スピリチュアルが手段になってしまっている人がいます

2020-05-23 記載
トピックスピリチュアル

どのくらいの確率かわかりませんけどスピリチュアルが何かの目的を達成するための手段になってしまっている人がそれなりにいるような気が致します。

スピリチュアルとは、この世のあり様を明らかにするだけのことであり、この世のあり様とは、世界の成り立ち、特に自分自身の成り立ちを理解するだけのことです。

行動に関して言えば、何をしてもいいのです。生き方なんて、好きにすればいいのです。

この世の成り立ちや、特に自分自身の立ち位置、過去と未来の行末の真実を理解することがスピリチュアルであって、何かの目的を達成することがスピリチュアルではないのです。

スピリチュアルはほぼ全てを包括していますのでその小さな小さな一部として目的達成というのがあると言えばあると言えなくもないですけど、その程度のものです。何をするかなんて、勝手に好きに自由にすればいいだけです。わざわざスピリチュアル を持ち出すこともありません。

女性であれば祈願をして現世利益を得ようとしたり男性であればビジネスの成功を願ったりするスピリチュアルは、ほんと自分の可能性を自分で摘み取っているようなものだと思います。

だって、本当のスピリチュアルであれば好きに生きればそんなのはすぐ叶うのに、祈願をしたり誰かに頼んだりグッズを買ったり、そんなのは、スピリチュアルというゲームを楽しむという点において楽しいのであって、本来は、そんなの全部、自分の好きにできてしまうものです。

この地球上でスピリチュアルというゲームが生まれて、そのゲームにのっとって行動すると面白い! それは否定しないです。 でも、それは所詮ゲームですから、ゲームをゲームとわかっていておもちゃで遊ぶのと、ゲームなのに本気になってスピリチュアルにのめり込んでいるのとはかなり違います。

今、流行っているスピリチュアルは一つのゲームという点において面白くて、そのゲームを提供してくれた人には感謝してもいいくらいですが、それと、本来の意味でのスピリチュアルは全く別物だということを認識しておいた方がいい、というお話です。

所詮はこの地球上の出来事はみんなゲームなのですから、スピリチュアルというゲームを楽しむ、というくらいがちょうどいいと思います。



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