確かに高次の世界もありますし、地球よりももう少し意識が進んだ世界も存在していて、それは地球の別の面(パラレルワールド)だったり別の星系の惑星だったりするわけですけれども、そういうところに移ろうと思って生活してもあまり意味がないと思います。
基本的には類魂(グループソウル)および仲の良い仲間・友達の霊魂たちは一緒に生活をしていて、引っ越す時も割と一緒ですし、バラバラになることもありますけど、割と縁があってまた一緒になったりします。ですから、住む場所を大きく変える時も基本的には同じ仲間・友達・グループソウルと一緒にごそっと移るのが割と一般的だと思います。
新しい世界に移ったとしても、その仲間たちは今まで通り楽しく暮らすわけですね。
ですから、自分が次元上昇だとか高次の世界に行くんだ! とか思って暮らすよりも友人知人の気の合う仲間やグループソウル繋がりの人たちと仲良く暮らしているくらいで割と十分のような気が致します。引っ越す時は集合意識でそれとなくそんな感じになって、わざわざ行くぞとか決断しなくても自然にそうなりますから。
それに、次元上昇だとか高次の世界とかいう表現って割と「分離」の意識ですよね。自分がどこかに行くと思っている時点で「今、この時点。この瞬間」に生きていられていないのでは? という感じを受けてしまいます。
それでも、一人だけトコトコと高次の世界に行って生まれてみることはできます。私も随分と前にそうしたことがありますけど、繋がりのある仲の良い友達もいないですし、何より、意識が違いすぎていて、なんだか合わないです。やっぱり、自分が今いるところが一番ちょうどよくて今この地球に転生しているのだなあ、とその時はつくづく思って、すぐに地球に戻ってきましたよ。
地球上でも意識の差があって、明らかにうざったくて勝負好きだったり情欲にまみれていたり食欲を我慢できなかったりする意識が割と低めの人たちがいるわけですけれども、惑星全体が高次の意識で満たされている平穏な世界に地球の人が転生してまず思うのは、どこか疎外されている、という感じだったと思います。どこかで私以外の同じような経験をした人と話したような気がしますが、その時にも似たようなことを言っていた気がしますね。
高次の世界に地球の人が転生すると、まず、うざったがられます(苦笑)
地球で意識の低い人たちをうざったく思うのと同様に、地球である程度の意識を向上させたと自分では思っている人であっても高次の世界に行くとその世界の平均よりは劣っていますから、多くの人たちに意識が下の人として見られ、そのように扱われます。
地球にいる人の場合はだいたいはお腹のあたり、いわゆるマニプラ優勢で「(低い)感情」が優勢の人が多いですから、惑星によっては平均がアナハタ以上だったりしますから、そういうところにマニプラの低次の意識で行ったりするとうざったがられたりするわけですね。地球だとマニプラは中間より少し上くらいだと思いますけど、惑星によって平均が違いますから、世界が移った瞬間に下層に位置づけられたりするとなかなか精神的に厳しいと思います。
ブッダの本を読んでいると、どこそかの意識に達した人はそれより上の世界に一度転生をして、それから戻ってくる.... みたいなことが書かれてありましたけど、もしかしたらそれはこういうことかもしれません。そのうちこの本意を確かめてみたいとは思ってはいますが今はブッダのお話は仮説です。
そんなわけで、そんなに高次の世界だとか考えない方がいいと思いますし、そんなことよりも、今の人生を楽しく暮らした方がいいと思います。