散歩中に湧き上がってくる雑念を観察しつつヴィパッサナーに即座に立ち返る瞑想

2020-01-13 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

街を散歩する意識が昔とは随分と変わってきました。

今は、街を歩くと景色がスローモーションになってヴィパッサナー瞑想の状態ですので、その目の視野を純粋に楽しみます。スローモーションで撮ったカメラをスロー再生するかのように景色の移り変わりを楽しむと言う散歩です。

時々、ふと雑念が湧き上がってきますが、その雑念が湧き上がってきたことにも割とすぐに気付いて再度スローモーションのヴィパッサナー状態に立ち返ります。

以前、ヴィパッサナー瞑想の説明を受けた時に「雑念を観察しましょう」などと説明されたことがありますが、その説明が下手だったのかあるいは私が誤解して理解したのか、今から思えばそのように湧き上がってくる雑念を観察すること自体は本質ではなく、雑念なしにありのままに景色を眺めることが本質なのだとわかります。

その本質の状態になるべく長く居座り、雑念が出てもすぐに気付いて本来の雑念なしのありのままのスローモーションに見えるヴィパッサナー瞑想状態に戻ることが清々しいのであって、散歩とはそのような状態で行うものへと最近は変わってきました。

かなり以前の私の散歩は、ストレスなどのモヤモヤした気持ちを散らすために散歩しているような感じでした。今では全く違いますね。

最近は以前のようなモチベーションに基づく旅行にも興味がほとんどなくなっており、その意味としましては、以前のようにストレス解消やモヤモヤした気持ちを発散させるための旅行はもう興味がないのですが、散歩と同様に、このスローモーションのヴィパッサナー状態で様々な景色を見るのはありかもしれない、と最近は思うようになりました。