魂と性別とLGBT
魂には性別はありませんが、幽体は肉体がないだけで人間とほぼ同様ですので性別があります。
ですので、幽体のコミュニティには人間の地上界の生活と同様の男女関係があります。
女性がご飯を作ったり旦那が寛いだり。女性たちが楽しそうに歓談したり。
お金の煩わしさもありませんので、ある意味、理想的な社会とも言えます。
ただ、本来は制限はないのですが、「思い込み」で制限を作っていたりします。
性別もその制限だ・・・ とまでは言いませんが、性別というのは、ある意味、幽体にとってみれば「思い込み」みたいなものになります。
幽体の上の霊界などに行くとグループソウル(類魂)の概念があって、魂がグループソウルと一旦溶け合ってから再度分霊を作る、みたいなことになりますが、幽体の段階では基本的にそれぞれの幽体は個別の幽体としての体を保持しており、幽体同士が結合したり分霊をしたり、ということはあまりありません。意識的にあるいは無意識的に結合や分霊が行われたりもしますが、それは割合としては少ないように思います。
魂が霊界のレベルでグループソウルと溶け合う時、幽体としての記憶もある程度は保持されます。ですが、分離した時は、幽体の時の体もそれぞれの割合で分割されます。
これは、幽体のレベルでも実は結合や分霊ということは同様に行われるのですが、霊界のレベルに意識が達しないとそのような選択肢がなかなか生じないからのようです。
このあたり、理解がこんがらがるかもしれませんが、意識が幽体のレベルでは結合や分離という概念がほとんど出てきません。というのも、幽体では「分離」の意識状態だからです。幽体の意識状態で結合・分離をするのと霊界で結合・分離をした時と「現象」としては同じなのですが、幽体の意識レベルではその選択肢が出てこないということです。
一方、意識が霊界のレベルになると結合や分離が自然に行われます。
それは、例えるならば空中に浮かんでいる雲、あるいは、空中に浮かんでいる水の塊のようなものがグループソウルだとして、最初はそれと溶け合うのです。これが結合です。結合後は、個別の意識は一旦はなくなり、グループソウルの意識だけになります。その後、グループソウルとしての意思が働いて一部分を分離して分霊を作り、独立した意識体としての霊体・幽体を作り出します。
この時、元になった幽体が男か女かで男女比が一旦は固定されます。
男女比が10:0や0:10ということはあまりないように思います。8:2ですとか2:8、あるいは6:4や5:5になるかもしれません。
グループソウルが分霊を作り出すとき、「意図」が必ずあって、目的が設定されます。
その目的に即して分霊が作られますので、男女比は色々なものになります。
生まれてきた時は前世での幽体の性質を受け継ぎますので、肉体として男か女かというお話に加えて、男の比率が高いか女の比率が高いかというお話が加わります。
そして、生まれてきた目的がそこに重なります。
生まれてきた目的は色々ですが、どちらの性別がやり易いか? というお話がまずあります。その上で、現在の幽体の性質が関係してくるわけです。これは、色々なパターンが考えられます。
■幽体は男が優勢だが、女の性を学ぶために女性として生まれる場合。逆の場合も同様。
この場合、生まれてから少女時代はきっと「男っぽい女の子」でしょう。ですが、女性の性を学ぶために「私は女なんだ」と「自覚」して女性を生きるかもしれませんし、そうではないかもしれません。最近ではLGBTとか言われていますように、この場合は「私って体は女性だけど実は男だ」と開き直るかもしれません。それが良いかどうかは本人の意図次第です。本人の生まれてきた目的が性別と関係なければそれはそれでいいかもしれませんが、女性の性を学ぶ筈だったのが開き直って学ぶのを辞めてしまったら人生失敗になるわけです。生まれてきた時に決めた目的がわからなければこのあたりの良し悪しはわかりませんし、生き方は自分が決めることですから他人がどうこういう必要もないのですが、本人のスピリットは本来の目的を達成したいと思っている筈です。
例えば、生まれた時は幽体は男が優勢でも、女性として生まれて女性の性を学ぶにつれて女性の性質が優勢になってきたりします。幽体の性質は意思で変えることができるようです。
■女として生まれたかったが、女として生まれると差別があるので仕方なく男として生まれる場合。
幽体の性質としては女ですが、この地球では女として生まれると出来ないことや、あるいは性的な虐待などが原因で男性を選ぶ場合があるようです。この場合はLGBTになったりならなかったり色々のようです。
■幽体の性質が男で、男を極めたい
これは好きにしてくれればいいと思います。
■幽体の性質が女で、女性を極めたい
これも素敵なことです。女神を目指しているのでしょう。
■性別のない状態
LGBTなどにも性別がない分類がありますが、男女の性質が拮抗している場合はそのようになるかもしれません。
一方で、魂のレベルが上昇すると同様に性別がなくなってゆくように思います。
とは言いましても、肉体を持って生まれているのですから性別は必ず付きまとうように思います。それが6:4なのか4:6なのかはともかく、魂として成熟すればするほど、肉体があるのだからとりあえず肉体の性別で生きよう、というところに落ち着いてゆく気が致します。
と言いますのも、エネルギーの質は男女でやっぱり違うからです。
魂が性別を基本的には選びますので、その性で体験できることを学ぶのが基本だと思います。
ただ、上記のようにその他の様々な障害によって違う性を選んだり、あるいは、生まれた時の性と生きる目的の性が異なっていたりします。
ですから、最近のLGBTのお話はちょっと乱暴な気がしていまして、生まれた時に男が優勢な女の子がそのまま男が優勢でいいのかどうかと言ったら、それは本人の魂の目的を確認してみないと分からないわけです。人が迷いに迷って自分がLGBTだと選択して心が男の女を生きることを選んだとして、それが生まれた目的に反していなければそれは目的の障害にならない程度で自由意志の範疇になりますが、生まれてきた目的が違う性を体験して学ぶことだったのにそれを忘れて学ぶことを中止してしまったら魂の目的は達成できなくなります。最近のLGBTは、どうも、生まれてきた時の性質でその人の心の性を判断しているような気が致しますが、性の選択はそんな単純なものではないと思うのです。
そのように、異なる性を学ぶ筈だったのにLGBTになってしまった人も一定数いるように思います。これは、自分の性に対する無自覚から来るものです。周囲の人々が「君は女っぽい」とか「君は男っぽい」とか言うのも、本来の目的から目をそらせて忘れさせてしまうように思います。本質から言えば、「女っぽい? だからどうした!」と言うことです。同様に「男っぽい? だからどうした!」と言うことです。
一方で、性的虐待や仕事を極めるためなどに性を選んでLGBTになる人もいるような気が致します。これは幽体のレベルで前世から問題を抱え込んで問題を引き継いでいたりもするようですし、あらかじめ未来を予知して、未来の障害を避けるためにあえて違った性を選ぶ場合もあるようです。どのような理由で性を選択したのかはなかなか個人的なお話になりますので難しいところがあります。女性ですと社会が生き辛かったり性的虐待があったりする世の中ですので、LGBTで問題を避けるというのはありなのかもしれないとも思います。
女性で綺麗な顔立ちで楽に生きたい、と言う欲求はある程度あって、そのように容姿や性別を選ぶ人もいるようです。まあ、それは好きにすればいいと思います。
幽体のレベルでは、前世で男性あるいは女性を生きていないのであれば基本的に前世の性別の性質を引き継ぐように思います。
一方で、霊体のレベルで結合・分離をした場合は男性と女性が複雑に絡み合うので、性別がよく分からない場合も多いように思いますし、性別があったとしても6:4とか7:3とかになると思います。
基本は肉体の性別を生きるのがいいとは思いますが、この世界は複雑ですからLGBTみたいなのもありかなと思っております。ただし、魂の目的に反していない限りにおいて、です。
続き:
・魂(幽体)がそのまま転生する場合と、一旦グループソウル(類魂)と一体になってから分霊を作って転生する場合がある
・性別は選んで生まれてくるのが普通
