私はしばらく忘れていましたけど、子供の頃に幽体離脱した時に過去生も見て、セドナ近くでネイティブアメリカンとして生まれ、セージ(薬草を扱う医師)をしていたことを思い出しました。
思い出したきっかけは、私が少し前にセドナに旅行した時のスピリチュアルなカウンセラーの一言です。特に過去生を聞いたわけでもないのですが、見てもらったら「あなたは昔、ここに住んでいたことがあります」と言われて、その一言で色々と思い出したのです。
記憶は幽体離脱後にもしばらくあったのですが、さすがに何十年も経っておりましたので忘れていました。それが、ふとした一言で思い出したのです。
私は数字として年代は大雑把にしかわからないのですが、そのカウンセラーは約270年前と言っておりましたので1720年前後かと思われます。
これは、私の記憶とも被ります。おそらく1700年ごろに生まれて1720年頃はまだ若くて妻も子供もいて、おそらくは30歳前後で白人が攻めてきて銃で殺されたかと思います。妻や子供も皆殺しで、私は幽体で空から家族が白人に殺されるのを見ておりました。泣き叫んで白人が乗った馬から逃げようとした妻が行く手を阻まれて子供もろとも銃で殺されたりしました。
ですから、最初にアメリカに旅行や出張で行った時はその時の記憶が出てきてしまい、白人を許す気になれなかった、ということもあります。今は落ち着いてきてそうでもありませんが、どうも、時々、私を殺した白人の顔がチラつくことがあります。
当時、私が生まれた頃の村は平和そのものでした。白人が来ることもほとんどありませんでしたが、青年になって家族を持って子供も生まれた頃、白人がぽつぽつとやってくるようになりました。
最初から攻めてきたわけではありません。最初は普通にやってきて、ことあるごとにインディアンの文化を馬鹿にして行ったのです。私は薬剤を扱うセージでしたが、白人は唯物論者でしたので、葉っぱなんか飲んで治るわけがなく、化学物質を使わないと治らない、と言ってことあるごとにインディアンの薬を馬鹿にして笑い物にして帰っていったのです。
あの人たちのやり方ですが、最初は薬を無料で配るのです。そして、そのうち頼るようになったらお金や何かをごっそり持っていくようになるのです。今回の場合、トレードで財産を奪うよりは銃で丸ごと奪った方が効率的だという判断になって村ごと虐殺されたようです。
まあ、それでも虐殺までは10年かもっと時間の猶予があったと思います。さすがに奥地までは一気に攻略できないでしょうし、攻めるとすれば一気に来るでしょうし、攻め始めたら警戒されるので調査の段階では奥地までそれとなく来ていたのでしょう。
薬を無料で配られた時、私はその村のセージ(医者)でしたので、古来から伝わる薬剤の代わりにその化学の薬を代わりに村人に配るようになりました。実際、よく効いたわけです。
私はよく効くと思ったのですが、特に村の老人、お婆さんやお爺さんのような年代に言わせると、昔ながらの薬の方がいい、と言っていました。私はセージ(医者)でしたので、そういうものかな、と思って、それで効果があると言っているのだから... ということで希望に沿った薬を調合していたように思います。
今、医者と言うと診断をして薬を調合して... というあたりになりますが、当時のネイティブアメリカンの医者は、もう1つありました。「祈り」です。
まあ、「祈り」とは言っても随分と騒がしいもので、踊りや歌のようなマントラのような不思議なメロディを何時間も口ずさんだり太鼓のような楽器を使ったりして踊りながら患者を励ます、というものでした。
日本で想像する「祈り」というとキリスト教徒が教会でするような静かな祈りですが、この場合の祈りは念を口に乗せて口ずさんで音に出し、患者の生命エネルギーを高揚させて魂というかオーラのレベルで治療するというものでした。
メロディはさすがにほとんど覚えておりませんが、雰囲気だけは覚えております。随分と騒がしくて、村中に響き渡るものでした。それを、患者の具合が良くなるまで続けるのです。手を上下に上げ下げしたり半腰になって患者のベッドの周囲を歩き回ったりして、面倒を見るこちらも汗だくになるくらい大変なことでした。
時には半日、時には1日中面倒を見て、その間、患者が苦しんでいたらそれを助けるために踊りや祈りの歌を頑張り、精神的に助けていたわけです。薬だけでも治ることもありましたが、辛い時に近くにいて心の助けになるための職業だったわけです。
それで、治ったらその家族から報酬として、物々交換のお金相当のような対価をもらったのです。
踊りといえば、祭りもとても楽しいものでした。足腰がものすごく強いので、半腰になって足や腰を物凄く細かくとても長い間激しく動かし続ける踊りを村人みんなでキャンプファイヤーの周囲で行うのです。
特に子供の頃は白人も来ていなくて、とても平和で、毎日が幸せだったように思います。特に祭りの日は最高でした。
