(同テーマ&時系列の次記事)古代のオームの唱え方

クンダリーニ経験が起こらない人

2019-11-24
トピック:スピリチュアル: ヨーガ

先日、クンダリーニはシンボル(象徴)だという記事を書きましたが、それを踏まえますと、いわゆるクンダリーニ経験が起こらない人もいることがわかります。

クンダリーニ経験とはもともとエネルギーが低かった人がエネルギー上昇する経験ですので、生まれながらにエネルギーが高い人、あるいは、子供の頃に無意識のうちにエネルギーが高まった人とかはもはやいわゆるクンダリーニ経験とは無縁かもしれないわけです。

もしかしたら昔のインドは同じくらいのスピリチュアルなレベルの人たちが在住していた関係で「経験」も似たり寄ったりだったのかもしれませんが、今の世の中、特に日本には生まれながらにかなりのスピリチュアルなレベルで生まれて来た人たちが大勢いるような気も致しますし。

私の場合、おそらく前世までは上記の理由でずっとクンダリーニ経験とは無縁だったような気が致します。私のグループソウル(類魂)を探って見ても、基本的にはエネルギー活性化した状態で生まれて来ているように思います。来世や並行世界を探ってみると子供の頃にクンダリーニ経験していたりします。

私の今世の場合、前にも少し書きましたが今世の目的がカルマの解消で一旦どん底に落ちないとカルマの経験ができない・・・と言いますかどん底に落ちることがカルマの発芽でもあったわけで、カルマの解消の目的およびカルマの結果としてどん底に落ちたわけですけれども、その過程で、一旦はエネルギーのルート、ヨーガで言うところのナディが詰まってエネルギーが通わない状態にして低いエネルギーの状態に自らを追い込んだと言いますかカルマの発芽によりその状態に導かれたわけです。

その後、カルマの解消を40年ほど行って、その後、カルマはもう十分に経験したので満足して、カルマ的生活から抜けるためにヨーガ等を始めて、そしてしばらくしてクンダリーニ的経験をしたわけですけれども、それはやはり、もともとエネルギーのルート(ナディ)が詰まってエネルギーが枯渇していたからこそルートが開いてエネルギーが高まる際にクンダリーニの経験があったのだと思うのです。

クンダリーニの経験とはカタルシスのようなもので、今まで抑圧されていたものが吹き出して活性化する経験ですから、もともと抑圧されていなかったりもともとエネルギーが高まった状態でしたらクンダリーニ経験は起こらないのだと思っています。もしかしたら更に上位のクンダリーニがあるのかもしれないですが、それは更に上のレベルかなとも思います。

人によってクンダリーニ経験が異なるのも、エネルギーのルート(ナディ)がかなり詰まっていたり一部詰まっていたり状態が違うでしょうし、ルートが通り出してエネルギーが高まるにしても一部だけ高まる場合とかあるでしょうし、であればクンダリーニ経験があったりなかったり経験が独特だったりするのも理解できます。

と、いうことで、スピリチュアルなレベルを判断するにも、クンダリーニのような「経験」は一つの「しるし」にはなりますが、それだけで判断はできないのだと思います。

基本は、クンダリーニ経験の有無よりもエネルギーがどれだけ高まっていてどれだけ瞑想の「集中」「観察」ができているのか、といったところが判断材料になるのかなと思います。

ヨーガをやっている人の中には最初からエネルギーが高まっていてクンダリーニ活性化後のような状態のように見受けられるのに「私はまだクンダリーニ経験がない」と思っている人がいらっしゃいますが、必ずしもクンダリーニ経験があるわけではない、と私なんかは思います。

一方で、クンダリーニ経験なんてなくても元々エネルギーが高まっていてスピリチュアルな霊視や霊聴ができる人もいらっしゃるような気が致します。

ですから、クンダリーニ経験があるのは素晴らしいことですが、私自身の経験から思うにも、クンダリーニ経験があったからと言って完全にエネルギーが高まったわけではなくて、書籍なんかを読むと多くの場合はクンダリーニの一部が動き出しただけだと言われていますし、私なんかの場合もそうでしたし、クンダリーニどうこうよりももっと高いレベルが存在するのだと思っています。クンダリーニ後の完全にエネルギーが高まった状態こそが目的地であるとすれば、クンダリーニ経験の有無よりもエネルギーが高まった状態こそが注目されるべきでありますし。



(同テーマ&時系列の次記事)古代のオームの唱え方