一方で、アナハタ優勢あるいはそれ以上の場合は思考を観察する瞑想をします。
私が最近はこうしているというだけで、必ずそうしなくてはいけないわけではありませんし、推奨しているわけでもありません。瞑想録のようなものです。
思うに、瞑想について色々と誤解があって、思考を止めることが瞑想の基本ではあるのですけれども、観察瞑想というのも一方であります。
集中と観察が瞑想の要素であって片方だけでは成り立たないものではあるのですけれども、その基準といいますか。瞑想の段階に応じてどうすればいいのか、という基本的なスタンスのようなものが存在すると思うのです。
その1つの基準がマニプラ優勢あるいはそれ以前なのか、それともアナハタ優勢以降なのかという判断基準のように思います。
マニプラに至っていない場合は下位の欲望がまだかなり残っておりますので思考を止めないと高位の意識が出てこられないと思います。ですから瞑想は思考を止めるものになると思います。
マニプラに至った場合でもそれなりに制御できるようになって「良き人」「倫理のある人」「立派な人」になりますが、それでも、まだ下位の欲望がそれなりに残っているような気が致します。
一方で、エネルギー的にアナハタ優勢以上になりますとそれを超えて上位の意識が優勢になりますので思考を観察する瞑想に入っていけると思うのです。