神の潮流と人が神に挑戦する潮流(同テーマ&時系列の前記事)

神と話をしていない人が天意とか世の中の万人のための国づくりだとか言う茶番

2020-06-25
トピック: スピリチュアル

チベットが崩壊する際に中国側について政権崩壊を助けた役人にしても、維新で江戸幕府を倒した役人にしても、みんな、世の中のためだとか万人のためだとか成長のためだとか天意だとかを持ち出して正当化したんですよ。

ですけどね、神様とお話をしましたか? ってとこが重要なのですよ。いくら本人が天意だとか国民のためだとか世の中のためだとか万人のためだとか人民解放だとか言っても、神様と話をしていなければ茶番なのですよ。

昔は神様がその意思を地上に降ろして万人を支配・・・ と言うと言葉は悪いですけど、人々を導いていました。それを支配と見るのか見守ってると思うのか、歴史の場面においては厳しい選択もしましたけど、人々が幸せに豊かに暮らせるために王族が判断していたのが歴史なのですよ。そして、そこには必ず神との対話というものが含まれていて、王族の選択においては欲望というものは二の次でした。

王族は贅沢をしていたじゃないか、とか言う人がいますけど。そりゃ、こんな野蛮な地上の面倒を見るのだから安全で多少の健康的な食物だって取りますよ。昔に比べれば随分と地上の人々の食生活も改善されましたし、その第一は王族の食生活も良くなって行きましたけど、歴史を見ればどんどんと豊かになって食べるものにせよ家にせよ、良くなって来ていますよ。それを不公平だとか言うのが浅ましいのですよ。誰によって人々の生活は良くなりましたか? ってとこの理解が抜けています。

まあ、昔の王族はそんな感じでしたけど、今の政治家は神様と対話していませんので、自分の欲望を最大限に満たすためにまず政治をして、それから、有権者を煽って欲望に走らせていますよね。豊かになります! と叫んだり不安を煽ればある程度の票は取れます。

昔の王族は、もっと毅然としていましたよ。民がどう思っているかを知りたがることはあっても、民に政策を尋ねたことはありませんでした。王族ですから、何でも自分たちで決めて行っていました。それを見て民は喜んだり不満やらを言ったりもしましたけど、それでも、王族が決めたことにはある程度の納得が伴っておりましたので、今のように非難合戦になることはほとんどなかったように思います。

王族も大変なのですよ。何をしても民から色々と言われます。そこは昔も今も一緒です。

例えばローマにおいては皇帝は普通に一人で町を歩いたりしていました。意外ですか? 王族と言っても割と普通だったのですよ。町で、人々から様々な不満や意見を聞いたりしました。その頃でも、人間出身の政治家と言うか王族と神の系統の政治家というか王族がいまして、神と話をしている人とそうでない人がいました。

神と話をしたところで神と話ができない人間には何のことかわかりませんし、最近だと「神の名を借りた不届き者」とか言って粛清の理由になったりしますからね。最近は神と話をして政治をしいても言わない人がほとんどでしょうし、そもそも神と話ができる政治家はほとんどいないと思います。

その点、人間出身の政治家の方が民主主義に向いていますよね。欲望あるいは不安を煽って票を集めればいいのですからね。不安の方は十歩譲っていいとしても、欲望はよろしくないです。

どちらにせよ、神と話をしていないという時点で茶番ですけどね。

昔の政治家は、大きく分けると神と話ができるかできないか、という点でかなりはっきりと線が引かれていました。

例えばね、チベットでは政治が宗教によって行われていた、なんて言われていますけど、宗教というよりも神と対話できる人たちが国を支配していたのです。

その一方で、頭は多少回って賢いが神と話ができない小役人が大してない知恵を働かせて国の転覆に加担し、中国がそのような小賢しい役人を利用してうまく政権を奪ったのがチベットの騒乱です。チベットにはしばらく騒乱がありませんでしたし、神と話ができる人たちは神と話ができない人たちを軽視しすぎたのでしょうね・・・。そのような小役人が何をしでかすか、想像力が足りなかった。小役人からすれば知恵のある自分の意見が取り入れられないのはおかしくてチベット権力者は遅れているので自分たちがどうにかしなくてはならないと思い違いをしたのでしょうね。そもそもチベット権力者は神と話をしていたのであって小役人のことなんてどうでも良かったのです。小役人にしてみれば、チベット権力者が神と話をしているということが想像のお話としてしか理解できず、本当のことだとは思えなかった。そこに、超えることができない壁があったのですね。神の声を聴ける者と聞けないものの間で、理解の溝が深くなりすぎていたのです。

神がついていて話ができるのに対処できなかったのはどうしてでしょう? というお話もありますけど、そこは謎ですね。私が知るべきことではないようです。理由はあるようですけどね。あまり言いたくない感じです。どうやら、チベットの歴史と関連があって、内輪揉めみたいな面もあったようですね。神にしても、チベットの権力者のことを苦々しく思っていたという面もあったようです。だから、一旦は中国の思い通りにさせてみよう・・・ という選択に至ったのかもしれません。あるいは、もっと大きな判断があったように思います。それは今回のトピックと離れるので一旦は保留します。

