「知識」を「行動」との対比で比喩的に表現するヴェーダンタ

2020-05-11
トピックスピリチュアル

ヴェーダンタでは「知識」が重要で「行動」は不要であると説いているようです。このあたりは先日も少し書きました。

ヴェーダンタの人がいう「知識」は、一般的には「知恵」「叡智」と読み替えると良いと思います。

ヴェーダンタの人は「知識」というものは本来、単に知っているというだけでなく応用できて深い知識があることだと言いますし、それはそれで正しいと思うのですが、一般的には知識というと軽く扱われており、単に知っていることを意味しているので、個人的には知識じゃなくて知恵と訳せばいいと思うのですが、割と軽く扱われる「知識」という言葉を選んでいるようです。

ですので、ヴェーダンタの人が「知識」という時は「知恵」のことなんだな、と読み替えるといいと思います。

こんなことをヴェーダンタの人に直接言ったら「知識だ」と言われるだけなので、そんな野暮なことを本人に言う必要はありません(苦笑) 単に、自分の心の中で「知恵」に読み替えて理解すればいいだけです。

いいんです。それで。 一般人に「知識」が大事と言っても「何のこっちゃ?」と思われるだけですから。

ここで知識と言っているのは、以下のポイントにおいてです。

・魂・スピリットに関する知識は肉体による行動を伴わない。しかし、魂・スピリットによるオーラ的な行動・活動は伴う。
・真実を見抜くこと。幻想に惑わされない。

まあ、ヴェーダンタの人は細かく用語を使っていろいろ言いますけど、物事は単純です。

ヴェーダンタの人の主張に「理解さえすれば行動せずに解脱できる」と言うのがありますけど、そう言っている本人たちが一生懸命修行していたりします。本人たちはその行動を「行動ではない!」と言っているだけですので、あまり突っ込まない方がいいと思います。

ただ単に、「行動」と言う言葉に敏感になっているだけですので、そっとしておいてあげましょう。スピリチュアルにはいろいろな流派があって、例えばこのように「行動」をとにかく毛嫌いして時にはヒステリックになる流派もあるのです。まあ、その人だけかもしれませんけど。

本来の意味としては上記のように「肉体の行動を超えたものである」と言う点だけだと思うのですけど、それを曲解して、肉体の行動に制限を加えてしまうのはせっかく肉体があるのそれに制限を加える意味がわかりません。使いたくなければ使わなければいいし、使いたければ使うだけです。それを、教義を持って行動に制限を加えて何が楽しいのでしょう? 自分を縛って精神修行していると言うのであればわかりますが。

三位一体なんて言われていたりしますけど、魂・スピリットと体とは繋がっているのですから、体だけ邪険にせずに全部、それぞれ必要な時に好きなように使ってあげればいいだけだと思うのですが。

とりあえず、ヴェーダンタの主張としては修行のために一時的に行動を制限しているのだ、と理解する事にします。確かに、一時的には静かに過ごして精神を落ち着かせる必要があるのでじっとしている必要性もわかります。しかし、ヴェーダンタはそれこそが彼岸の悟りへの知識だと説いているので混乱しますけど、一般人向けにはそのように語っているだけなのかもしれないですね。そのような方便(手法)を用いて初学者を黙らせて静かに座らせる効果はあるかもしれません。

この地上世界はスピリットが活動する自由な場所ですので、自由に制限を加えるのも自分の自由ですし、修行のために行動を制限するのは好きにすればいいと思います。