ヨーガ・スートラにおける心理作用の止滅

2019-11-18
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

久々にヨーガ・スートラのお話です。

■ヨーガの定義
ヨーガの有名な聖典の一つであるヨーガ・スートラではヨーガの定義として以下のように記されています。

1.2) ヨーガとは心の作用を死滅することである。「ヨーガ根本経典(佐保田 鶴治著)」

一般的には、このヨーガの定義は「雑念をなくすこと」と説明されているような気がいたします。

ただ、聖典の解釈をし始めるとなかなか混乱するところではあります。

■ヨーガで得るもの
そして、ヨーガをした結果として以下のようになると記されています。

1.3) 心の作用が死滅されてしまった時には、純粋観察者である真我は自己本来の状態にとどまることになる。
1.4) その他の状態にあっては、真我は、心のいろいろな作用に同化した形をとっている。
「ヨーガ根本経典(佐保田 鶴治著)」

真我とはヨーガやベーダでいうアートマンです。
この書籍は古くから存在しており、日本で一番よく知られた定義だと思います。

■解釈いろいろ
同化した形をとっている、というのは、昔からよくある例え話で、心は鏡のようなものだ、というお話だと思いますが、最初これを読んだときはわかるようでいてわからず、そんなものかなと思ったのですが、どうやら、ヴェーダの文化やヨーガの考え方ではちょっと解釈が違うようです。

ヴェーダやヨーガ(ほぼ同じですが)の考えに基づきますと真我(アートマン)は変化せずに永遠のものであり、上記のような変化は起こりません。スワミ・ヨーゲシヴァラナンダの「魂の科学」によりますと、真我(アートマン)のすぐ近くに心が存在していて、心自体は輝いていないが心は真我(アートマン)の光を受けて輝き、心が色々な形を取る、と言います。

上に記されたヨーガの定義も書籍によって解釈が違います。

上記は誤解を与えそうな誤訳なのかな... と今は思います。同書はヨーガが人気になる30年以上も前からずっと存在している本ですので、そのようなこともあるでしょう。今と違って一つ一つ調べていった時代だと思いますし。

こちらも古い本ですが、インドのヨガ ニケタンを作ったスワミによる本では以下のように解釈されています。

ヨーガとは心素の働きを死滅させることである。「魂の科学(スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著)」P272

ここでは、明確に心素という言葉を使っており、同書での心素とは Chitta のことです。同書P207によれば以下のように分類されます。

■内的心理機関(Antaḥkaraṇa Chatushtaya)
・意思(Manas)考えたり空想したりする心理的能力
・理智(Buddhi)意思を統率し判断決定能力を有する
・我執(Ahankara)自我意識
・心素(Chitta)心理作用の源

そもそもヨーガの定義 1.2 の原文は Yogas Chitta Vritti Nirodha のようになっており、二ローダが死滅という意味でブルッティが振動とかそういう意味ですから、同文の目的語は心素(Chitta)であると言えます。

このあたりは色々な書籍で様々に記されていて、それぞれを読んでも「そんなものかな」とそれぞれスルーしたりなんとなく「ふむふむ」と読んだことが多かったのですが、最近になってどれが正しくてどれがちょっと違うのか、肌感覚が出てきた感じであります。

■よくある誤解いろいろ
よくある誤解の1つとして、ヨーガの定義を理智(Buddhi)と勘違いしてしまうことがあると思います。ヨーガ・スートラへの批判として、「考えることをやめてしまったら一体どうするのだ」というのがありますが、そもそもそれは誤解です。ヨーガ・スートラの目的は心素(Chitta)の動きを抑えることですので、考える作用である理智(Buddhi)は残ります。

他の誤解としては、そうは言っても心素(Chitta)の心理作用は死滅なんてできない、というお話があります。これもその通りで、完全に死滅することはできず、新たに現れてきますが、それでいいという解釈です。スワミ・ヨーゲシヴァラナンダによる「魂の科学」によりますと、この「死滅」という言葉は様々に誤解を与えており、いくつかの種類のサマーディ(三昧)で心素(Chitta)を一時的に停止させることはできるし、それが悟りの助けにもなるが、最終的に心素(Chitta)の作用が永久になくなってしまうわけではない、ということが記されています。

■死滅というよりは浄化
個人的な解釈ですが、ヨーガの定義にある二ローダは直訳の「死滅」ではなく「浄化」と解釈すればわかりが良いです。
その後に続く内容的にもそんな感じですし。最初のキャッチフレーズとしてわかりが良い表現を表に持ってきたのかなぁ... という気も致します。