そうして成人になり、セージ(医者)を職業として選び、村の医者から調合法を学び、独り立ちして、妻をめとり、子供が生まれて、そして、白人が攻めてきて村人丸ごと虐殺されたわけです。
アメリカにいる白人は、おそらくは私のような記憶を持った人に長らく恨まれているのではないかと思います。私は特別に白人を恨んでいるわけではありませんが、時折、その時の記憶が出てくることがあります。
そういえば、村の長老は古来から伝わる秘密を代々受け継いでおりました。
私はそれほどの年齢でもありませんでしたし、それを引き継ぐ家系に生まれた訳でもありませんでしたのでその秘密の詳細は聞いたことはなかったのですが、噂は聞いてことがあります。それは星々を渡り歩く知識だったり未来の予言だったりしたと思います。
私は恐らく、殺される運命をあらかじめ知っていながら、それで十分かな、ということで転生を決めたような気が致します。 スピリットは時代を行き来できて時間を超えられるわけですけど、その時のスピリットの視点として前の人生の終わりの頃になるのが割と多いように思います。時空を超えることもできましたけど、選択肢としては時代に沿って経験することの方が多いような気が致します。
確か、その前の人生ではヨーロッパあたりで数学者か科学者か、頭をよく使う職業を選んでいたかと思います。それ故に、頭ばかり重視する人生を続けてきたためにバランスを取り戻したいと思い、自然と共に生きるネイティブアメリカンとしての人生を選んだようです。それを選んだ時代は既にアメリカに白人が詰めかけておりましたが、そのタイミングで転生したとしてもギリギリ、ネイティブアメリカンとしての人生を生きられて自然と共に生きる生き方を学ぶことができるので、殺されることを承知で転生したようです。
ですから、ある意味、殺されることも受け入れてから転生を決めたわけですが、そうして決めて受け入れて転生したとしても、実際に殺されるとかなり後味悪いもので、後に引くことになります。殺されることは、さすがに理屈ですんなりと割り切れるものではありません。
まあ、それはあくまでも過去のお話で、今は基本的にそんなこと気にしないで生きているわけですが、ふとしたことでネイティブアメリカンとしての人生を思い出すことがあるわけです。
家は茅葺っぽい感じの円錐でしたが、襲撃の日、私は家の中で薬か何かの準備をしていました。
ふと、周囲から騒がしい音がして悲鳴が聞こえ始め、何事かと思って家の外に出たら、村人が逃げ回っていて馬に乗った白人に次々に殺されていました。
白人たちはネイティブアメリカンを馬鹿にした顔つきと喜びの雄叫びをあげながら銃を突きつけ、抵抗する者もあったが次々に銃で殺されていき、私の周囲で地獄絵図のような虐殺が行われていました。それを茫然と私は眺めていました。
抵抗することもできましたが、あっという間に殺されている武力の差や馬による機動力の差があり、何より、この日をあらかじめ予見していたために今日が最後の日だと悟りました。
他の村人には雄叫びをあげながら追いかけていた白人が、ふと、私の目の前にとぼとぼとゆっくり馬に乗って歩いてきました。逃げもしない私を観察しにきたようだった。その白人の顔はそれなりに覚えていますが、逃げもしない奇妙なものを見る見つき... という感覚が30%ほど入った無表情で私を観察していました。逃げれば雄叫びをあげて追いかけるだろうが、逃げもしないのでどうしたものか、という感じが伝わってきました。
逃げを誘っているのはよくわかりましたので、私はこれが最後の時だと悟り、真っ直ぐに立ったまましばらくその白人の顔を見つめ、やがて、目を瞑りました。
そうすると、数十秒しただろうか。急に銃声が目の前で鳴り響き、私の頭、恐らくは眉間か顔に銃が1発貫通し、そのまま倒れてお亡くなりになったのです。一撃でした。何時も経たないうちにすぐに魂というか幽体が体から抜け出し、私の体を上から見下ろし、私を殺した白人の姿も同様に見下ろしていました。
私の家族が殺され、村人も虐殺され、私を殺した白人は全てを殺した後、馬に乗って、同じような無表情で立ち尽くしていました。
その後、村のあった場所に白人が入居してきました。それは勝利の人たちであり、その家族もある種の笑いというかネイティブアメリカンに勝利したという、人を踏みつける心を持った人々だった。アメリカはこうして作られていったのでしょう。その白人たちが、今、こうしてアメリカを支配しているのです。野蛮な白人。それがその時の印象でした。
楽園のようだった村は消えて無くなり、白人の街だけが残りました。それが、私の住んでいた村で起こったことでした。
・・・まあ、こういうのは、単なる夢かもしれませんし、子供の頃にどこかで見た映画を思い出しているだけかもしれません。本当かどうかはわかりません。しかし、あのリアリティはなかなか映画を見ただけで再現できるものだとは思わないのです。