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集中瞑想はヨーガスートラ的にはまだ瞑想ではない

2020-09-10
トピックスピリチュアル

■ヨーガスートラの八支則
1.ヤマ(アヒムサ、サッティア、アステヤ、ブラフマチャリア、アパリグラハ)
2.ニヤマ(シャウチャ、サントーシャ、タパス、スヴァスティアーヤ、イーシュワラ・プラニダーナ)
3.アサナ
4.プラーナヤーマ
5.プラティヤーハーラ
6.ダーラナ → 集中
7.ディヤーナ → 瞑想
8.サマーディ → 三昧

何かに集中する瞑想はヨーガスートラ的にはディヤーナではなくダーラナです。
多くの場合、瞑想していると思っていてもヨーガスートラ的にはダーラナ(集中)です。

ダーラナとディヤーナ、サマーディは割とはっきりとした区別があるのですが、最初は自分ではその違いはわからないと思います。

ざ〜っくり言うと以下のような分類です。

1&2.ヤマ・ニヤマ 道徳を大切に!
3.アサナ 体を動かしましょう!
4.プラーナヤーマ 呼吸をしっかりしましょう!
5.プラティヤーハーラ 雑念を取り払いましょう!
6.ダーラナ → 集中しましょう! 集中による至福! ゾーン!
7.ディヤーナ(瞑想) → 落ち着いてきましたね!
8.サマーディ(三昧) → 静寂の境地!

以下のようなものは、基本的には全てダーラナ(集中)だと思った方が良いと思います。
・呼吸瞑想
・皮膚を観察する瞑想
・歩く瞑想
・眉間に集中する瞑想
・マインドフルネス(息を観察する瞑想)

もちろん同じ手法を用いていてもその先のディヤーナ(瞑想)やサマーディ(三昧)の境地に辿り着くこともありますけど、違いがわからないうちはそれは単に「集中(ダーラナ)」だと思っておいた方がいいと思います。

世間で最近は「観察瞑想」とか言われていますけど、そんなのは名前が観察というだけで、確かに上級者は観察だと言うのは分かりますけど、初心者が真似て見たところで全て「集中」瞑想です。 初心者であれば例外なくみんな「集中」瞑想です。前世で修行した人とかであればいきなり観察瞑想と言うかディヤーナやサマーディできるかもしれませんけど、初心者であればみんな例外なく「集中」瞑想です。何やら世間で「観察瞑想」がどうこう言われていますけど、例外はないです。・・・こんなこと言うと反感を感じる人がいるかもしれませんけど、初心者であればみんなダーラナ(集中)です。それに疑問の余地はないです。

そう言うわけで、瞑想はいろいろありますし、言い方や説明で「観察」とか言ったりしますけど、観察という説明であってもやっていることは集中瞑想です。

初心者に向かって上級者向けの指示で「力を入れずにただ観察しろ」とか教えている流派もありますけど、それは無茶というものです。初心者は観察瞑想であるディヤーナ(瞑想)やサマーディ(三昧)なんてできないですよ。であれば、やっていることは集中瞑想でしかないわけです。いくら観察瞑想だと思っていても集中瞑想をしているのが初心者です。

マインドフルネスとかでも、息を「観察」しましょう、とか言っていますけど、それは息に意識を「集中」しましょう、ってことですよ。本当の観察であればそんな焦点など必要なしに体全体の動きをただ観察できます。それはディヤーナ(瞑想)を超えてサマーディ(三昧)くらいにまで達したらそうなりますけど、それができるのであればもはや初心者ではありません。初心者であればディヤーナ(集中)しかできません。そんなものです。あまり気負いせずに、観察だとか放っておいて、とにかく集中瞑想(ダーラナ)をした方が早道だと思いますよ。