ですので、幽体のコミュニティには人間の地上界の生活と同様の男女関係があります。
女性がご飯を作ったり旦那が寛いだり。女性たちが楽しそうに歓談したり。
お金の煩わしさもありませんので、ある意味、理想的な社会とも言えます。
ただ、本来は制限はないのですが、「思い込み」で制限を作っていたりします。
性別もその制限だ・・・ とまでは言いませんが、性別というのは、ある意味、幽体にとってみれば「思い込み」みたいなものになります。
幽体の上の霊界などに行くとグループソウル(類魂)の概念があって、魂がグループソウルと一旦溶け合ってから再度分霊を作る、みたいなことになりますが、幽体の段階では基本的にそれぞれの幽体は個別の幽体としての体を保持しており、幽体同士が結合したり分霊をしたり、ということはあまりありません。意識的にあるいは無意識的に結合や分霊が行われたりもしますが、それは割合としては少ないように思います。
魂が霊界のレベルでグループソウルと溶け合う時、幽体としての記憶もある程度は保持されます。ですが、分離した時は、幽体の時の体もそれぞれの割合で分割されます。
これは、幽体のレベルでも実は結合や分霊ということは同様に行われるのですが、霊界のレベルに意識が達しないとそのような選択肢がなかなか生じないからのようです。
このあたり、理解がこんがらがるかもしれませんが、意識が幽体のレベルでは結合や分離という概念がほとんど出てきません。というのも、幽体では「分離」の意識状態だからです。幽体の意識状態で結合・分離をするのと霊界で結合・分離をした時と「現象」としては同じなのですが、幽体の意識レベルではその選択肢が出てこないということです。
一方、意識が霊界のレベルになると結合や分離が自然に行われます。
それは、例えるならば空中に浮かんでいる雲、あるいは、空中に浮かんでいる水の塊のようなものがグループソウルだとして、最初はそれと溶け合うのです。これが結合です。結合後は、個別の意識は一旦はなくなり、グループソウルの意識だけになります。その後、グループソウルとしての意思が働いて一部分を分離して分霊を作り、独立した意識体としての霊体・幽体を作り出します。
この時、元になった幽体が男か女かで男女比が一旦は固定されます。
男女比が10:0や0:10ということはあまりないように思います。8:2ですとか2:8、あるいは6:4や5:5になるかもしれません。
グループソウルが分霊を作り出すとき、「意図」が必ずあって、目的が設定されます。
その目的に即して分霊が作られますので、男女比は色々なものになります。
生まれてきた時は前世での幽体の性質を受け継ぎますので、肉体として男か女かというお話に加えて、男の比率が高いか女の比率が高いかというお話が加わります。
そして、生まれてきた目的がそこに重なります。
生まれてきた目的は色々ですが、どちらの性別がやり易いか? というお話がまずあります。その上で、現在の幽体の性質が関係してくるわけです。これは、色々なパターンが考えられます。
■幽体は男が優勢だが、女の性を学ぶために女性として生まれる場合。逆の場合も同様。
この場合、生まれてから少女時代はきっと「男っぽい女の子」でしょう。ですが、女性の性を学ぶために「私は女なんだ」と「自覚」して女性を生きるかもしれませんし、そうではないかもしれません。最近ではLGBTとか言われていますように、この場合は「私って体は女性だけど実は男だ」と開き直るかもしれません。それが良いかどうかは本人の意図次第です。本人の生まれてきた目的が性別と関係なければそれはそれでいいかもしれませんが、女性の性を学ぶ筈だったのが開き直って学ぶのを辞めてしまったら人生失敗になるわけです。生まれてきた時に決めた目的がわからなければこのあたりの良し悪しはわかりませんし、生き方は自分が決めることですから他人がどうこういう必要もないのですが、本人のスピリットは本来の目的を達成したいと思っている筈です。
例えば、生まれた時は幽体は男が優勢でも、女性として生まれて女性の性を学ぶにつれて女性の性質が優勢になってきたりします。幽体の性質は意思で変えることができるようです。
■女として生まれたかったが、女として生まれると差別があるので仕方なく男として生まれる場合。
幽体の性質としては女ですが、この地球では女として生まれると出来ないことや、あるいは性的な虐待などが原因で男性を選ぶ場合があるようです。この場合はLGBTになったりならなかったり色々のようです。
■幽体の性質が男で、男を極めたい
これは好きにしてくれればいいと思います。
■幽体の性質が女で、女性を極めたい
これも素敵なことです。女神を目指しているのでしょう。
■性別のない状態
LGBTなどにも性別がない分類がありますが、男女の性質が拮抗している場合はそのようになるかもしれません。
一方で、魂のレベルが上昇すると同様に性別がなくなってゆくように思います。
とは言いましても、肉体を持って生まれているのですから性別は必ず付きまとうように思います。それが6:4なのか4:6なのかはともかく、魂として成熟すればするほど、肉体があるのだからとりあえず肉体の性別で生きよう、というところに落ち着いてゆく気が致します。
と言いますのも、エネルギーの質は男女でやっぱり違うからです。
魂が性別を基本的には選びますので、その性で体験できることを学ぶのが基本だと思います。
ただ、上記のようにその他の様々な障害によって違う性を選んだり、あるいは、生まれた時の性と生きる目的の性が異なっていたりします。
ですから、最近のLGBTのお話はちょっと乱暴な気がしていまして、生まれた時に男が優勢な女の子がそのまま男が優勢でいいのかどうかと言ったら、それは本人の魂の目的を確認してみないと分からないわけです。人が迷いに迷って自分がLGBTだと選択して心が男の女を生きることを選んだとして、それが生まれた目的に反していなければそれは目的の障害にならない程度で自由意志の範疇になりますが、生まれてきた目的が違う性を体験して学ぶことだったのにそれを忘れて学ぶことを中止してしまったら魂の目的は達成できなくなります。最近のLGBTは、どうも、生まれてきた時の性質でその人の心の性を判断しているような気が致しますが、性の選択はそんな単純なものではないと思うのです。
そのように、異なる性を学ぶ筈だったのにLGBTになってしまった人も一定数いるように思います。これは、自分の性に対する無自覚から来るものです。周囲の人々が「君は女っぽい」とか「君は男っぽい」とか言うのも、本来の目的から目をそらせて忘れさせてしまうように思います。本質から言えば、「女っぽい? だからどうした!」と言うことです。同様に「男っぽい? だからどうした!」と言うことです。
一方で、性的虐待や仕事を極めるためなどに性を選んでLGBTになる人もいるような気が致します。これは幽体のレベルで前世から問題を抱え込んで問題を引き継いでいたりもするようですし、あらかじめ未来を予知して、未来の障害を避けるためにあえて違った性を選ぶ場合もあるようです。どのような理由で性を選択したのかはなかなか個人的なお話になりますので難しいところがあります。女性ですと社会が生き辛かったり性的虐待があったりする世の中ですので、LGBTで問題を避けるというのはありなのかもしれないとも思います。
女性で綺麗な顔立ちで楽に生きたい、と言う欲求はある程度あって、そのように容姿や性別を選ぶ人もいるようです。まあ、それは好きにすればいいと思います。
幽体のレベルでは、前世で男性あるいは女性を生きていないのであれば基本的に前世の性別の性質を引き継ぐように思います。
一方で、霊体のレベルで結合・分離をした場合は男性と女性が複雑に絡み合うので、性別がよく分からない場合も多いように思いますし、性別があったとしても6:4とか7:3とかになると思います。
基本は肉体の性別を生きるのがいいとは思いますが、この世界は複雑ですからLGBTみたいなのもありかなと思っております。ただし、魂の目的に反していない限りにおいて、です。
続き:
・魂(幽体)がそのまま転生する場合と、一旦グループソウル(類魂)と一体になってから分霊を作って転生する場合がある
・性別は選んで生まれてくるのが普通
性別は選んで生まれてくるのが普通
