瞑想中に生じるイメージや音は重要ではない(同テーマ&時系列の前記事)

アナハタ優勢になると万人が悟っているように感じる

2019-08-26
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

以前 にも書きましたが、特に2ヶ月前にアナハタ優勢になってからは「実は周囲の多くの人が実は悟っているのでは・・・?」という気になってきました。その時はちょっと控え目な書き方しましたが、実は、(地域によっては)住民のほとんどが悟っているのではないかな・・・ と、日本国内ですらそう思うようになったのです。「あれ? 実は私が悟っていなかっただけで、みんな実は既に悟っていたのかもしれない???」というような気持ちになったのです。今はそれが錯覚のようなものだと気付いてきましたし、感覚も薄れてきたのですが、それでも、今もそのような感覚はあります。

「正法眼蔵 参究(門脇 佳吉 著)」には以下のようにあります。

人の、さとりをうる、月に水のやどるがごとし。(中略)「人が悟りをうると、月が水に宿るがごとく、本証が万物に宿ることがわかる」という意味になる。「もし人が、三昧に端坐するとき、宇宙万物ことごとく悟りとなる」と同じ事態を指している。この場合、月が水に映るように、本証(悟り)が人・万物に映っているのではない。人も万物も、もともと仏法であるから、本証であったのである。ある人が悟ることによって、人・万物が本証であることが顕になるのである。

であれば、私の感じた「万人が悟っている気がする」感覚は、ある種の悟りの片鱗を垣間見たのだと思われます。

「さとり」には何段階もありますが、ここでの「さとり」はおそらくアナハタ以降のことを言っているのかな、と私個人的には思います。きっともっと深まれば強くこのことを感じて確信に至るのでしょうが、アナハタくらいですと「そんな感じがする」というくらいなのだと思います。

マニプラ優勢の頃までは、このことを頭で理解していても体感することはあまりありませんでした。マニプラ優勢の頃は「頭で理解して、体感せず」という感じだったのです。

一方、アナハタ優勢になってからは「頭で考える以前に、体感で万人が悟っている気がする。でも、頭で考えると、そんな筈はないと思い留まる。」という感じです。頭で考えなかったら素直に「みんな悟ってる!」とすんなり受け入れてしまいそうになりますが、そんな筈はないですから。体感的にはみんな悟っている気がするのですけど、行動を分析したり観察したりすると悟っている訳はないとロジックで理解するわけです。

もしかしたら、その変な行動すらも含めて「悟り」なのかもしれないですけど。思い悩むことも怒ることも悲しむことも笑うことも喜ぶことも全て含めて「さとり」であるのだとすれば、周囲の人はやっぱり全員既に悟っていて、きっとそれに自分では気づいていないだけなのでしょう。



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