古典的なサイキック能力開発方法で、石を手にしてそれと一体化することで石がどこにあったのか当てる、と言う修行方法があります。
これはオーラを石と一体化させるわけですが、最近、テクチュとヴィパッサナー的な観察について気付きがあったわけですけれどもそのテクチュの境地とこの石の一体化の修行方法とで面白い一致があることに気がつきました。
古典的な修行方法では「石と一体化」をしますが、それは、テクチュやサマーディで「雑念をなくす」「対象と心を一体化する」と言っているのと同一なわけです。
サマーディの定義は有名でしたのでそれはこのサイキックのお話と似ていることは気にはなっていましたが、まさかテクチュとサイキックなお話と繋がっているとは思いませんでした。
サイキック能力開発方法で現世的能力を求めてはいても、実際のところ、本質というものは似たところにあるんだなあ、と言うのが興味深いです。