエネルギー的に高いところと低いところが混ざり合って一定に落ち着く、という単純なお話です。
完全に混ざり合うことはほとんどないですが、心を許せば許すほど同一化します。繋がって勝手に同一化するのが基本で、自分が許せばそれが加速される、という感じです。
■愛し合う人
恋人同士が同一化するのも同じ仕組みです。
■奪う人、奪われる人
他人の活力を奪って活動する人の仕組みも同じ。周囲にエネルギー供給者を配置して、強制あるいは操作あるいは共依存で離れないようにした上でエネルギーを吸い取る。パワハラな人ほど出世するのもこの仕組み。周囲からパワーを奪う仕組みを構築している。
■「個」が重要
だから、精神的に成長すればするほど「個」が重要になる。そうでないと足を引っ張られる。個を重視するのは穢れを避けるため。エネルギーを奪われないようにするため。精神的に成長すればするほど「根源」と繋がって落ち着いてゆきますが、穢れた人との接触が成長を妨げるようになってゆきます。
■他人を気にするのをやめる
であれば、電車の中で他人を気にするのはやめる。そうすると穢れが抑えられる。エネルギーのレベルが低い人との付き合いは辞める。そうすることでエネルギーを奪われないようにする。他人からエーテルの筋が伸びてきた場合は意思で叩き落とします。そうすることで穢れを妨ぎます。あるいは鏡のような防御膜を作ってエーテルの筋突き破らせないようにします。あるいは守護霊にお願いしてエーテルの融合が起こらないように監視してもらいます。最後のはそう心の中でお願いするだけです。
そこまで行かなくても、基本的には細々とした雑念に惑わされるのはやめる。テレビのニュースもあまり気にしない。芸能人にウキウキしない。
芸能というのは、その人を(遠隔であっても)気にかける人が多ければ多いほどオーラ同一化して芸能人のエネルギーが高まるのです。その最たるものが戦前の昭和天皇で、日本全国民のエネルギーを集めて奇跡が行えたと言います。戦後に天皇に対する信仰が薄れればエネルギーレベルも下がり、奇跡を起こせなくなったのも当然と言えます。
人々がこれらのことに無頓着ですので、例えば品のない芸能人が脚光を浴びることで善人からエネルギーを奪い取るシステムが長らく構築されてきました。芸能ほどではないですが会社の上司部下というシステムもエネルギーを奪い取る構造が見て取れます。
本来はエネルギーを奪わないシステムが必要なのですが、この世の中はそうはなっていません。奪い合うシステムに組み込まれている人はなかなか抜け出せない。精神的に穢れている人ほど他人の共感を必要としていますが、共感すれば共感した側も闇に引きずり込まれてゆきます。引きずり込まれるということはカルマでもあるわけですけれども。
■精神不安定とオーラ
オーラが混ざるのは、精神的に混乱している時が一番混ざりやすいです。ですから、とても嫌なパワハラ上司が純粋な部下と溶け合って両方の中間くらいに落ち着く、みたいなことがよく起こりえるわけです。精神的に未熟で他人から奪うことで生きている上司がいたとして、その上司を助けようとしても実際はオーラが混ざり合うのです。混ざり合わずにお互いがそれぞれ成長するか、あるいは混ざるか、の二択ではあるのですが、助けるという選択をしただけで助ける方も引きずり込まれてゆきます。
■学校教育とオーラ
ですから、特に子供は付き合う相手を選ばなくてはなりません。朱に混じれば赤くなる、というのは真実ですから。
学校教育はその点、協調を重視していますから精神性にとっては最悪です。エネルギーヴァンパイアの隣の席を強要されたらどんどん穢れてゆきます。その一方でエネルギーヴァンパイアは回復してゆくでしょうけど、巻き込まれる方はいい迷惑です。拒否できませんし。虐待に近いですよ。一旦混じり合うと、かつて精神的に安定していた人が穢れて簡単に落ちてゆくのです。学校が荒れているのも当然ですよね。真面目だった人がキレるようになるのも同じ仕組みです。そりゃ、穢れを貯め続ければキレもしますよ。
これからネガティブが世界的に増加するでしょうが、付き合う相手を選ぶのがますます重要になってくるでしょうね。学校選びも重要。同じ学校の生徒は同レベルに均一化します。
社会や学校で、エネルギーを奪いたい人は言葉巧みに「交流」だとか「社交性」とかいう罠を張ってきますが、それが本物なのかあるいは強制・操作・共依存のエネルギーヴァンパイアなのか見極める必要があります。子供はなかなか厳しいですけど、登校拒否と転校をもっと気軽できるシステムが必要だと思いますし、学校内でも同一化を先生が強要せずに学校というジャングルの中でそれぞれのグループを守るような運用が必要ですよね。社交とかは同程度のレベルの人の間で行えばいいのです。程度の低い人ほど社交だとか人付き合いとか言ってエネルギーを奪ってゆきますから気をつけねばなりません。
