雑念とオーラとエーテルコード(時系列の前記事)
クンダリーニの覚醒、3分類(同テーマの前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)何故瞑想するのか? シバナンダの答え

ピタゴラス派の「天球の音楽」と「ナーダ音」

2019-08-13
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

以前、ナーダ音について書きました。その後、ピタゴラス派とナーダ音 について書きました。今回はその続きです。

「ピュタゴラスの音楽(キティ・ファーガソン 著)」を読みました。これはヨーガの本ではありませんのでナーダ音のことは出てきませんが、各所にそれらしき表現が読み取れるのが興味深いです。同書では「天球の音楽」を以下のように記しています。

アルキュタスを通してプラトンへと受け継がれたピュタゴラス派の考え方のなかでもとくに広く知られ、長い間、大きな影響力をふるい続けたのは、「天球の音楽」という概念だった。アルキュタスとピュタゴラス派の先人たちは、惑星が天空を勢いよく進みながら音楽を奏でていると考えた。(中略)ピュタゴラス派の伝承によると、この音楽を聞くことができるのはピュタゴラスだけだった。

これは興味深いです。ピュタゴラスだけが聞くことができる音楽!
「天球の音楽」は「天上の音楽」(以前引用した記事)とか「天空の音楽」など色々な訳があって訳が一意ではなさそうです。

どうやら、この「天球の音楽」から音楽の楽譜やオクターブの概念が作られたそうです。

天体の動く速さは一様でないように見える。ピュタゴラス派は動きが速いほど、立てる音は高くなると考えるにいたり、天体どうしの相対的な距離の比を音程に呼応させる際にこの点を考慮に入れていたと、アリストテレスは書いている。天体が全部合わさると、全音階のオクターブがすべてそろった。

現在の音階の元となる概念を作ったのがピュタゴラス派で、天球の音楽とはもともとそれを指していたのでしょうか? それだけだったのでしょうか? ナーダ音的な意味合いはなかったのでしょうか? と思って読み進めましたところ、やはり、ありました。ピュタゴラスやアリストテレスのような偉人はやはり、薄々とかもしれませんがナーダ音のことを意識していたのだと推測できます。

アリストテレスによれば、ピュタゴラス派は天体が動いて実際に音が出ていると信じていた。アリストテレスは普通の人間が聞こえない理由としてピュタゴラス派が挙げたと彼が思っていることを述べた。
この音に誰も気づいていないという難点を彼らはこう説明している。その音は生まれたときから私たちとともにあるため、比較対象となるような静けさがない。声と静けさは互いに対になって初めて認識されるのであり、人間はみな、長年のうちに雑音にすっかり慣れて無頓着になった銅細工職人と同じような経験をしている。

これは、ナーダ音も同じくずっとそこにあるが気付かない、という点と類似しています。

キケロも似たような説明をしています。

非常に高い山々から水が落下する、ナイル川のカタドゥパと呼ばれる場所に暮らす人々は、轟音のせいで聴力を失った。たいていの人に天球の音楽が聞こえないのは、それと同じように耳が聞こえなくなっているからだと説明する。

同書によれば、15世紀と16世紀のイタリアにおいても、「宇宙の音楽」という概念が好まれたといいます。そんな時代、ガッフリオという人が「ピュタゴラスだけが聞こえる」という概念を「ずばぬけて高潔な者だけが聞くことができる」と修正したそうです。

当時、音楽理論の最高権威だったフランキーノ・ガッフリオは、真のピュタゴラス派になろうと手を尽くした。彼は、まるで古代人が蘇ったかのように、ボエティウスが協和音程と認める音程以外はいっさい考慮しようとしなかった。(中略)言い伝えによれば、ピュタゴラスだけが天球の音楽を聞くことができるということだったが、ガッフリオはそれをわずかに修正して、ずばぬけて高潔な者だけが聞くことができるとした。

これはまさに、ナーダ音の概念に類似しています。「ずばぬけて高潔な者だけが聞くことができる」という概念も、ナーダ音が「浄化が進めば聞こえるようになる」という概念である点と類似しています。

その後17世紀、天文学者のケプラーが天文学的な法則から天球の音楽を楽譜上に落とし込む努力もしています。この時代は、音楽と天文学とが一体になっている、興味深い時代だったようです。今もチャクラ理論などで音楽の楽譜が出てきたりするのはこの時代の流れが関わっていそうで興味深いです。ただし、ケプラー自身は天文学においては名声を得たものの、この音楽理論を発表したことで珍品扱いされた、と記されています。

その後、ピタゴラスの天球の音楽はシェイクスピアの物語に比喩として登場したり、各所でその概念は生き続けているようです。確かに、言われてみればそのような比喩を度々聞いたことがありますね。今では改めて意識しなければすぐに忘れてしまうくらいの比喩ですが、中世においてはかなり有名で人々が熱中した概念だったようです。

ただ、それらの物語ではあくまでも比喩であり、人の耳では聞こえないのが前提として描かれているようです。

そうして20世紀になり、天文学者が再度「天球の音楽」に目を向けるようになります。

1962年、太陽を研究している天文学者たちが、太陽内部を通過する音波が、目に見える太陽の表面、すなわち光面を泡立たせていることを発見した。彼らはそれを「太陽の交響曲」と表現したが(中略)、太陽は無数の倍音を発しているからだ。もちろん、私たちの太陽だけがこのように振動する恒星というわけではない。

又、ブラックホールも類似の交響曲を奏でている、という趣旨のことを言っている人もいるようです。であれば、宇宙には音が蔓延しているということでしょう。これは、近年の宇宙のドキュメンタリーなどで我々にはそれなりに親しみのある概念かとは思いますが、中世まではこのような概念はピタゴラス派に基づくものだったようです。

■天球の音楽とナーダ音は同じ?
同書の記述を見る限り、天球の音楽がそのまま100%ナーダ音と同じ概念ではないものの、類似性が見て取れます。「浄化されれば聞こえるようになる」という点から、人間の精神性の成長という観点から言えばおそらくナーダ音に近い性質を持っていると判断できます。ただし、ピタゴラス派(今もいるのでしょうか?)の人が「天球の音楽はナーダ音です」と言っているのは聞いたことがありません。

昨今、ヨーガをしている人はこの「天球の音楽」がナーダ音のことだと言ったりしますし、ヨーガの文献にもそう書かれてあったりします。私も基本的にはそう思っています。ですから、ヨーガ的には天球の音楽とはナーダ音のことだ、と解釈して良いのではないかと思います。

ナーダ音が何なのか? という点に関しては前記事を参照してください。



雑念とオーラとエーテルコード(時系列の前記事)
クンダリーニの覚醒、3分類(同テーマの前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)何故瞑想するのか? シバナンダの答え