基本的には、性別を選んで生まれてきます。初心者は他の人に選んでもらうかもしれないですけど、ある程度の経験があれば自分で選びます。生まれる前に自分の性別を決めればそうなります。目的があって性別を選ぶ人もいるでしょうし、あるいは、どちらかの性別が楽だからとか得だからという現世利益の理由で選ぶ方ももちろんいらっしゃいます。
この世は全て自由ですので、好きにすればいいのです。
自分で選べなくて好みの性別になって生まれなかったのだとしたら、それは経験不足なだけですのでそんなもんだと思って諦めましょう。
前に書きましたかね。私のあの世のコミュニティには元妻がたくさんいて、「私がお母さんになってあげる!」という人とか、「お嫁さんになりたい!」と元気に主張してきてくれる過去世の元妻がたくさんいます。そういう場合はもちろん性別を選んで生まれるわけですし、狙った性別にはほぼ100%そうなります。そうならずに性別を失敗した、なんてことは聞いたことがないです。狙って転生をする場合は確実に100%で性別選べると思いますよ。だって、受精卵が育っていって性別がわかった上で体に入るわけですから、間違えるわけがないです。
現代でLGBTとかありますけど、以前に書いたように、魂には性別はありませんけど一応は性質があって男っぽいとか女っぽいとかはそれなりにあります。前回の性別と逆の場合は男っぽいとか女っぽいとかありますけど、そうだとしても、生きているうちに肉体の性別の性質が身についてきます。
自分でその性別を選んだのであれば、その性別を生きればいいだけのお話です。
今生では男と決めたら男で生きればいいのになんでわざわざ女として生きようとしたり、あるいは逆に、女と決めて生まれてきたのならば女として生きればいいだけのお話なのになぜにわざわざ男として生きようとするのかは、特殊な事情があると思います。以前書いたように、本当は女として生まれたいのだけれどもDVの被害に合ってばかりいて怖くなったから男として生まれることを選んだとか、男として生まれたかったのだけれどもトラウマがあって女を選んでしまったとか、何がしか精神的な分裂が生じていることが多いように思います。
それは現代で理解されているように「女の心なのに男として生まれてしまった」とか「男の心なのに女として生まれてしまった」とか、そんな単純なお話だけではなく、前世とのつながりを見ないと本当の理由はわかりません。
LGBTはそのように心に問題を抱えている場合もあれば、稀ですけど性別がもともとない宇宙人が転生してきて地球の性別システムに慣れていない場合によくわからずLGBTとして分類されてしまうことがあります。これはもう、仕方がないですね。慣れていただくしかないところです。
基本的には男として生まれたら男の有り様を学ぶのが基本で、女で生まれた場合も同様だと思います。
それが基本にあって、LGBTの何割かはそのような転生の理解を取り入れることで「そういうことなら、私はもっと男の有り様を学びます」とか「女の有り様を学びます」と決断して男らしさ、あるいは、女らしさを身に着けてゆくわけです。
生まれたときの心の性質がそのまま性別だと思ったら大間違いで、転生をする中で男として生まれたり女として生まれたりすることは普通にありますので、その度に、「ああ、私は男っぽいのにどうして女なのだろう」とか「女っぽいのにどうして男なのだろう」とか、そんなこと悩むだけ無駄で、今生の体が男なら男らしく生きてみればいいし、女なら女らしく生きてみればいいわけです。
そもそも、男としての人生を送りたいから男としれ生まれた筈ですし、女としての人生を生きたいから女として生まれた筈です。初心者さんは除きますけどね。ある程度の経験者であればそうなります。
ですから、女として生まれたあげく、「どうして女は男と同じように扱われないのだろう」とか悩んだり不満を訴えたりするのは私にしてみれば意味不明で、「だったら、最初から男として生まれればよかったじゃないの。どうして女を選んだの?」と、魂に聞いてみたくもなります。初心者さんだったら仕方がないですけどね、転生の仕組みと選択が広く理解されさえすれば男は男らしく、女は女らしく生きる社会に戻ると思いますよ。だって、それがそもそもの選択であり、男がやりやすいことと、女がやりやすいこととは絶対的に異なりますからね。
あまり考えなしに生まれた後に性別に不満を言うような人は初心者さんなので、それは仕方がないですね。周囲がサポートしてあげればいいでしょう。そして、次の人生で性別をきちんと選んで生まれればいいだけのお話です。あまり初心者さんを甘やかして普通の大勢の人々の迷惑にならないようにした方がいいと思いますけどね。
男として生きたければ男として生まれればよくて、女として生まれたければ女として生まれればいいだけです。どこまで行ってもLGBTはマイノリティにしかならないと思いますけど。あとはそのような初心者さんをどこまでサポートするかだけの問題ですね。初心者さんはそれなりに生きてもらって、経験を積むまでは補助輪付きでいいと思いますけど。
自分で選んだのに選んだことを忘れてしまって、周囲に流されてしまってLGBTになってしまう、という場合もそれなりにあるように思います。
それと、恋のライバルを消すために他人に「(女なのに)男らしいね」とか「(男なのに)かわいいね」とか吹いてその気にさせてしまう、という場合も意外にも多い気がしますね。これは、他人に流されすぎですね。他人に自分の人生を左右させていることになります。自分が本来しようとしていた人生が送れなくなったりして、死んだ後に「もう1回、やり直し!」になったりするかもしれません。人生の目的が性別とは関係なければ別にどっちでもいいかもしれないですけどね。でも、どっちでも良ければわざわざ性別を変える必要もなかったりします。
あと、ほんのちょっとの割合ですけど、最近出てきたLGBTというのがよくわからないけど「面白そう!」と思ってそれに入り込む経験豊富な魂もあります。これは、ほんと例外ですね。あんまりいないと思います。宇宙人パターンと同じくらいの割合ですかね? なんとなくですけど。
大抵の場合は地球由来の魂が自分の生まれた目的がわからなくて性別不一致を感じてしまいLGBTになることが多いのですかね。そのように性別不一致を感じるのは、魂の性質上、そんなもんだと思うしかないですよ。前世と逆の性別で生まれたら、そりゃ、最初は性別不一致ですよ。でも、大抵の場合は自分でそれを選んだのですからね。あんまり気にすることはないと思いますけど。
男にしても女にしても、人生ゲームを楽しんでいるわけですから、男として生まれたら男のゲーム、女として生まれたら女のゲームをするわけです。試してみて、やっぱり合わないな、となったら次回で別の性別を選んでもいいわけですし。あんまり急いで性別を変える必要はないと思いますけどねえ。それよりも、せっかく生まれた性別に合わせてペルソナ(仮面)のゲームを楽しんだほうがいいと私なんかは思いますけど。
これは個人的にそう思うだけで、基本は、自分が好きに生きればいいと思っています。ですから、勝手にすればいいんです。他人がどう生きようがほっとけばいいのだと思っています。単なる個人の感想です。
この世は全て自由ですので、好きにすればいいのです。
自分で選べなくて好みの性別になって生まれなかったのだとしたら、それは経験不足なだけですのでそんなもんだと思って諦めましょう。
前に書きましたかね。私のあの世のコミュニティには元妻がたくさんいて、「私がお母さんになってあげる!」という人とか、「お嫁さんになりたい!」と元気に主張してきてくれる過去世の元妻がたくさんいます。そういう場合はもちろん性別を選んで生まれるわけですし、狙った性別にはほぼ100%そうなります。そうならずに性別を失敗した、なんてことは聞いたことがないです。狙って転生をする場合は確実に100%で性別選べると思いますよ。だって、受精卵が育っていって性別がわかった上で体に入るわけですから、間違えるわけがないです。
現代でLGBTとかありますけど、以前に書いたように、魂には性別はありませんけど一応は性質があって男っぽいとか女っぽいとかはそれなりにあります。前回の性別と逆の場合は男っぽいとか女っぽいとかありますけど、そうだとしても、生きているうちに肉体の性別の性質が身についてきます。
自分でその性別を選んだのであれば、その性別を生きればいいだけのお話です。