■防御法
エーテルの管が延びてきたら、それを避けるかエーテルの何かで防御します。ブログではなかなか書けませんが、守護霊に聞けば教えてくれると思います。エネルギー的なストーカーへの対処は迅速に。何か違和感があれば瞑想してエーテルの管をまず切ること。気付かぬうちにエネルギーのパイプを繋がれていてエネルギーを抜かれている時があります。基本は、エネルギーのパイプを断ち切る、と意識するだけで良いです。
世の中には酷い人がいて、平気で足を引っ張ってきます。そのような人への対処は色々と考えられますが、直接対応しますとこのような同一化で自分も引きずり込まれますから、それよりも、守護霊に頼んでその人が自主的に離れるよう仕向けた方がいいと思います。もちろん自分で精神的なバリアを張って物理的に離れるのが大前提ではありますけど。精神的に奴隷にならないようにするのも大事です。最終手段として攻撃あるいは封印に近い方法もありますけどお勧めはしませんしできる人も限られてきます。
■経済的自立の必要性
穢れないためには、経済的自立も本当に重要です。経済的自立していなければ上司の強要に精神的に屈服せざるを得なくて穢れてゆきます。
■パワハラとカルマ
メンタルやられる人はかなりの高確率で他人の穢れを沢山引き受けたと思われますし、パワハラでメンタル壊す人の場合は上司の穢れを引き受けているわけですから、本来は上司自身にその穢れを引き受けさせるべきなのです。実際はオーラが部下に移って部下がカルマの償いをすることになります。
これって、道徳的に考えると上司が何か罰則を受けそうな気もしますけど、部下が「受け入れる」ことをしたがためにカルマは部下に移るわけです。カルマの法則って時に不平等に見えますね。上司は穢れを作り続け、カルマは部下が引き受けるわけです。部下がパワハラで退職しても上司は部下を取り替えるだけです。この世の姿は仮の姿で自分も相手も実は一緒ですからこんなことも起こり得るわけです。まあ、一旦仕組みをわかってしまえばパワハラ上司には関わらずに会社辞めるか部署移動するのが一番だとわかるわけですけど。そんなカルマをわざわざ引き受ける必要はないわけです。基本は自由意志に基づきますので、カルマを引き受ける代わりに高い給与をもらうことを受け入れるとか、そういう判断はできます。ただ、世間では安月給とパワハラが結びついていることが多いように思いますので、この種のカルマの引受は割に合わない気が致します。
■2種類の人:穢れの人と浄化の人
この世の中は2種類の人でできていて、穢れを作り出す人と穢れを浄化する人がいます。穢れは誰でも作りますし、浄化もしています。1人の人を一定期間見たときに、穢れを作り出すよりも浄化する方が多ければ「浄化の人」で、浄化よりも穢れを作る方が多ければ「穢れの人」です。数式は「既に溜まっている穢れ」+「穢れの増加」 ー「穢れの浄化」のようになります。穢れが段々と増えるか、段々と減るのかの違いです。「浄化の人」が世界に必要ですが、「穢れの人」の方が勝っている気がします。であれば世の中に穢れはどんどんと増えてゆきます。これからどんどん危なくなっていきそうです。
■付き合う相手を選ぶ。自分を成長させるのが基本。他人にカルマを渡さない。
メンタル的に不安定で穢れを増加させるような人とは付き合うべきではなく、個人のすべきこととして自分自身の浄化と心の平静を訓練し、心のふらつきをなくすように努めるべきです。メンタル的な不安定を解消させるために他人と交わるのは穢れを分散させているだけであり、穢れの正しい浄化方法ではありません。今はこの辺りの理解が低いために穢れを引き受ける方が意図せずして穢れを引き受けているだけで、仕組みがよく理解されたら、穢れている人とは誰も付き合いたくなくなると思います。既にその兆候は現れてきていて、底辺のオーラを持った人には近づき難くなっていますよね。底辺のオーラの人とも等しく付き合いなさいとか言うのは学校の先生と道徳の授業くらいで、実際には、そのような穢れを引き受ける必要はなくて、単に離れているべきです。基本は自分の浄化をすることですから、自分の浄化すらできていない人と付き合う必要はないわけです。
■オーラを鎮める
オーラが発散していると周囲の穢れたオーラと混ざってしまいますから、以前書いたようにオーラを体の近くに留める必要があります。実際は、その記事のようにお腹に集めるというよりは、皮膚の近くに留める、という感じです。HUNTER x HUNTER の「纏(テン)」の方がイメージに近いです。
■穢れは誰のもの?