ダーラナ(集中)を深く経験して次の段階に進むのが良いと私なんかは思うのであって、ダーラナ(集中)を抜きにして上の段階の「観察」なんて成り立たないと思うのですけどね。もともと葛藤がかなり少なくてダーラナ(集中)がほとんど不要な人もいらっしゃる気も致しますけど、それはダーラナ(集中)が完全にいらないわけではなくて早くダーラナ(集中)を通り抜けると言うだけで、飛び越してはいないでしょうからね。多くの人は葛藤や雑念に悩まされているでしょうから、まずはプラティヤハーラから初めてダーラナに進むのが普通だと思います。

マインドフルネスとかは、説明を読むと「観察」となっているので何やら上級な雰囲気がありますけど、実際のところやっているのはダーラナ(集中)です。それを瞑想と呼んでいるわけですし、説明では「観察です」とか言ったりするわけれども、それは説明のために言っているだけであって、本質はダーラナ(集中)です。一般向けに観察とか瞑想とか言っても違いが分からないと思いますし、観察と言った方が受けがいいから観察と言っている、という面もあると思います。観察という言葉を使っていても、説明の全体を聞く限り、ダーラナ(集中)の瞑想をしています。一般人は単に「ふむふむ」と聞いて、わかったような分からないようなもやもやした気持ちになっているだけなのかなと思います。はっきりと分からない、というのは当然で、そんなものだと思います。

ダーラナ(集中)によってゾーンに入ることができて強い歓喜が沸き起こってきて仕事の効率が上がるわけで、ダーラナのゾーンだけを使うのであればビジネスに有益だからマインドフルネスが話題になっているのでしょう。でも、それはディヤーナではなくてダーラナ(集中)ですけどね。説明で「観察」とか言ってて混乱したり誤解したりしている方も多いですけど、やっていることはダーラナ(集中)です。マインドフルネスはそれ以上の世界を教えませんし、扱いませんからね。それ以上に達した人もいるとは思いますけど、その体験すらも同じ土壌で語られますのでマインドフルネスが何なのかがますます分からなくなってきます。マインドフルネスが扱うのは基本的にはダーラナ(集中)の世界であって、その準備あるいはそれ以上の世界を求めるのであればマインドフルネスでは不足なわけですよね。マインドフルネスが宗教を切り離してただの技法にしているから素晴らしいとかおっしゃる方も大勢いて、もちろん個人の自由ですから好きにすればいいと思います。マインドフルネスのレベルであるダーラナ(集中)を極めてゾーンに入るだけでも人生を豊かに過ごすことができますし、頭の回転も良くなって仕事も効率的にできるようになりますから、それが目的だとおっしゃるなら好きにすればいいのだと思います。現世利益を求める方が現世利益のためにするのがマインドフルネスであると言えます。私なんかは物足りなさを感じて面白くないのですけど、技法だけで満足している方も大勢いらっしゃいますし、マインドフルネスで満足している方の気持ちは私はよく分からないですけど、満足を否定はしませんので、好きにすればいいと思います。この世界は自由の世界ですから、好きに生きればいいのです。

ダーラナ(集中)瞑想を極める期間は個人的にはそれなりにかかって、最初の10年くらいはゾーンに入るだけで歓喜が沸き起こってきてそれが楽しみではありましたけど、次の段階へと進んだ今となってはあのような彷彿と葛藤を繰り返す世界に戻りたくはありませんけどね。ですけど、そのダーラナの段階が無駄とは思っていなくて、それはそれで有益だったと思いますし、必要な段階だったと思います。

今から瞑想を始める方は不幸かもしれなくて、昔なら素直に集中瞑想だけできたのに、小賢しい人が大勢出てきて「瞑想の本質は観察だ」とか瞑想のテクニックを煽って宣伝する人がちらほらいて、何が本質なのか分かりにくくなっています。

おそらくは、よく分からずに変な瞑想手法をするよりは、単に今やっている仕事に集中してゾーンに入って歓喜が沸き起こるくらいになる方が精神的成長が早いと思います。特に最初のうちは。

基本的には最初は瞑想というと集中(ダーラナ)なのですから、そこをわきまえておいた方がいいと思います。



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