今生では男と決めたら男で生きればいいのになんでわざわざ女として生きようとしたり、あるいは逆に、女と決めて生まれてきたのならば女として生きればいいだけのお話なのになぜにわざわざ男として生きようとするのかは、特殊な事情があると思います。以前書いたように、本当は女として生まれたいのだけれどもDVの被害に合ってばかりいて怖くなったから男として生まれることを選んだとか、男として生まれたかったのだけれどもトラウマがあって女を選んでしまったとか、何がしか精神的な分裂が生じていることが多いように思います。
それは現代で理解されているように「女の心なのに男として生まれてしまった」とか「男の心なのに女として生まれてしまった」とか、そんな単純なお話だけではなく、前世とのつながりを見ないと本当の理由はわかりません。
LGBTはそのように心に問題を抱えている場合もあれば、稀ですけど性別がもともとない宇宙人が転生してきて地球の性別システムに慣れていない場合によくわからずLGBTとして分類されてしまうことがあります。これはもう、仕方がないですね。慣れていただくしかないところです。
基本的には男として生まれたら男の有り様を学ぶのが基本で、女で生まれた場合も同様だと思います。
それが基本にあって、LGBTの何割かはそのような転生の理解を取り入れることで「そういうことなら、私はもっと男の有り様を学びます」とか「女の有り様を学びます」と決断して男らしさ、あるいは、女らしさを身に着けてゆくわけです。
生まれたときの心の性質がそのまま性別だと思ったら大間違いで、転生をする中で男として生まれたり女として生まれたりすることは普通にありますので、その度に、「ああ、私は男っぽいのにどうして女なのだろう」とか「女っぽいのにどうして男なのだろう」とか、そんなこと悩むだけ無駄で、今生の体が男なら男らしく生きてみればいいし、女なら女らしく生きてみればいいわけです。
そもそも、男としての人生を送りたいから男としれ生まれた筈ですし、女としての人生を生きたいから女として生まれた筈です。初心者さんは除きますけどね。ある程度の経験者であればそうなります。
ですから、女として生まれたあげく、「どうして女は男と同じように扱われないのだろう」とか悩んだり不満を訴えたりするのは私にしてみれば意味不明で、「だったら、最初から男として生まれればよかったじゃないの。どうして女を選んだの?」と、魂に聞いてみたくもなります。初心者さんだったら仕方がないですけどね、転生の仕組みと選択が広く理解されさえすれば男は男らしく、女は女らしく生きる社会に戻ると思いますよ。だって、それがそもそもの選択であり、男がやりやすいことと、女がやりやすいこととは絶対的に異なりますからね。
あまり考えなしに生まれた後に性別に不満を言うような人は初心者さんなので、それは仕方がないですね。周囲がサポートしてあげればいいでしょう。そして、次の人生で性別をきちんと選んで生まれればいいだけのお話です。あまり初心者さんを甘やかして普通の大勢の人々の迷惑にならないようにした方がいいと思いますけどね。
男として生きたければ男として生まれればよくて、女として生まれたければ女として生まれればいいだけです。どこまで行ってもLGBTはマイノリティにしかならないと思いますけど。あとはそのような初心者さんをどこまでサポートするかだけの問題ですね。初心者さんはそれなりに生きてもらって、経験を積むまでは補助輪付きでいいと思いますけど。
自分で選んだのに選んだことを忘れてしまって、周囲に流されてしまってLGBTになってしまう、という場合もそれなりにあるように思います。
それと、恋のライバルを消すために他人に「(女なのに)男らしいね」とか「(男なのに)かわいいね」とか吹いてその気にさせてしまう、という場合も意外にも多い気がしますね。これは、他人に流されすぎですね。他人に自分の人生を左右させていることになります。自分が本来しようとしていた人生が送れなくなったりして、死んだ後に「もう1回、やり直し!」になったりするかもしれません。人生の目的が性別とは関係なければ別にどっちでもいいかもしれないですけどね。でも、どっちでも良ければわざわざ性別を変える必要もなかったりします。
あと、ほんのちょっとの割合ですけど、最近出てきたLGBTというのがよくわからないけど「面白そう!」と思ってそれに入り込む経験豊富な魂もあります。これは、ほんと例外ですね。あんまりいないと思います。宇宙人パターンと同じくらいの割合ですかね? なんとなくですけど。
大抵の場合は地球由来の魂が自分の生まれた目的がわからなくて性別不一致を感じてしまいLGBTになることが多いのですかね。そのように性別不一致を感じるのは、魂の性質上、そんなもんだと思うしかないですよ。前世と逆の性別で生まれたら、そりゃ、最初は性別不一致ですよ。でも、大抵の場合は自分でそれを選んだのですからね。あんまり気にすることはないと思いますけど。
男にしても女にしても、人生ゲームを楽しんでいるわけですから、男として生まれたら男のゲーム、女として生まれたら女のゲームをするわけです。試してみて、やっぱり合わないな、となったら次回で別の性別を選んでもいいわけですし。あんまり急いで性別を変える必要はないと思いますけどねえ。それよりも、せっかく生まれた性別に合わせてペルソナ(仮面)のゲームを楽しんだほうがいいと私なんかは思いますけど。
これは個人的にそう思うだけで、基本は、自分が好きに生きればいいと思っています。ですから、勝手にすればいいんです。他人がどう生きようがほっとけばいいのだと思っています。単なる個人の感想です。
自分がLGBTだと思うからLGBTになる
スピリチュアル的な解釈をすれば、自分がLGBT(かもしれない)と思うからLGBTになるのです。ですから、LGBTのことなんて考えなければ普通に生物学的性別に落ち着きます。
世間でLGBTとか色々宣伝しているから「あれ? 私ってそうかも」とかいう「勘違い」が生まれて、考えれば考えるほど「きっとそうだ」という概念を自分で作り上げてしまってその性別の自分を作り上げてしまうわけです。これはある種、社会を混乱させる一因なわけです。
LGBTのことを宣伝されてLGBTが一般的になって喜ぶ人より、男女の自覚を周囲からしてもらえなくなって男女をきちんと自覚できなくなることで弊害を被る人の方が遥かに多い筈です。
LGBTのマイノリティーを守るために、本来はきちんと男女を自覚できていた大勢のマジョリティを混乱の渦に叩き落とすのであればLGBTなんて推進しない方が社会のためになると思われます。
そのお話とは別に、魂と性別とLGBTに書いたことが基本ではありますので、それはそれとしてありますから、久々に性別を変えた魂とかは最初は違和感があって当然で、そうは言いましても生活していくうちに自分の性別が「馴染んで」くるわけです。そんなものです。
人は生まれながらにしてその性別になるのではなく、意図的に意識して自分の性別を生きるわけです。
生まれたばかりの、まだ幼い頃は自分のことが男か女なんてそんなに意識しないことが多いと思います。ですけど、男っぽい女の子が小学校高学年の頃に「○○ちゃんは、女の子なんだよ」と先生等から言われて「おお! 俺って女だったんだ!」と「自覚」をして、自覚をした後に急にしおらしくなって女の子っぽくなる、というのはよくあるお話です。
男にしても、「男なら」とか言われて「おお! 私って男だった!!!」と「自覚」をして男っぽくなる、というのもよくあるお話です。
それが割と普通のことで、自覚する前は自分の性をそれほど意識していない、まだ未分化の「子供」なわけです。声変わりもしていない状況で男女のホルモンも出ていない状況から、ホルモンが出て男女を意識し始めるときに同様の「自覚」が周囲の大人から投げかけられ、性別を自覚していくわけです。
ですけど、昨今はそのような「自覚」が良くないものだとされて、LGBTでも良いとかいう宣伝がなされていますけど、性別とその性質というのは社会が作り上げるものでもありますから、LGBTの宣伝というのは文化破壊に繋がっている面もあります。男女への自覚を妨げられて男女の性に目覚めることができない人が増えたら、混乱した人々だらけの意味不明な国になりますよ。そんな社会を目指したいのですかね?