ですから、穢れている人がいた時、それがその人自身が作った穢れなのか、もらってしまった(貰うことを強要された)穢れ(=カルマ)なのか、という点が重要になるわけです。自分で作った穢れを他人に引き受けてもらいたい人とは付き合うべきではありませんが、他人から穢れを引き受けてしまった人は単に可哀想な人です。後者は助ける意義がありますが、前者は孤立させて自分で穢れを対処させるべきです。実際には複合要因になるわけですけれども。上の数式に加えますと、「既に溜まっている穢れ」+「(自分が原因の)穢れの増加」 ー「(自分による)穢れの浄化」+「他者からもらった穢れ」ー「他者に引き取ってもらった穢れ」のようになります。
■穢れを引き受ける人
時々、他人の穢れを引き受ける役割を持った宗教関係者のような方もいらっしゃいますが、なかなか大変な役割を引き受けてご苦労かとは思いますが、穢れを大量生産して何とも思わない人(本人は苦しんでいるのでしょうが)の苦労を引き受けても、当人は現状のままでいいと思うだけなのでよろしくないと思うのですけれども。それよりも、本人の穢れは本人に任せてカルマの何たるかを本人にわからせる方がよっぽど世のためになるかと思いますけど。まあ、カルマを引き受けるのもその人の自由ですので私が禁止はできないのですけれども。この世は自由意志が優先される世界ですから。
■全部自分のせいだと思わなくて良い
自分で作り出す穢れよりも、拾ってきたり押し付けられた穢れの方が大きいのが現代では普通です。社会がストレスに溢れていて、穢れがバケツリレーのように人から人へと移っています。街を歩けば穢れを拾い、誰かが自分の穢れを引き受けてくれたりします。それが普通の人たちの人生で、社会に翻弄されて生きる人生が大半です。ですから、穢れを自分でなるべく作らないようにして、穢れをなるべく浄化するのは基本ではありますが、穢れを全部自分が原因だと思う必要はないです。
■オーラを発散させない
スピリチュアルのことを一旦知ったのならばオーラを発散させずに生活することを基本にします。他人のオーラが発散しているのはどうしようもありませんから、なるべく人混みには近づかない。混雑している電車にはなるべく乗らない。穢れがつかないように人混みでは他人に興味を持たず、自分のオーラをより皮膚に近付けて他の人となるべくオーラが混ざらないように気をつけます。
■波動の法則よりもオーラ接触の方に気をつける
よく聞くお話で「似た者同士の法則」だとか「波動が似ていると引き付け合う」だとか言われることがありますけど、もちろんそれもありますが、それよりも、自分のオーラが発散しているか相手のオーラが発散していてオーラ同士が接触して穢れが移ることの方が現代ではよほど多いと思います。昔は人口も少なかったので波動の法則とかの方が重要だったかもしれませんが今は都会の電車も満員ですし道に人が溢れています。地球の人口は爆発してきています。現代においては波動の法則よりも、単にオーラが接触してしまうことで起こる現象の方を気をつけた方がいいと思います。
続き: 雑念とオーラとエーテルコード