空間と時間の認識

2020-02-11 記
トピックスピリチュアル

空間の認識と時間の認識は割と似通っていることに気が付きました。
最近はヴィパッサナー状態で遠近感がなくなってきているわけですけれども、遠近感によって空間として認識するためには2つの画像を見比べてその差が空間として認識されると思うわけです。

一般的には空間に関しては2つの目が異なる視点で見ることで遠近感を生み出すと言われているように思いますし、以前は私もそうでしたが最近のヴィパッサナー状態では両目で見るのと単眼で見るのと対して差がないような平面を見るような感じになってきています。ちなみに、きちんと視力は1以上どちらもあります。

ヴィパッサナー状態では両目による空間認識能力があまりないようです。ですから、距離感も少しおかしくなって衝突に気を付けなくてはなりませんが、まあ、そこはそんなに問題にはなっていません。

思うに、両目の差で空間を認識していると言うのは正しいような正しくないようなお話で、それだけでは不十分で、認識可能な1コマ前の画像と頭の中で見比べることで空間を認識しているのではないかなと思うわけです。

ヴィパッサナー以前の状態ですと1秒の間に数コマの認識でしたので1コマ前との画像の違いがそれなりにあり、その差の大きさによって頭が処理して空間を認識していたように思います。今はスローモーションのように細かく認識されますので1コマ前の画像との違いがあまりなく、それ故に空間として認識されにくいのではないかと思っております。

これは空間の認識のお話ですが、時間についてもそうかなと言う気が致します。

人は本来、時間を認識しないのではないでしょうか?

空間も実際は空間そのものを認識せずに1コマ前との画像との違いを頭で処理して認識しているのと同様、時間も実際は時間そのものを認識せずに少し前との画像(や感覚)との違いを頭で処理して時間を認識しているのではないでしょうか?

であれば、空間も時間も実は幻のようなものではないか... という気もしてきます。

実際、物理学者やスピリチュアルではこの種の話題はよく出てきますし、空間も時間もそのものずばりを認識することはできないのではないかという気が致します。空間も時間も、そこにあるような気がしているだけ、ということであればすっきりします。まあ、おそらくはそうなのでしょう。

数十年前からこの種の話題はよく聞きますが、ヴィパッサナー状態になって初めてその意味を別の視点から理解できた気が致します。今までは、わかるような分からないような... というお話でした。

ヴィパッサナー状態でスロモーションの認識になれば視界を識別できるコマ数が増え、それにより1コマ前との差分が小さくなって空間が次第に消え去り、時間も消え去り、ということなのかな... という気が致します。

と同時に、視界が平面で距離感がなくなり自分と他人の区別がよく分からなくなり、一歩引いた視点になって、あたかもテレビかモニタを眺めている気がしてきて、見える画面の本質が全て同一であるような気もしてきて、であれば自分も他人も他のものも実体としては同じあるいは両方とも幻のようなもののような気がしてきて、自分と他人を区別している空間というものも消え去り、認識は常にその瞬間瞬間で連続して起こっているので過去とか未来を認識せずに常に今だけの認識になります。

頭で考えることで過去が生まれ、頭で考えることで未来が生まれます。空間も頭で考えることで生まれます。

これは、過去や未来や空間が消え去ってしまうとか全く存在しないと言っているわけではなく、本質が上記のようなものであることがわかる、ということです。物理法則を否定しているわけではありません。

・・・空間や時間の本質がそうなのであれば、ちょっと工夫すれば空間を飛び越して認識したり、時間を超えて認識できるのでは... という気がしてきています。

そんな気がするということはきっとできるということでしょう。これからの趣味の探究の領域はその辺りになりそうです。