以前に書きましたように、生まれた経緯から男女の自覚がしにくい、という人はいます。ずっと女で生きてきて久々あるいはたまに男で生きたら最初は女っぽいでしょう。ですけど、そんなものですよ。逆もまた然りです。ですけど、その性別で生きていたら次第に生物学的な性別っぽい性質に変わってゆくものです。それは個人でそのようになるだけではなくて、男が女から男として扱われることで変わったり、あるいは、女が男から女として扱われることで変わる、ということもあります。それが、LGBTだからどっちでもいいとか言ってごちゃ混ぜにしていたらホルモンとマインドが相反し合って混乱をきたします。
本人がそれでもいいというのならばこの世界は個人の自由がありますので好きにしてください、ということになりますけど、スピリチュアルを目指す人であれば、「体」と「心(マインド)」が「一致」することがとても重要なわけです。体とマインド(そしてもっと微細なところ)が一致していなければ高いレベルに達することができません。
これには例外があって、元々性別がない世界から転生してきたとか、性別がないレベルにまで達している場合はそうでもなかったりしますけど、大半の場合は性別のある段階にいますので、男女どちらかよく分からない性質であれば、大概は、そんな大したレベルではないわけです。
アストラルの感情の段階はいわゆる幽体で性別がありますけど、カーラナ(コーザル、原因)になりますと性別はないわけです。ですけど、スピリチュアルの人は割と自分を上の段階で考えるきらいがあって、そういう人は既に自分がカーラナのレベルで性別を超越していると考えがちだったりしますけど、そんな風に思うのは割と初心者で、ちょっと成長すればまだまだ自分がそんなレベルではないと気付くわけですね。ですから、大半の場合はスピリチュアルな人であってもアストラル的な感情および性別があって、であれば、基本的には、人には性別があるわけで、性別がないような中性の人というのはほとんどの場合はまだ未分化の未熟な状態なわけです。男にも女にもなり切れていない、まだ成長の段階を踏んでいないわけです。
LGBTっぽい性格だから自分はスピリチュアル的に成長していると思っている人が一定数いますけど、大抵の場合はそんなことはないわけです。気のせいなわけですね。
LGBTだと思うのも気のせいですし、スピリチュアル的に成長していると思うのも、どちらも気のせいなわけです。
LGBTなんて考えるのをやめて、普通に生物学的な性別で世の中を分けるのが一番健全だと思います。今のLGBT論でトイレのマークを変えるとかお風呂の入る方を変えるとか、そういうお話は止めた方がいいと思います。
ただ、昨今のLGBTが良い結果だと思えることが一つあって、そのように「まだ男女に未分化」の人たちのことを「差別しない」という点に関しては良いことを言っていると思います。ですけど、対処方法として「受け入れる」というのは上記の通り私はそうすべきとは思っていなくて、そうではなくて、「男女を自覚できるように周囲が導いてあげる」のが良いと思っています。
スピリチュアル的に解釈するなら、LGBTというのはただの子供の状態なわけです。
世間でLGBTとか色々宣伝しているから「あれ? 私ってそうかも」とかいう「勘違い」が生まれて、考えれば考えるほど「きっとそうだ」という概念を自分で作り上げてしまってその性別の自分を作り上げてしまうわけです。これはある種、社会を混乱させる一因なわけです。
LGBTのことを宣伝されてLGBTが一般的になって喜ぶ人より、男女の自覚を周囲からしてもらえなくなって男女をきちんと自覚できなくなることで弊害を被る人の方が遥かに多い筈です。
LGBTのマイノリティーを守るために、本来はきちんと男女を自覚できていた大勢のマジョリティを混乱の渦に叩き落とすのであればLGBTなんて推進しない方が社会のためになると思われます。
そのお話とは別に、魂と性別とLGBTに書いたことが基本ではありますので、それはそれとしてありますから、久々に性別を変えた魂とかは最初は違和感があって当然で、そうは言いましても生活していくうちに自分の性別が「馴染んで」くるわけです。そんなものです。
人は生まれながらにしてその性別になるのではなく、意図的に意識して自分の性別を生きるわけです。
生まれたばかりの、まだ幼い頃は自分のことが男か女なんてそんなに意識しないことが多いと思います。ですけど、男っぽい女の子が小学校高学年の頃に「○○ちゃんは、女の子なんだよ」と先生等から言われて「おお! 俺って女だったんだ!」と「自覚」をして、自覚をした後に急にしおらしくなって女の子っぽくなる、というのはよくあるお話です。
男にしても、「男なら」とか言われて「おお! 私って男だった!!!」と「自覚」をして男っぽくなる、というのもよくあるお話です。
それが割と普通のことで、自覚する前は自分の性をそれほど意識していない、まだ未分化の「子供」なわけです。声変わりもしていない状況で男女のホルモンも出ていない状況から、ホルモンが出て男女を意識し始めるときに同様の「自覚」が周囲の大人から投げかけられ、性別を自覚していくわけです。
ですけど、昨今はそのような「自覚」が良くないものだとされて、LGBTでも良いとかいう宣伝がなされていますけど、性別とその性質というのは社会が作り上げるものでもありますから、LGBTの宣伝というのは文化破壊に繋がっている面もあります。男女への自覚を妨げられて男女の性に目覚めることができない人が増えたら、混乱した人々だらけの意味不明な国になりますよ。そんな社会を目指したいのですかね?
以前に書きましたように、生まれた経緯から男女の自覚がしにくい、という人はいます。ずっと女で生きてきて久々あるいはたまに男で生きたら最初は女っぽいでしょう。ですけど、そんなものですよ。逆もまた然りです。ですけど、その性別で生きていたら次第に生物学的な性別っぽい性質に変わってゆくものです。それは個人でそのようになるだけではなくて、男が女から男として扱われることで変わったり、あるいは、女が男から女として扱われることで変わる、ということもあります。それが、LGBTだからどっちでもいいとか言ってごちゃ混ぜにしていたらホルモンとマインドが相反し合って混乱をきたします。
本人がそれでもいいというのならばこの世界は個人の自由がありますので好きにしてください、ということになりますけど、スピリチュアルを目指す人であれば、「体」と「心(マインド)」が「一致」することがとても重要なわけです。体とマインド(そしてもっと微細なところ)が一致していなければ高いレベルに達することができません。
これには例外があって、元々性別がない世界から転生してきたとか、性別がないレベルにまで達している場合はそうでもなかったりしますけど、大半の場合は性別のある段階にいますので、男女どちらかよく分からない性質であれば、大概は、そんな大したレベルではないわけです。
アストラルの感情の段階はいわゆる幽体で性別がありますけど、カーラナ(コーザル、原因)になりますと性別はないわけです。ですけど、スピリチュアルの人は割と自分を上の段階で考えるきらいがあって、そういう人は既に自分がカーラナのレベルで性別を超越していると考えがちだったりしますけど、そんな風に思うのは割と初心者で、ちょっと成長すればまだまだ自分がそんなレベルではないと気付くわけですね。ですから、大半の場合はスピリチュアルな人であってもアストラル的な感情および性別があって、であれば、基本的には、人には性別があるわけで、性別がないような中性の人というのはほとんどの場合はまだ未分化の未熟な状態なわけです。男にも女にもなり切れていない、まだ成長の段階を踏んでいないわけです。
LGBTっぽい性格だから自分はスピリチュアル的に成長していると思っている人が一定数いますけど、大抵の場合はそんなことはないわけです。気のせいなわけですね。
LGBTだと思うのも気のせいですし、スピリチュアル的に成長していると思うのも、どちらも気のせいなわけです。
LGBTなんて考えるのをやめて、普通に生物学的な性別で世の中を分けるのが一番健全だと思います。今のLGBT論でトイレのマークを変えるとかお風呂の入る方を変えるとか、そういうお話は止めた方がいいと思います。
