神智学協会のC.W.リードビーターによりますと、完全な目覚めには至らなくても偶発的に透視が起こると言います。
完全な目覚めに至らなくても、人はしばしばアストラル的領域を垣間見ることがある。特別に強い波動は、蛇の火が全く活動していなくても、いつでもチャクラを活動させることがあるからである。また蛇の火がいくらか活動を始めて、発作的な透視がしばらく生じることもある。(中略)次第に深く掘り下げてゆくことによって、この火の表層が刺激されるだけに止まらず、火の核心そのものが全面的に活動するまでに至るのである。「チャクラ(C.W.リードビーター 著)」
これは私にも覚えがあって、ふとした拍子に他の人のオーラの表層にとてもはっきりと視覚的にその人の生活の一面を垣間見たことがあります。10秒前後続きました。その間、一瞬消えることはありましたが10秒ほどの間、ずっとその人の生活の一部が見えていました。
それはたしかクンダリーニ覚醒の第2回目、マニプラ優勢になったばかりの頃だったと思います。その後はそんなこともありませんので、おそらくは一時的にアジナかどこかが活性化して透視の能力が出たのかなと思います。これぞ偶発的な透視、というものだと思いました。ちょうど1年くらいまえの事ですかね。
一種の勘のようなものでしたら以前からずっとありましたし、直感としての透視であれば想像上のものであってずっとありましたけど、その時はまるで物理的なディスプレイが現れたかと思 うくらいはっきりと肉眼で見えるかのように見えていました。
てっきり、透視ができるようになっても想像とか夢とか、その種の直感的なものかとばかりずっと思っていましたので、その時は、まるで肉眼で見えるかのように見えたのには驚きました。こういう風に見えることもあるんだ、と。
その人はちょっと情緒不安定でしたのできっとオーラが発散していて読み取りやすい状態になっていたのかなぁ、という気もしますし、相手の守護霊があえて見えやすくしていた可能性もあるにはありますけど。
どちらにせよ、あんなにはっきり見えたことには驚きました。
とは言いましても、おそらくあれは肉体のレベルに近い、いわゆる低いレベルの透視だったのかなぁ、と今は思います。見えているのは単に生活の一部ですし、深い洞察やその場面の裏側に横たわっている背景までが見通せるわけでもありません。ただ単に過去の一場面を見たというだけで、それはそれで面白いことではありますけど、見たからと言ってその人や私の精神的成長の役に立つかと言われると、ほとんど役に立たないと思われるわけです。
おそらくは本当の上位の透視はそんな生活の場面ではなくもっと深いところが見えるのだと思っています。
そこまで行くのはまだまだ遠い道のりな気がしますけど。