だるまさんのような丸いオーラの体になって眉間の周囲にオーラが集まる

2020-02-24 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

感覚的なものですが、瞑想が安定するにつれて首から下の下半身がだるまさん、あるいはドラえもんの体のように丸くなった感じがしております。

その上に、ドラえもんの頭のようにちょこんと丸い頭が乗っかっています。

かなり昔はオーラを頭に集めたままにしていると不安定になって情緒不安定になったりしたものでした。ですから、以前は瞑想中に頭にオーラを集中させても瞑想を終える前にオーラを胸かお腹の辺りまで下ろすことが肝心でした。

しかし、今はオーラを頭に集めても安定していますし、そのまま瞑想を終えても特に問題ありません。

今から思えば昔はオーラが縦長だったかもしれません。体のオーラが安定していなくて、体に沿った縦長のオーラの上にある頭にオーラを集めようとしてもなかなか集まらなかったり安定しなかったように思います。

しかし、今は体の部分がどっしりと安定しておりますので、頭にオーラを集めてもそのままで安定しています。

頭の、眉間の辺りにオーラが集中している... と言いますか、勝手にそうなる感じです。

昔は意識してオーラを頭に集める必要がありました。

今は、眉間のあたりにオーラが勝手に集まる、という感じです。

これを集中と言うのかどうかは微妙なところで、オーラが集まっているという結果からすればそうですけれども意思として特に集中しようと意図したわけではありません。

下半身のオーラがだるまさんのように丸く安定した結果、勝手にオーラが眉間のあたりに集まるようになった、というお話です。

もしかしたら、そもそもの瞑想の意義とはこういうものなのかもしれませんね。

意図的に集めようとしているうちはまだまだで、オーラが勝手に集まるような状態を目指してその練習をしているのが瞑想である、とも言えるのかもしれません。

これは、呼吸法にも言えますね。最終的な目標の状態をマスターが弟子に教えて弟子はマスターの真似をする。しかし、マスターは努力をそもそもしておらず、単に自分の状態を伝えただけなのでしょう。であれば、瞑想にしても努力するものではなくてマスターの状態が眉間に集中... と言いますか眉間にオーラが集まっている状態なのだ、という解釈もできます。

そんな気がしてきました。

表現の違いといえばそうかもしれませんけど、以前および今日くらいまではこれらの状態を「オーラを集める」だとか「オーラが眉間に集まる」とか「眉間に集中する」とか表現していたわけですけれども、瞑想でこれらの状態を観察していましたところ、どうやらオーラを集めるというのは一応は正しいものの、手のひらでオーラを持って頭の上に集めようとしているようなイメージ、あるいは、頭の上半分が空洞で、そこの周囲にオーラを集めている、という表現の方が正しい気がしてきました。

昔、マニプラ優勢の頃にアナハタの感触がなくてアナハタにエネルギーがあまり通っていなかった時の感覚に似ています。今は頭の上半分のアジナに感触がありませんのでアジナにエネルギーがあまり通っておらず、アジナにエネルギーを集めようとしている状態なのだと思います。アナハタ優勢になる以前の経過を踏まえて、アジナも同じような経過を辿るのだと仮定すればおそらくは今はアジナにエネルギーをようやく通そうとしている状態なのかなと思います。

チャクラって「開く」って表現されますけど、開くというのも間違いではないにせよ、エネルギーがそこに通る、という感じだと思いますので、アジナにエネルギーが通っていない現在の状態においてようやくその「境目」が認識されるようになったのであれば、それはマニプラ優勢の頃にアナハタに対して境目とアナハタの感触のなさを感じていてその後アナハタにエネルギーが通り始めたのと同様、アジナより下にエネルギーが満ち始めてオーラの体がだるまさんのようになってアジナに対して境目とアジナの感触のなさを感じているのは、割と良い傾向なのではないかなと思っております。