ただ、昨今のLGBTが良い結果だと思えることが一つあって、そのように「まだ男女に未分化」の人たちのことを「差別しない」という点に関しては良いことを言っていると思います。ですけど、対処方法として「受け入れる」というのは上記の通り私はそうすべきとは思っていなくて、そうではなくて、「男女を自覚できるように周囲が導いてあげる」のが良いと思っています。
スピリチュアル的に解釈するなら、LGBTというのはただの子供の状態なわけです。
チャクラが開けばLGBTから男か女になる
若い頃、特にまだ異性とそれほど接していなくて性が未分化な頃は、大概、そういう時はチャクラが開けていないのです。
特に男性性と女性性を司るスワディスタナ・チャクラ(セイクラル・チャクラ)が開けていないと男女の違いが出てこなくて、ただの生きている人間、という感じになります。それは生まれたばかりの頃に最初から開いているというわけでもなくて、人によっては最初からかなり開いていたりしますけど、大概の場合、異性と何度も接しているうちに不意に開けることが多いように思います。その瞬間、自分の性に目覚めるわけですけど、それまでの間は、自分が本当に何の性に生きているか自覚が本当の意味で持てないわけです。
ですから、生まれて若い頃、あるいは、まだ性をそれほど体験していない頃に自分がLGBTかもしれないと思う必要はそれほどなくて、それはただ単に、チャクラが開けていないだけなわけです。
それは美人だからとかイケメンだからとか、そういう容姿とはそれほど関係がなくて、どんな顔であっても、生まれつきどの程度開いているかどうかは人それぞれな訳です。
それで、美人やイケメンなら異性と接する機会が多くて、特に美人の女性は男に何度も愛されることでチャクラが開きやすい、という性質はあります。
女性の場合、男性を心の底から信頼するとチャクラが開きやすいですので、あまり多くの相手と関係を持つよりは一人の人と関係を深めた方がチャクラ的には、特に女性の場合は良いように思います。女性の場合は男性と信頼関係を持つことでチャクラが開けるわけです。
男性も基本的には同じではありますけど、男性の場合は性的関係を持つとエネルギーが発散してしまいますので割と禁欲が重要になってきます。あるいは、女性のエネルギーを使ったチャクラ開発方法とかもありますけど難易度が高くて普通は上手くいかないと思います。
チャクラが開ける前は割と自分の性を意識することは少なくて、そんな時に、世間の風潮に習って「私ってLGBTかも」とか思ってしまったりすることもあると思いますけど、実際、そんな風に思う必要はなくて、単に気のせい、という程度のお話なことがほとんどなわけです。
魂と性別のお話をするのならば、前世までしばらく一つの性を何度も続けてきた人が性を変えると最初は馴染まない、みたいなことはよくある話です。そんな時に現代の人はLGBTだ、みたいなことを言ったりしますけど、そんなこと気にせずに、自分の肉体の性に馴染めばそれで終わりなわけです。最初は違和感あるかもしれませんけど、まあ、そんなもんだと思って気にせず生きれば良いだけなわけです。
そして、男にしても女にしても物凄く魅力的な異性を見つけたら性の関係を持つなりして、それでも最初はチャクラが開けていなくて「性ってこんなもんか」と思ったりするかもしれませんけど、チャクラが開けてくれば性的関係を持たずとも普段の生活において自然にエネルギーが湧き上がってくるようになり、自分の性を自覚するようになるわけです。
生物学的な性別とエネルギーの質というのは密接に結びついていて、男なら男としてのエネルギー、女性なら女性としてのエネルギーというものがありますから、一般人ならともかく、スピリチュアルでそれなりに高いレベルに達しようと思っているのであれば自分の肉体の性別と自覚している性別を一致させておかないとその不一致が深いところでブロックになって高いところに達することは難しくなるわけです。
どちらにせよ、一般人であったとしても、LGBTなんてのは未熟な精神状態ということもできますから、そんなことで悩むより、自分の性を自覚した方がよっぽど人生を謳歌して生きることができるわけです。
それは性的な生活に限らなくて、肉体関係があってもなくても楽しく人生を生きるためにはチャクラが開けることが重要で、心の状態が落ち着いて自分の性という基本的なところで腑に落ちていない人はどこか精神的に不安定なわけです。
そして、精神的に安定するには自分の性を自覚するのが早道で、性の自覚というのはチャクラが活性化することとほぼ同意なわけです。
女性の場合、自分の性を自覚する前、チャクラが開く前は「恥じらい」という感じが強いです。ですけど、性的あるいは普段の生活で女性として扱われるうちにチャクラが少しずつ開いてきて、チャクラが開いた後、特にスワディスタナが開くことで性的な自覚に至るわけです。それは大雑把に言えば「歓喜」ということでもありますけど、それは単なる歓喜ではなくて、日本女性の、元気なお母さん像そのものであったりするわけです。
日本人は割とチャクラが開いている人が多くて、生まれながらにそれなりに開けている人も多くて、性の自覚がある人が多かったりします。しかし、性の自覚がない人もそれなりにいて、それはチャクラが開けていないということで、その場合、自分のことをLGBTとか思ってしまうかもしれませんけど、スピリチュアル的にはそういうことではないわけです。
特に男性性と女性性を司るスワディスタナ・チャクラ(セイクラル・チャクラ)が開けていないと男女の違いが出てこなくて、ただの生きている人間、という感じになります。それは生まれたばかりの頃に最初から開いているというわけでもなくて、人によっては最初からかなり開いていたりしますけど、大概の場合、異性と何度も接しているうちに不意に開けることが多いように思います。その瞬間、自分の性に目覚めるわけですけど、それまでの間は、自分が本当に何の性に生きているか自覚が本当の意味で持てないわけです。
ですから、生まれて若い頃、あるいは、まだ性をそれほど体験していない頃に自分がLGBTかもしれないと思う必要はそれほどなくて、それはただ単に、チャクラが開けていないだけなわけです。
それは美人だからとかイケメンだからとか、そういう容姿とはそれほど関係がなくて、どんな顔であっても、生まれつきどの程度開いているかどうかは人それぞれな訳です。
それで、美人やイケメンなら異性と接する機会が多くて、特に美人の女性は男に何度も愛されることでチャクラが開きやすい、という性質はあります。
女性の場合、男性を心の底から信頼するとチャクラが開きやすいですので、あまり多くの相手と関係を持つよりは一人の人と関係を深めた方がチャクラ的には、特に女性の場合は良いように思います。女性の場合は男性と信頼関係を持つことでチャクラが開けるわけです。
男性も基本的には同じではありますけど、男性の場合は性的関係を持つとエネルギーが発散してしまいますので割と禁欲が重要になってきます。あるいは、女性のエネルギーを使ったチャクラ開発方法とかもありますけど難易度が高くて普通は上手くいかないと思います。
チャクラが開ける前は割と自分の性を意識することは少なくて、そんな時に、世間の風潮に習って「私ってLGBTかも」とか思ってしまったりすることもあると思いますけど、実際、そんな風に思う必要はなくて、単に気のせい、という程度のお話なことがほとんどなわけです。
魂と性別のお話をするのならば、前世までしばらく一つの性を何度も続けてきた人が性を変えると最初は馴染まない、みたいなことはよくある話です。そんな時に現代の人はLGBTだ、みたいなことを言ったりしますけど、そんなこと気にせずに、自分の肉体の性に馴染めばそれで終わりなわけです。最初は違和感あるかもしれませんけど、まあ、そんなもんだと思って気にせず生きれば良いだけなわけです。
そして、男にしても女にしても物凄く魅力的な異性を見つけたら性の関係を持つなりして、それでも最初はチャクラが開けていなくて「性ってこんなもんか」と思ったりするかもしれませんけど、チャクラが開けてくれば性的関係を持たずとも普段の生活において自然にエネルギーが湧き上がってくるようになり、自分の性を自覚するようになるわけです。
生物学的な性別とエネルギーの質というのは密接に結びついていて、男なら男としてのエネルギー、女性なら女性としてのエネルギーというものがありますから、一般人ならともかく、スピリチュアルでそれなりに高いレベルに達しようと思っているのであれば自分の肉体の性別と自覚している性別を一致させておかないとその不一致が深いところでブロックになって高いところに達することは難しくなるわけです。
