ヨーガあるいはヒンドゥ教では意識の4つの状態を言い表しています。
・目覚めの状態(ジャーグラト)
・夢見の状態(スワプナ)
・熟睡の状態(スシュプティ)
・覚醒意識(第四の状態、トゥーリヤ)
具体的にはマーンドゥーキヤ・ウパニシャッドにて次のように記されています。アートマンとはざっくりいうとヨーガでいう魂のようなものです。
■アートマンの四位
・覚醒位(jagarita-sthana)における普遍位(vaisvanara)
・夢眠位(svapna-sthana)における光明位(tajiasa)
・熟睡位(susupta-sthana)における識所成我(prajna)
・第四(caturtha)位の我、聖音オーム(om=a.u.m.)、吉祥、絶対不二(advaita)
「ウパニシャッド(辻 直四郎 著)」より
原典の翻訳には以下のようにあります。
・アートマンの第一のすがたは(中略)ヴァイシュヴァーナラである。覚醒状態にあり、(中略)、感覚器官からよろこびを受け取って、それを享受する者である。
・アートマンの第二のすがたは、その精神的な状態における普遍的人格、タイジャサである。(中略)彼は夢見状態にある。(中略)自分の過去の行為が思考期間に残した微細な印象を享受する者である。
・アートマンの第三のすがたは、熟眠状態における普遍的人格、プラージュニャである。プラージュニャは夢を見ず、欲望を持たない。(中略)あらそいも不安も経験しないのだから、彼は至福に満ちており、至福の経験者である、と言われる。プラージュニャは全てのものの主である。彼はすべてのものを知っている。彼はすべてのものの心臓に住む。彼はすべてのもののはじめである。彼は全てのものの終わりである。
・第四のすがたは、(中略)感覚を超え、理解を超え、表現を絶したもの、それが第四のすがたである。(中略)それはアートマンである。
「ウパニシャッド(日本ヴェーダンタ協会 著)」
こうしてみますと、一般的に言われている最初の定義と実際の内容とでかなりの違いがあることがわかります。
最初の4つの定義は割とヨーガ業界では有名で色々なところで語られていると思います。
私が思うに、特に4つ目の「トゥーリヤ」はスピリチュアル業界で有名で、おそらくは和尚ラジニーシ(OSHO)が講話でことあるごとに繰り返して本にも多数載っていることでこのトゥーリヤが超越状態を意味することが広く知れ渡ったのだと私は思っています。
しかし、実際に本文を見てみると、ちょっと意味合いが違うことがわかります。
第四の状態を目指すというのは確かにそうですが、実際は、それぞれの状態全てにきちんと重きが置かれるべきだと思うわけです。3つそれぞれをきちんと理解して体験して、そして初めて第四の状態に導かれてゆくのであって、最終目的地の第四の状態をいくら繰り返したところで覚醒には至らないのかな、と今では思います。確か20年以上前のスピリチュアルやニューエイジのブーム時代には和尚ラジニーシ(OSHO)の講話の本が人気になってトゥーリヤという言葉も一般的になったかと思いますが、その時は、このような細かな説明は聞かなかったような気が致します。私が読み飛ばしていただけかもしれませんが。
簡単にポイントを記載すると、以下のようになります。
・目覚めの状態(ジャーグラト)アートマンの一面、ヴァイシュヴァーナラ。感覚器官を受け取る者。
・夢見の状態(スワプナ)アートマンの一面、タイジャサ。微細な印象を受け取る者。
・熟睡の状態(スシュプティ)アートマンの一面、プラージュニャ。至福の存在。
・覚醒意識(第四の状態、トゥーリヤ)これこそがアートマン。
第四の状態であるトゥーリヤがアートマンであるとはどういうことでしょうか? 聖典の本文によると、以下のように続きます。
すべての言葉を超えたこのアートマンは、オームという音節である。この音節は分割できないが、3つの文字、すなわちア・ウ・ムから成っている。「ウパニシャッド(日本ヴェーダンタ協会 著)」
同書によれば第一から第三までの状態がそれぞれア・ウ・ムであり、第四の状態であるトゥーリヤがアートマンであるところのオームだと言うのです。
であれば、これらの意味もはっきりとします。
和尚ラジニーシ(OSHO)の講話は、当時は「トゥーリヤという凄い状態があるのだな」と思って読んでいましたが、今から読むとインパクトのあるところだけを取り出して弟子たちを喜ばせていたという面もあるのかな... というショービジネス的な面が見え隠れしているのが見て取れます。スピリチュアルで2周・3周・4周くらいしてくると色々な視点が持てるものです(苦笑)
参考までに神智学から見たこれらの状態の定義を記載しておきます。
・ジャーグラト(Jagrat)は普通の、目が覚めている時の状態。
・スヴァプナ(Svapna)はアストラル体の中で働き、その経験を脳に刻印しうるような夢意識。
・スシュプティ(Sushupti)はメンタル体の中で働く意識で、その経験を脳に伝えることはできない。
・トゥリヤ(Turiya)は三昧(サマーディ)の状態で、ブッディー体(純愛と叡智)の中で働く意識であるが、脳とは離れすぎているため、簡単に思い出しうるものではない。(中略)深い瞑想(三昧、サマーディ)によってのみ連携あるいは思い出せる。
「神智学大要 第2巻 アストラル体[上](A・Eパウエル 著)」
これらは神智学におけるアストラル体等の定義を知らないとなかなか読み辛いものにはなっているものの、内容的に違う面から語れていて示唆に富んでいると思います。