ワヤナタ
HOME
全記事一覧
トピック&記事一覧
トピック一覧
世界地図
このサイトについて
問い合わせ
RSS
ゾクチェンをヒントにしたサムヤマの謎解き
←
(時系列の前記事)
散歩中に湧き上がってくる雑念を観察しつつヴィパッサナーに即座に立ち返る瞑想
←
(同テーマの前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)
→
生きているが生きていない人生
半眼の瞑想、座禅
2020-01-15
トピック:
スピリチュアル
:
瞑想録
座禅では半眼で瞑想をするようで、私はヨーガ式に目を閉じてしていますが、最近になって半眼もありかな、と言う感じになってきました。
半眼あるいは普通に目を開いて瞑想をするともちろん視野に物理的な映像が見えるわけですが、おそらくは
日常生活上のヴィパッサナー瞑想
が可能になる以前に目を開けてしまうと雑念が多くなってしまってうまく瞑想できない気が致します。
一方で、スローモーションで見えるくらいのヴィパッサナーが可能な状態で目を開けて瞑想をすれば視野に惑わされずに視野を観察するだけのヴィパッサナー瞑想が可能になるように思います。
ただ、個人的には、ヴィパッサナー瞑想をするのであれば止まった視界よりも歩きながらの変化のある視界でヴィパッサナーをした方が効果が高いかなあ、という気が今はしております。慣れると違うのかもしれませんけど。
視野をスローモーションで観察しても、座っているとさほど景色が変わりませんので変化を見極めようとしますと目を凝らして細かいところを見なくてはなりませんので、ちょっと目が疲れやすい気が致します。一方で、歩きながらであれば景色はよく変化しますのでさほど目を凝らさなくてもヴィパッサナー状態が保てます。
そのような違いもありますし、座っている時は視野よりも内的な体の感覚にフォーカスした方がヴィパッサナー瞑想しやすい、という個人的な好みもあります。
どちらにせよ、おそらくは目を開けて行う瞑想は中級者以上向きかなあ、という気がしております。
上に書きましたように視界に惑わされて雑念が増えやすいということもありますし、そもそも瞑想の基本である集中ができていない段階で目を開けても混乱しやすい気が致します。
ただ、目を開けると言っても、目の前に絵や文字を置いて心の中に浮かべる、例えば禅の阿字観(あじかん)のようなものであれば目を開けていても実際はその映像に釘付けにするわけですから、それは初心者でもありかな、という気も致します。ただ、個人的にはそういうやり方はしてきませんでしたのでここは想像ですけど。
ゾクチェンをヒントにしたサムヤマの謎解き
←
(時系列の前記事)
散歩中に湧き上がってくる雑念を観察しつつヴィパッサナーに即座に立ち返る瞑想
←
(同テーマの前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)
→
生きているが生きていない人生
トピック:
スピリチュアル
:
瞑想録
続きを表示する
自動読込
最新の記事
熱の伴わないクンダリーニへ変化
「中」で視界がぼやけるのとタマスでぼおっとするのとは異なる
最初からサハスララにオーラが満ちている状態
静寂の境地のみを追い求める空病を克服する
神々からしたら中国も日本もヨーロッパも大差ない
タマスから清濁併せ呑む「中」へ
深呼吸をしてサハスララをオーラで満たして静寂の境地に至る
ゲームをサブクエストまでクリアするような気持ちでヴィシュッダを鍛える
人生を遡ってやり直さない場合もある
ヴィシュッダに風船の膨らみのような圧力を感じる瞑想
[
→ 記事一覧を見る
]
トピックス
スピリチュアル: 瞑想録
スピリチュアル
スピリチュアル: ヨーガ: ハタヨガ
スピリチュアル: ヨーガ: クンダリーニ
スピリチュアル: ヨーガ
オリンピック
日本:鎌倉
スピリチュアル: バガヴァッド・ギーター
韓国
エルサレム
[
→ トピック一覧を見る
]
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年
1998年
1997年
1995年