どちらにせよ、一般人であったとしても、LGBTなんてのは未熟な精神状態ということもできますから、そんなことで悩むより、自分の性を自覚した方がよっぽど人生を謳歌して生きることができるわけです。
それは性的な生活に限らなくて、肉体関係があってもなくても楽しく人生を生きるためにはチャクラが開けることが重要で、心の状態が落ち着いて自分の性という基本的なところで腑に落ちていない人はどこか精神的に不安定なわけです。
そして、精神的に安定するには自分の性を自覚するのが早道で、性の自覚というのはチャクラが活性化することとほぼ同意なわけです。
女性の場合、自分の性を自覚する前、チャクラが開く前は「恥じらい」という感じが強いです。ですけど、性的あるいは普段の生活で女性として扱われるうちにチャクラが少しずつ開いてきて、チャクラが開いた後、特にスワディスタナが開くことで性的な自覚に至るわけです。それは大雑把に言えば「歓喜」ということでもありますけど、それは単なる歓喜ではなくて、日本女性の、元気なお母さん像そのものであったりするわけです。
日本人は割とチャクラが開いている人が多くて、生まれながらにそれなりに開けている人も多くて、性の自覚がある人が多かったりします。しかし、性の自覚がない人もそれなりにいて、それはチャクラが開けていないということで、その場合、自分のことをLGBTとか思ってしまうかもしれませんけど、スピリチュアル的にはそういうことではないわけです。
LGBTよりも自分の性を全うした方が良い
昨今LGBTが目立ちますけど、実のところ性別は選んで生まれてくるのが普通ですから、自分がしたいことがまずあって、やりたいことがしやすい性を選んで生まれてくるわけです。
昨今のLGBTも「性は選べる」みたいなことを言っていますけど、私の言っていることはそれとちょっと違っていて、私が大前提としているのは「体と心の性別は一致させるべき」と言うお話があって、その上で、やりたいことに合わせて肉体の体をあらかじめ生まれる前にきちんと選びましょう、というお話です。意外と生まれる前に無頓着に性別を選んでしまう人もいて、もっとしっかり選ぶべきなわけです。
これは、昨今のLGBTのように、肉体の性とは無関係に心ではどちらの性でもどのようにも生きていい、みたいなお話ではないわけです。このLGBTの主張は、生まれる前に自分が性を選ぶことができるという「選択」をそもそも捨てていて、自分が肉体としての性を選ぶことができないという盲目的な誤解に立っているわけです。一般的にはそう誤解されていますけど、実際は、選べるのです。選べないのだとしたら転生の経験が少ないかあるいはそもそも良くわからず何となく選んだということで、それはもう、しょうがないですよね。そこまでは救えないです。
性というのは生まれる前に選ぶことができて、その性でやりやすいことをするのが基本なのです。
この言葉だけを聞くとLGBTが言っていることと似たように聞こえてしまうかもしれませんが、繰り返しになりますけど、私が言いたいのはLGBTの言うように「体の性とは別に、自由に心の性やあり方を選ぶべき」と言うお話ではなくて、むしろ逆で、「生まれた体の性別があるのなら、心もその体の性別に合わせるべき」と言う立場です。
LGBTだとか周囲からあれこれ言われて「性と、らしさ、仕事、とは関係ない」なんていうお話に惑わされる人が増えれば増えるほど、人生が意味不明になっていきます。
仕事に専念して男らしい生き方をしたいなら、わざわざ女の体を選ばずに男の体を選んで生まれればいいだけのお話です。
同様に、女らしく生きたいだとか、家庭に尽くしたいだとか、夫を支えたいだとか、そのような女としての生き方を全うしたいと思うのならばわざわざ男の体を選ばずに女の体を選んで生まれればいいのです。
そうして、「らしさ」があった方が、本来その道を追求したい人が「やりやすい」と言う面があって、女らしさを追求したいのならば「らしさ」が社会にある方が追求はしやすいのです。同様に、「男らしさ」がある社会の方が「らしさ」を追求しやすいのです。
これが、LGBTみたいなお話が主流になって「どちらでも良い」と言うことになると、「らしさ」を追求したい人が追求しにくい、という状況になり、文化の洗練の妨げになり、それはそのまま、洗練されていない文化が出来上がってきてしまいます。それはそれで一つの文化の形ではありますけど、洗練されていない、という文化になってしまうわけです。
又、LGBTのお話が何故に良くないのかというと、肉体の体にはエネルギーの形というものが絶対的に存在していて、その肉体の性別とエネルギーの質というものは強く結びついているからです。男の体には男らしさのエネルギーの形というものがあり、女の体には女のエネルギーがあり、男らしさ、女らしさ、というのはエネルギーの質と密接に結びついています。
LGBTの気持ち悪さはそこにあって、エネルギーの質が体の本来の質と異なる形で心で認識されて表現されているから強い違和感を感じるのであって、本来のエネルギーの質を自覚して自分の性に目覚めれば、肉体と同じ性別に落ち着くのです。スピリチュアルをするのならば体のエネルギーの質を強く自覚する必要があって、自覚すれば自分の性別と自分のエネルギーと一致しているということが明確に自覚できるわけですけれども、盲目な生き方をしていると周囲の意見に惑わされたり自分のエネルギーを自覚できなかったりして、そういう状態ですと「自分ってもしかしたら性別不一致なのかな」とか勘違いをしてしまうかもしれませんけど、それはただ単に、自分のエネルギーが混乱していて自分のエネルギーの質を自覚していないだけなのです。
何故に、LGBTみたいに意味不明なお話が出てきているのかというと、まず1つは社会を混乱させたいという勢力がいるというのが1点。もう一つは、これは確かに遥か以前からちょっとした問題ではあったのですけど、まだ転生の回数が少なくて性というものがよく分かっていない人の場合は自分で性を自覚したり選ぶことができずに何となく目の前に準備された体を選んでしまって、その結果、「どうして自分は男なのだろう」「どうして自分は女なのだろ」みたいに悩むパターンがあります。それはもう、転生の回数が少なくて経験がないのだから、仕方がないですよね。そこまでは救えないです。ただ、最近のLGBTの風潮によりこのように転生の経験不足な人が偏見の目で見られにくくなった、という良い面はあると思います。ですけど、転生を繰り返したり、チャクラの目覚めにより自分の性を自覚するということはあって、その場合、大抵の場合は、最初にチャクラを自覚した時の肉体の性とチャクラ及びそのオーラの方向性が決まって、しばらくは同じ性を繰り返すように思います。
実際のところ、まだ転生の回数が少なくてチャクラが全然動いていない場合は男でもないし女でもないのです。ただの動物的感情と性欲だけが多少あっても、メンタルな面における性の目覚めはチャクラ以前にはまだされていなくて、しばらく転生を繰り返してからチャクラが少し目覚め、そしてようやく自分の性を理解するわけです。まだチャクラがそれほど目覚めていなくて、本当に、文字通り、まだ性別が未分化の状態にある、という場合は転生の回数が少なくて経験が少ないわけですから、文字通りどちらの性別でもないわけで、そういう人は一定数いますから、それは例外として扱って、それをLGBTとかに分類するのであればアリかもしれませんけど、今の世間でのLGBTとかとこの位置付けとは異なっているわけです。
それとは別に、今回の性で男でやりたいことがあると思って女から男に切り替えるという場合、あるいは、その逆も普通にあります。そんな時は、最初は心と体が一致しないのが当たり前なのです。その場合、性に目覚めれば体に結びついた性になっていきますけど、子供の頃は前世での性を引きずるものなのです。
LGBTが言うことを間に受けて大人になっても前世の性のまま生きていたら、それは単に子供のままで成長していないだけのお話です。大人になったら、特に思春期を超えたら体と心が一致するのが当たり前で、それができないのだとしたら可能性は2つで、一つはまだ転生の回数が少なくてそもそも性に目覚める土壌ができていないか、あるいは、何がしかの精神的な問題があって大人になることができていないか、のいずれかの場合がほとんどかなと思います。
