先日のハヌマーン神の歌の聞こえ方もそうですが、特に瞑想中、あるいは普段の生活においても、心の声や歌の聞こえ方が「離れて」聞こえる場合と内なのか外なのかよくわからずに共振しているように聞こえる場合とがあります。
例えば、先日の瞑想中のハヌマーン神の場合は視覚的に見えて聴覚的にも聞けましたが、「離れて」認識されました。
これは夢と同じような見え方ですね。
一方で、散歩中にハヌマーン神の歌を思い出していたらふと昔はどんな曲を聞いていたかなと思いついてMisiaや浜崎あゆみの歌を思い出したのですが、最初は「離れて」認識されたのですが昔のことを思い出すと内と外のない「共振」状態になったり、その状態が交互に入れ替わったりして、状態の変化を感じました。そういえば昔は割とこの共振の聞こえ方が多かったのですが、最近は「離れた」聞こえ方になっていた、という変化を認識したのです。
「離れて」聞こえている場合はその相手の波動に飲み込まれまれませんが、共振している場合は飲み込まれます。
物事をしっかり見極めるには「離れる」見方が必要ですね。共振してしまうと感覚が飲み込まれてしまいます。
なんとなくですけど、おそらくはエネルギーが高まっているときは「離れた」見方ができますね。
エネルギーが落ちるとオーラの境目が曖昧になって「共振」状態になりやすい気が致します。今回の場合は昔のことを思い出して波動が一瞬落ちると同時に共振状態に落ちて、意識を戻すと「離れた」状態に戻ることが認識できました。
その違いは、おそらくですが、オーラの伸ばし方にも関係しているような気がしてきました。
オーラを対象物に「線」で伸ばすと「離れる」見方になるような気がいたします。このオーラについてはいつしかオーラとカフナ式みたいなお話をした時と関連しています。
一方で、オーラを「太く」全体的に楕円のように伸ばしていくと共振してしまうような気がいたします。原理的にはその部分のオーラが一緒になり過ぎてしまうのだと思います。
「線」で伸ばすと相手のオーラと多少は混ざりますが「離れて」いますので相手のことが分かる一方でそれほど飲み込まれないのだと推測しています。
このオーラの使い方、まだまだ奥が深そうですね。
基本的にはオーラをあまり混ぜたくはないですので、なるべく細くオーラを伸ばすにしても多少は混ざってしまいますが、どうやら指向性の波動だけ送ったり受け取ったりすることで心の声や歌および相手の状態がわかるかもしれません。もうちょっとこの辺りを探ってみたいですね。
どうやら、オーラを接触させて混ぜて相手のことを知ることができるのはそれはそれとして手法としてはあるのですが、波動だけ読み取ればいいのかもしれません。
あるいは、私が勘違いしているだけで、波動と言ってもオーラの更に微細な部分な部分というだけでオーラの一種だとすれば、最初はオーラをガッツリ混ぜていたものが、慣れるにつれてオーラの微細な波動だけ見れば済むようになるのかもしれないですね。
このあたりは更に様子を見てゆきたいと思います。