自分とスピリットの自分とグループソウルとしての自分

2020-04-25 記載
トピックスピリチュアル

顕在意識としての普通の自分という意識。
時空を超えた幽体としてあるいはスピリットとしての自分。
そして、スピリットとしての自分が分かれた元であるグループソウルとしての自分がいます。

ニューエイジのスピリチュアル以降はハイヤーセルフという言葉がよく使われるようになり、これらの一部がハイヤーセルフだったりするのですが、ハイヤーセルフと言った時、何を意味するのかコンテキストごとに異なるので読み解く必要があると思います。上の中でいくつかの部分がハイヤーセルフと呼ばれたりします。

また、流派によっては更にロウアーセルフ(低次の自己)という概念があったりします。このロウアーセルフは曲者で、ロウアーと言いつつも地球意識のことを意味していたりします。それって大きな意識だからロウアーというのも違和感ありますけど、いわゆるグラウンディングとしてのロウアーセルフということなのかもしれません。

言い方としては多様であっても、あるものは同一です。

顕在意識としての自分は安全を確保する基本的な欲求から所有する感覚としてのエゴを持ち合わせています。
この顕在意識とスピリットとしての自分は、見ている観点が少し違うだけで割と一緒です。普段はその両者がごっちゃになっています。

肉体に関連した意識の部分と、スピリットとしての時空を超えた部分の両方があります。
幽体離脱する時は肉体の感覚、視覚などがなくなってスピリットの側だけになります。
あるいは、うまくやると肉体の感覚を少し残したまま、肉体の安全を確保しつつスピリットを自由に動かすこともできます。

ですから、顕在意識としての普通の自分とスピリットとしての自分は一緒と言っても良いのですが、顕在意識は時空を超えにくいのに対してスピリットは時空を超えます。

ニューエイジでハイヤーセルフというとき、「高次の自分」という意味で使われますので、それは、スピリットとしての自分の場合とグループソウルとしての自分の場合とがあります。

スピリットとしての自分は普段は顕在意識で肉体と結びついておりますので、スピリットとしての自分としての意識になった時、それは変性意識であったりするわけですが、その時のスピリットをハイヤーセルフと呼んだりしますが、同じ自分の一面です。

一方で、自分のスピリットが分かれた大本であるグループソウルとしてのスピリットをハイヤーセルフと呼ぶこともありますが、グループソウルは細かなことに口出ししないのでニューエイジでハイヤーセルフと言ってもグループソウルでないことがほとんどです。

人によってハイヤーセルフの定義がまちまちで、私なんかからするとスピリットとしての自分は単に自分のスピリットであってハイヤーセルフではないと思うのですが、あまりにも肉体との結び付きが強い人はスピリットとしての自分ですら特別に感じてハイヤーセルフとか言って特別視するのかもしれませんね。この場合のハイヤーセルフと言っても基本は自分の意識ですから、まだまだ自分の限界から超えてはいません。

グループソウルとしてのハイヤーセルフは他の人はハイヤーセルフとは言っていない気がしますけど、これこそハイヤーセルフと呼ぶにふさわしいと私なんかは思います。

私のスピリットが分かれた大本であるグループソウルとしてのハイヤーセルフは、いわゆる「人の形」としての意識体として存在していて、グループソウルとしての意識もあれば、個別のスピリットの個々の意識も統合しています。これこそハイヤーセルフと呼ぶにふさわしいと思うわけです。

一方で、自分のスピリットはハイヤーセルフと言うよりも単に自分のスピリットであって、ハイヤーと呼ぶほどではないと思います。

ですが、多くの人は自分のスピリット、いわゆる自分の意識の一面をハイヤーセルフと呼んでいたりしますので、他人がハイヤーセルフと言う時は何を意味しているのかコンテキストを読み解く必要があると思います。