LGBTが言うみたいに生まれた時に性別不一致だから一生そのまま、なんて方がおかしいわけです。
ですから、小学校くらいまで自分がLGBTかなと思うのは、それは思春期以前ですからそんな勘違いあるいは性の未自覚があるのが当たり前で普通のことで、周囲からあれやこれや言って「あなたはLGBTだ」みたいに思い込ませたらその子の一生を台無しにしてしまうくらい罪作りなことなのです。そんなことより、思春期に異性と近づけて自分の性を自覚させた方がよっぽどその子のためになります。それでも自覚できないのなら転生の回数が少なくて土壌ができていない可能性が高くて、あるいは、精神的に問題がある場合もあるわけです。
昔であればそのような例外を排除していたのかもしれませんけど昨今のLGBTの風潮はそのような例外をも受け入れる、という点に関しては良い面ではありますけど、他の面に関しては、なかなか誤解が多いお話かなと思います。
昨今のLGBTも「性は選べる」みたいなことを言っていますけど、私の言っていることはそれとちょっと違っていて、私が大前提としているのは「体と心の性別は一致させるべき」と言うお話があって、その上で、やりたいことに合わせて肉体の体をあらかじめ生まれる前にきちんと選びましょう、というお話です。意外と生まれる前に無頓着に性別を選んでしまう人もいて、もっとしっかり選ぶべきなわけです。
これは、昨今のLGBTのように、肉体の性とは無関係に心ではどちらの性でもどのようにも生きていい、みたいなお話ではないわけです。このLGBTの主張は、生まれる前に自分が性を選ぶことができるという「選択」をそもそも捨てていて、自分が肉体としての性を選ぶことができないという盲目的な誤解に立っているわけです。一般的にはそう誤解されていますけど、実際は、選べるのです。選べないのだとしたら転生の経験が少ないかあるいはそもそも良くわからず何となく選んだということで、それはもう、しょうがないですよね。そこまでは救えないです。
性というのは生まれる前に選ぶことができて、その性でやりやすいことをするのが基本なのです。
この言葉だけを聞くとLGBTが言っていることと似たように聞こえてしまうかもしれませんが、繰り返しになりますけど、私が言いたいのはLGBTの言うように「体の性とは別に、自由に心の性やあり方を選ぶべき」と言うお話ではなくて、むしろ逆で、「生まれた体の性別があるのなら、心もその体の性別に合わせるべき」と言う立場です。
LGBTだとか周囲からあれこれ言われて「性と、らしさ、仕事、とは関係ない」なんていうお話に惑わされる人が増えれば増えるほど、人生が意味不明になっていきます。
仕事に専念して男らしい生き方をしたいなら、わざわざ女の体を選ばずに男の体を選んで生まれればいいだけのお話です。
同様に、女らしく生きたいだとか、家庭に尽くしたいだとか、夫を支えたいだとか、そのような女としての生き方を全うしたいと思うのならばわざわざ男の体を選ばずに女の体を選んで生まれればいいのです。
そうして、「らしさ」があった方が、本来その道を追求したい人が「やりやすい」と言う面があって、女らしさを追求したいのならば「らしさ」が社会にある方が追求はしやすいのです。同様に、「男らしさ」がある社会の方が「らしさ」を追求しやすいのです。
これが、LGBTみたいなお話が主流になって「どちらでも良い」と言うことになると、「らしさ」を追求したい人が追求しにくい、という状況になり、文化の洗練の妨げになり、それはそのまま、洗練されていない文化が出来上がってきてしまいます。それはそれで一つの文化の形ではありますけど、洗練されていない、という文化になってしまうわけです。
又、LGBTのお話が何故に良くないのかというと、肉体の体にはエネルギーの形というものが絶対的に存在していて、その肉体の性別とエネルギーの質というものは強く結びついているからです。男の体には男らしさのエネルギーの形というものがあり、女の体には女のエネルギーがあり、男らしさ、女らしさ、というのはエネルギーの質と密接に結びついています。
LGBTの気持ち悪さはそこにあって、エネルギーの質が体の本来の質と異なる形で心で認識されて表現されているから強い違和感を感じるのであって、本来のエネルギーの質を自覚して自分の性に目覚めれば、肉体と同じ性別に落ち着くのです。スピリチュアルをするのならば体のエネルギーの質を強く自覚する必要があって、自覚すれば自分の性別と自分のエネルギーと一致しているということが明確に自覚できるわけですけれども、盲目な生き方をしていると周囲の意見に惑わされたり自分のエネルギーを自覚できなかったりして、そういう状態ですと「自分ってもしかしたら性別不一致なのかな」とか勘違いをしてしまうかもしれませんけど、それはただ単に、自分のエネルギーが混乱していて自分のエネルギーの質を自覚していないだけなのです。
何故に、LGBTみたいに意味不明なお話が出てきているのかというと、まず1つは社会を混乱させたいという勢力がいるというのが1点。もう一つは、これは確かに遥か以前からちょっとした問題ではあったのですけど、まだ転生の回数が少なくて性というものがよく分かっていない人の場合は自分で性を自覚したり選ぶことができずに何となく目の前に準備された体を選んでしまって、その結果、「どうして自分は男なのだろう」「どうして自分は女なのだろ」みたいに悩むパターンがあります。それはもう、転生の回数が少なくて経験がないのだから、仕方がないですよね。そこまでは救えないです。ただ、最近のLGBTの風潮によりこのように転生の経験不足な人が偏見の目で見られにくくなった、という良い面はあると思います。ですけど、転生を繰り返したり、チャクラの目覚めにより自分の性を自覚するということはあって、その場合、大抵の場合は、最初にチャクラを自覚した時の肉体の性とチャクラ及びそのオーラの方向性が決まって、しばらくは同じ性を繰り返すように思います。
実際のところ、まだ転生の回数が少なくてチャクラが全然動いていない場合は男でもないし女でもないのです。ただの動物的感情と性欲だけが多少あっても、メンタルな面における性の目覚めはチャクラ以前にはまだされていなくて、しばらく転生を繰り返してからチャクラが少し目覚め、そしてようやく自分の性を理解するわけです。まだチャクラがそれほど目覚めていなくて、本当に、文字通り、まだ性別が未分化の状態にある、という場合は転生の回数が少なくて経験が少ないわけですから、文字通りどちらの性別でもないわけで、そういう人は一定数いますから、それは例外として扱って、それをLGBTとかに分類するのであればアリかもしれませんけど、今の世間でのLGBTとかとこの位置付けとは異なっているわけです。
それとは別に、今回の性で男でやりたいことがあると思って女から男に切り替えるという場合、あるいは、その逆も普通にあります。そんな時は、最初は心と体が一致しないのが当たり前なのです。その場合、性に目覚めれば体に結びついた性になっていきますけど、子供の頃は前世での性を引きずるものなのです。
LGBTが言うことを間に受けて大人になっても前世の性のまま生きていたら、それは単に子供のままで成長していないだけのお話です。大人になったら、特に思春期を超えたら体と心が一致するのが当たり前で、それができないのだとしたら可能性は2つで、一つはまだ転生の回数が少なくてそもそも性に目覚める土壌ができていないか、あるいは、何がしかの精神的な問題があって大人になることができていないか、のいずれかの場合がほとんどかなと思います。
LGBTが言うみたいに生まれた時に性別不一致だから一生そのまま、なんて方がおかしいわけです。
ですから、小学校くらいまで自分がLGBTかなと思うのは、それは思春期以前ですからそんな勘違いあるいは性の未自覚があるのが当たり前で普通のことで、周囲からあれやこれや言って「あなたはLGBTだ」みたいに思い込ませたらその子の一生を台無しにしてしまうくらい罪作りなことなのです。そんなことより、思春期に異性と近づけて自分の性を自覚させた方がよっぽどその子のためになります。それでも自覚できないのなら転生の回数が少なくて土壌ができていない可能性が高くて、あるいは、精神的に問題がある場合もあるわけです。
昔であればそのような例外を排除していたのかもしれませんけど昨今のLGBTの風潮はそのような例外をも受け入れる、という点に関しては良い面ではありますけど、他の面に関しては、なかなか誤解が多いお話かなと思います。