ゾーンの歓喜と瞑想の階梯

2020-09-06
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

■ステップ1 5〜20年
瞑想あるいは仕事に打ち込むことによって対象と一体となり、ゾーンに入る。
最初は1年に一度、あるいは数ヶ月に一度ゾーンに入ることができる。
強烈な感情の高揚、歓喜が沸き起こる。感情が沸騰したかのような激しい感情を伴う。
対象に対する強烈な集中。観察という感覚はあまりなく、100%集中しているかのように感じられる段階。集中すればするほどゾーンに入れて激しい歓喜が沸き起こる段階。
ゾーンに入っていない時は精神が不安定で雑念に囚われている段階。
個人的には、この段階であれば瞑想をするよりも仕事に打ち込んでゾーンに入って歓喜を感じる方が成長が早いように思います。

■ステップ2 3〜5年?
ゾーンに入りやすくなる。1週間〜数日に一度ゾーンに入ることができる。
ゾーンに入りやすくなるにつれて精神が安定し、歓喜の度合いが減ってゆき、心の平安が増えてゆく。歓喜が減ったからと言って不幸せになった訳ではなく、歓喜の変わりに心の平安が増えてゆく段階。激しい歓喜の変わりに静かな楽しさと心の平穏が伴って行く段階。
強烈な集中は必要だが以前ほど必要としなくなってゆく。心の平安が増えるにつれ観察している感覚が増して行く。集中と観察が共存し始める段階。集中と観察とを比べると集中が優勢な段階。
ゾーンに入っていない時は精神がまだ不安定。

■ステップ3 1〜数年?
集中は未だ必要だが以前ほど強烈に集中する必要はなくなる。
瞑想で心が安定し、一定段階を超えると浄化の印であるナーダ音が聞こえるようになる。
精神が安定し始める。まだ精神が不安定になることも多いが以前のように雑念に惑わされることが減って行く。
この段階になるともはや「ゾーン」と呼ぶような強烈な歓喜はほとんどなくなる。ゾーンの終わり

■ステップ4 1〜数年?
日常生活で瞑想状態が保てるようになり、動体視力が上がり、視界がはっきりとしてくる。思考がクリアになり、雑念に惑わされることもかなり少なくなる。
人によってはこれをサマーディ、あるいはヴィパッサナーと呼ぶ。(サマーディとヴィパッサナーは説明だけ読むと違うように見えるが実際は同じ
日常生活が映画のように鮮やかで落ち着いていて楽しげなものになります。


・・・・これらの段階は個人的な経験を基にしています。違った階梯を辿る方もいるでしょう。多様な人がいるのですからそれは否定しませんし、自分の道があるというのならばそれは好きにすればいいと思います。

これらは階梯であって対立軸ではないと思います。人によってはこれらの階梯を対立軸のように捉えてしまって、最初の方の段階を否定して「集中しているだけではだめ」とか言ったりしていますし、あるいは逆に「観察ではなく強烈な集中が必要だ」とか言っていますけど、それは私なんかからすると階梯の段階によって重要なことは異なりますので、それらを対立しているものと考えてもあまり意味がないんじゃないかなと思います。これらは対立すべき概念ではなくて、ただ単に、それぞれの段階において意識の状態が異なる、というだけのことだと思います。

もしかしたら最初の段階は全く不必要なのかもしれませんけど、自分がそうだと思ったとしても実際はそれらの段階を前世で既に終えているというだけのことかもしれませんしね。そして、前世でしっかりそれらの段階をやっているのにも関わらず覚えていないだけで不要と言っているだけかもしれませんしね。前世じゃなくて前の前の人生で終えていたかもしれませんしね。あんまり、不要とか必要とか、そんな議論はあんまり意味がないと思います。自分に必要なものは自分が一番わかっていて、他人のそういうノイズはあまり気にする必要がなくて、他人の言葉は足を引っ張るだけのことも多々ありますし、自分の奥底に聞いて自分に一番必要なことをやればいいのかな、と思います。自分の今の状態を蔑ろにしてステップを飛び越えてもあまりいいことはないと思いますしね。これらの階梯にしても他人にとってみればただの参考でしかなくて、自分の階梯は自分で確かめてゆけばいいのかなと思います。

多くの人は最初の段階のことをゾーンと言っていると思いますけど、ごく一部のアスリートの発言はサマーディあるいはヴィパッサナーの状態のことをゾーンと言っているような気も致しますね。ですが、基本はゾーンと言うと最初の段階にあるような強烈な歓喜のことだと思います。

それと、おそらくは昔の武士が言っていたお話もサマーディやヴィパッサナーの境地でしょうね。最近の人は瞑想をあまりしないですけど昔の武士は瞑想していたでしょうし、それらの境地を知っていたとしても不思議ではありません。アスリートにしても瞑想をしているのとしていないのとではパフォーマンスが大きく異なるでしょうね。日本人が世界で勝てなくなった理由もこの辺りにあるかもしれませんね。瞑想は勝負に勝つためにある訳ではありませんけど、生きる上においてパフォーマンス向上のために瞑想はかなり役に立つわけです。最終的には勝負とかそのようなものを捨てて静寂の境地に辿り着くのかなとは思いますが、それでも、生きる上において意識を鎮めて静寂の境地に達し、頭の回転を良くして動体視力を高めておくことは勝負とは無関係にそのまま人生を豊かにすることに繋がると思うわけです。静寂の境地に達すれば他人と比べる必要もないですし勝負をする必要もないわけです。最近の人は武術なんてそんなにしないですけど、昔の人は武術は当たり前だった訳で、そうだとしても静寂の境地に達すれば武術は意識から消え去るわけで、私は今生で武術は学んだことがありませんけど、同じ静寂の境地に達したとすればもはや勝負の勝ち負けなんて意識からなくなったのだということは容易に理解できるわけです。