中国は内輪揉めしている内情につけ込んだ上、不遇の境遇にあると思い込んでいる小役人と繋がってうまく動かし、チベットを簡単に転覆させました。

日本においても、不遇の境遇にあると思い込んでいる岩倉具視みたいな小役人と繋がってうまく動かし、江戸幕府を簡単に転覆させました。この種の、小賢しい小役人は本当に要注意ですよ。今でも政治家や官僚にいるでしょう? 神と会話できないのに妙に小賢しい人たちが。

日本の場合は、一般的には維新は自身で立ち上がって討幕に至ったなんて言われていますけど、それ、嘘ですから。後から自己正当化のために政府が作り出したストーリーですから。勝者が歴史を作る、っていうやつです。外国からの工作にしてやられたが、その後、何とか外国の植民地になるところは防いだ、というのが真相です。

日本の場合岩倉具視みたいな小役人が暗躍して政権転覆を企んだ、というのがチベットの構図と似ています。政権の中枢ではなく、自分では能力があると思っていて不遇の境遇にあると思い悩んでいる人を狙うという点がチベット騒乱にしても維新にしても共通点ですよね。両方とも、外部からの工作がないとあんなにうまくクーデター成功しませんよ。どちらも、小賢しい小役人を外部からうまく操って政権転覆させているのが共通点です。

チベットは中国に併合されましたけど、日本の場合は併合が免れたのは不幸中の幸いで、江戸幕府の転覆においては外国の謀略にしてやられて惨敗。歴史というのは勝者が作りますから維新は良かったなんて言われていますけどそれは勝者の作り出した都合の良い歴史でしかなくて、実際は、日本の古来から栄えて来た神道とか修験道といった霊的能力者を個別に抹殺し、特に有名どころは宗家から一族の有力者を始末してお家断絶させたのです。そうして精神的・超常的能力を扱うのが当たり前だった文化を崩壊させ、不思議な能力を表立って使わせないようにしました。天皇ももちろん、その力を封じられました。本当に大切なことを天皇に教えないようにしたのです。神との対話ができることなど王族にとっては当たり前のことでしたが、それも表立って言うと始末の対象になりました。

今の日本で有力な超能力者と言われている人たちは、一昔前の能力者が見たら鼻で笑われるくらいの能力しか持っていないですよ。そのくらい、日本で能力者は排除されました。維新の頃に多くが抹殺されましたから、そんなのは維新の一部としか思われていません。

神と話ができる能力者が表に出にくい状況で、昔のことを知らない呑気なYotuberがノコノコとチャネリングしていたりしますけど、政府の方で能力者のリストがきちんと作られていて政府の意図にそぐわない集団活動が見受けられた場合は始末の対象になりますからね。よくもまあ、こんな怖い世の中で顔を出して自分の能力をひけらかすものですね。それだけ有力なバックがいて見えない世界から守られていたりするのですのかね? ならばいいですけど。

安全のために現代に何の能力を持たずに生まれて来ている人もそれなりにいらっしゃるような気がいたします。能力というのは必要性があって現れますから、不要と判断すれば出て来ません。安全のためとあれば尚更です。

能力者が裏に隠れ、精神的なことも言いにくくなった現代。

チベットにしても日本にしても精神的な文化は20世紀でかなりの部分が既に破壊されたのです。日本は日本語がそのまま残っていて国というものは残ってはいますけど、昔からあった神道等の能力者が表に出にくい状況になっています。

古くあった神道の家系も後継がいなくて断絶したりしていますしね。

そりゃ、マスコミが煽りに煽って神道や精神的なものを「古い」とか言い続けたら何も知らない若者が感化されてそういうものから離れてゆきますよね。国を破壊するには若者から、とはよく言ったものです。教育で考え方を変えてしまえば本当に大切なものは守られなくなり、引き継がれなくなります。

何とか外国の侵略は防いだにせよ、国の形は歪められ、江戸時代まではある程度続いていた、神との対話によって政治を行うという形態は明治政府以降には無くなってしまいました。そして、その政府が今も継続しているのです。

明治政府は人間の作った政府です。そして、今の政府もそうです。そこに神との対話はありません。人間の欲求と不満を餌にして自身の権力欲などを拡大させるために政治家になろうとしている人がほとんどです。

それでも日本の場合に救いがあるとすれば、個別の政治家を見てみると、神と対話はできないにせよ、ある程度の真面目さがある人がポツリポツリいることです。自民党は色々言われていますけど、各所各所を見ると何とかうまくやっている面もあると思いますよ。それが神の意図と合っているかどうかはまちまちですけど、それはしょうがないですしね。

今は、神の意図としてはこのまま人間たちが自分たちの力でどのくらいできるのかどうか、高みの見物をしているようですね。



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