ナーダ音の外側に広がる世界(同テーマ&時系列の前記事)

世界の30%が自分のことのように感じられる

2019-11-10
トピック: スピリチュアル

最近は、身の回りの出来事や出会う人々のうち30%ほどが自分の分身のように感じられます。
70%はやっぱり他人なわけですが、30%は自分だと思う... と言いますか、そもそも空間が同一で繋がっているあるように感じられるのです。

世界と言っても地球のことではなく、世界地図のことでもないのです。あくまでも、私の生活の周囲の現実のうちの30%という意味で、世界の隅々の30%がそう感じられるわけではありません。

空間が繋がっている、とでも言いますと、まるで線が伸びているかのように印象付けてしまうかもしれませんが、そのような線があるわけではありません。透明の空気のようなところですらも「なにか」がぎっしりと詰まっていて、物質があるところにもその「なにか」が詰まっていて、空気の部分であろうと物質の部分であろうと関係なく身の回りの生活の空間の認識できる範囲すべての30%が自分であるように感じられるのです。

この30%というのは、「ここは感じられるけれどもここは感じられない」とかいうものではなくて、半透明にホログラフィック的に全体が満遍なく30%くらいの濃度と言いますか濃さと言いますか、そのように空間全てがおそらく均一の濃度で大体30%くらいは自分で感じられている、という意味です。

これは主に瞑想中にそう感じられるわけですけれども、明示的に瞑想をしていなくても意識が瞑想状態に近ければ同じように感じられます。

ですから、完全に周囲の全てが自分と感じられるわけではないにせよ、多少ながらすべて自分である、という現実を認識しながら生活する今日このごろなわけです。

これは、頭で考えるとなかなかに複雑に思えてしまうかもしれませんが、感情的にも意識的にも、かなり淡々としています。

そもそも最近の瞑想ではどんどん雑念が減って透明な感覚の、いわゆる「無」の瞑想を続けることが多くなってきていますので、その延長線上で、他人の姿が意識に入ってきたとしても雑念がひとつあるのとそうは変わらないのです。ですから、世界の30%が自分として認識したとしても、それはホログラフのように半透明で認識されて惑わされることもあまりなく、それでいて他人や周囲の環境が自分として認識できるので今までとは違った意識の持ち方ができるのです。

これは、マニプラ的な「情緒」の繋がりとは異なる感じです。淡々としていて、それでいて、しっかりと繋がっている感覚です。

こうなると、もはや以前の私の振る舞いをすべてやり直したくなるくらい意識が変わってきてしまっているわけですけれども、流石にやり直すことができるわけもなく、これからの振る舞いを意識的に新しいものに適合していくくらいしかできないわけですけれども。

以前の意識で作ってしまった古い習慣を取り除いて新しい習慣に作り直してゆく時期に来ているのかもしれません。

もしかしたら仕事のありようも同様で新しい習慣に作り直すといいますか選択し直してゆく時期に来ているのかもしれません。



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