頭での思考のループは終わることがない。
矛盾を見出して思考が止まる時、思考のループから抜け出すチャンスがあります。
であれば、思考に負けて抜け出す人こそが本当の勝者かもしれません。
哲学思考を続け、やがて思考の否定に達することがあります。その為の論理は何でも良いのです。論理力のある人ほど覚醒に時間がかかるかもしれません。
哲学は思考の羅列に過ぎず、次の次元に抜け出すことはない。
思考が矛盾等に突き当たって思考停止することこそが瞑想的な観点による哲学の意義になります。
・・・上記は、しばらく前に私の内なるガイドから示唆されたことです。
これを聞いた時、なるほどなあ、と思ったものです。
哲学者は何かを見出そうとしているのかもしれませんが、本当の真理とは言葉を超えたところにあって、言葉の羅列のそれ自体がその地点に連れて行ってくれることはありません。逆に、とある状態があって、その説明のために言葉が使われるのであれば言葉は有意義なものになりますが、言葉が先にあるような哲学では言葉それ自体によってはどこにも到達せず、であれば、哲学の意義とは思考停止の状態に導くことだ、というのも一理あるように思います。思考停止している状態こそが瞑想での最初のマイルストンでもあるわけですから。言葉で色々と論じていたとしても真理は言葉を超えた先にあるのですから言葉どうこうにあまりこだわり過ぎる必要はないですが、それでも、言葉はガイダンスとして役に立つものですので、上記のような意義の他にも、物事をしっかりと把握して表現するという意義も哲学には一応はあるようにも思いました。