神から離れれば離れるほど遠近感が生まれる

2020-02-18 記
トピックスピリチュアル

タマスにより没入感が生まれるのと同様に、タマスになればなるほど遠近感が生まれるような気がしております。これは、ヴィパッサナーで遠近感がなくなってくるのと逆の現象で、ヴィパッサナー状態から離れれば離れるほど遠近感が生まれ、それはタマスな状態のことである、とすれば、とても理に叶っているような気が致します。

西洋文明は近年になって遠近法という手法を発見し、アジアや過去の文明を遅れた文明だと白人文明が主張したわけですが、実際のところ遠近法が上記のようなものだとすれば遠近法を発見できた白人文明とはタマスな文明でありヴィパッサナーとは遠く離れた文明であり、神とは遠い文明であるという仮定が成り立つわけです。

科学技術の発達も遠近法のような技術に根差しているわけで、タマスなことが必ずしも悪いというわけでもなく、タマスによって真実を探るということがよく行われているのだとすれば近年のタマスは神の意志であるという解釈も成り立つわけです。

タマスな状態、神と離れた状態に突き放したのが近年の文明だとすれば、それでどうなるのか見極めたかったという神のご意志であるという仮説も成り立ちます。

一方、ヨガの3グナのうち他の二つ、ラジャスとサットヴァはどうかと言えば、ラジャスは遠近感が中くらいで、サットヴァなヴィパッサナー状態は遠近感が少ない状態ですが、サットヴァは物事を正しく把握するという点において遠近法とは相性がいいのかもしれません。

であれば、タマスだけが遠近法を生み出したのではなくタマスとサットヴァが組み合わさって遠近法を生み出した、という仮説も成り立ちます。

もしかしたら、科学技術や文明というのは両極端なタマスとサットヴァによって作られてきたのかもしれません。そんな仮説も出てきます。

一般大衆が中間のラジャスだとすれば、極端なタマスが神の意思で作り出され、それがサットヴァな神の意識と合わさることで認識が生まれ、文明や科学技術が発展する。

ヨガの世界では割とタマスが悪者になりがちですが、そう考えると、タマスも意外に悪くないものだということになります。