マインドフルネスはダーラナではなくプラティヤーハーラ(制感)

2020-09-11
トピックスピリチュアル

朝の瞑想で見えない存在にインスピレーションで教えられました。どうやらマインドフルネスはダーラナではなくプラティヤーハーラ(制感)のようです。なんてこった・・・。私はどうやらマインドフルネスを買いかぶっていたようです。確かに、初心者向けのマインドフルネス瞑想はやっていることはプラティヤーハーラですね。

マインドフルネスあたりですとダーラナ(集中)にすら達していなくて、プラティヤーハーラ(制感)なのですね。プラティヤハーラは感覚器官の呪縛から逃れて雑念から逃れよう、雑念と自分の心を引き離そうとする段階ですので、確かに、プラティヤハーラのことを「観察」と言うとそれっぽく聞こえるかもしれませんね。プラティヤハーラですとゾーンに入ることはなくて、雑念から一時的に少し離れるだけです。マインドフスネスは新たな流派ですので説明が混乱していますけど、確かに、いくつかを読む限りプラティヤハーラを観察と表現しているとすれば筋が通ります。

5.プラティヤーハーラ 雑念を取り払いましょう! 観察するのです!
6.ダーラナ → 集中しましょう! 集中による至福! ゾーン!

ヨーガスートラ的にはプラティヤーハーラのことを観察とはあまり言わないと思いますけど、確かに、説明としては観察と言った方が分かりが良い気が致します。ヨーガとかの古典瞑想をしていて観察とか言われるとディヤーナやサマーディのことかなと勘違いしてしまいますけど、プラティヤーハーラのことだとすればスッキリします。

この理解は最近流行のヴィパッサナー瞑想についても言えて、私はどうやらずっと勘違いしていたのかもしれません。ゴエンカ式が観察のヴィパッサナー瞑想とか言っているのは、長らくディヤーナやサマーディのことかと思っていましたけど、実際はプラティヤハーラのことを観察だと言っていたのだとすれば全ての説明がつきます。と、すれば、私は長い間、ゴエンカ式も買いかぶっていたことになりますね・・・。なんてこった。

マインドフルネスやゴエンカ式が割と宗教色を無くして一般人に受け入れやすくなっているのは、やっていることがプラティヤハーラで雑念を取り払うように「観察」することを瞑想手法として取り入れているからなのですね。

プラティヤハーラで雑念から離れることとサマーディで観察状態に入ることとは天と地の差がありますけど、どちらも言葉で言い表すと「観察」と言うこともできるのですね。これはしてやられました・・・。

であれば、今後、マインドフルネスやゴエンカ式の人が「観察瞑想」と言ってきたときはプラティヤハーラのことを言っているのかもしれない、という頭の切り替えができます。人によってコンテキストは違いますけど、私の中にこのコンテキストは今までありませんでした。サマーディとかの高い境地のことを言っているのかなと思っておりましたが・・・・、まさか、観察瞑想がプラティヤハーラのことだったとは・・・。

最初からそう言ってくれれば何も悩むことはなかったのに。ほんと、買い被りもいいとこです。瞑想の世界というのは本当に落とし穴がいっぱいですね・・・。ブッダを持ち出してきて観察瞑想の名を掲げ、ヴィパッサナー瞑想と言っているものは、実際にはヨーガスートラ的にはプラティヤハーラだったりもするのですね。

マインドフルネスの説明でサマーディっぽいお話もあったりしますので勘違いしていましたけど、手法や説明をしっかりと見るとプラティヤハーラのことを言っており、それを観察とか表現しているのですね。宣伝する方としては何か凄いことを言いたいでしょうからサマーディっぽいお話もするのかもしれないですけど、手法としてはプラティヤハーラで、よくてダーラナ(集中)でゾーンに入って歓喜に至る、というくらいなのでしょうね。

ゴエンカ式はそれが顕著で、サマーディとか悟りとかのお話をしているのでそれっぽく聞こえてしまいますけど、やっている手法だけを着目してみると息の観察やら感覚(五感)の観察だったりしますので、確かにプラティヤハーラと結びつけた方がしっくりきます。息の観察をするアーナパーナ瞑想のことをゴエンカ式では集中瞑想と説明していましたので私はダーラナ(集中)だと思っていましたけど、アーナパーナ瞑想も含めてゴエンカ式ヴィパッサナー瞑想でやっていることは全てプラティヤハーラだとすれば違和感がほぼなくなります。

宗教を切り離して手法だけ取り出した瞑想の手法はプラティヤハーラが中心という共通点があるのですね・・・。今までずっと買い被っていました。

これらの理解があると、各種の疑問が氷解します。特に観察系のヴィパッサナー瞑想の流派で感じていた違和感の根本理由がわかったような気が致します。

■プラティヤハーラだとわかってしまえば指摘するなんて野暮なことはしない

もしかしたら、これらのことに気付いた先人たちがかつてゴエンカ式で素直に指摘したのかもしれないですね・・・。一つの仮説を立ててみます。

ゴエンカ式をやっている当人たちは悟りを開くための瞑想だと思っているようですから、その人たちに自分たちがしているのはプラティヤハーラだと指摘したらいい顔されないどころか、プライドが傷付けられてキレられるのも当然のような気が致します。

そんなプライドが残っていてキレるような人たちが先生をしている団体はその程度のレベルなわけですけれど、それでも、一般向けのビジネス講座だとすれば十分すぎるほどであると思うのです。この時代、瞑想が蔑ろにされていますから、プラティヤハーラであろうとも有益だと思います。

しかしながら、当の本人たちは悟りを開くためのブッダの瞑想だと思っているわけです。

これは、悲劇というか喜劇ですね・・・。一応はやっていることはプラティヤハーラですので悟りに向かう一段階であるわけで、特に間違ってはいないのですが、それだけしていれば悟ることができるかのように思っているのが喜劇です。わかってしまえばギャグのように笑い飛ばせますし、無駄ではないので悲劇ではないですけど、やっている当人はまだプライドの塊ですので、わかってしまうまでは喜劇のように深刻になってやっているわけですし、他人のそのような指摘はプライドを傷つけるのでキレて拒絶するわけです。

ですから、ゴエンカ式のようなビジネスマンが始めた一般向け非宗教を装っている瞑想コースでヨーガの人が嫌われるのかもしれないですね。本当の自分たちの姿がさらけ出されてしまうとプライドが消えてしまうので拒否反応を起こしているのでしょう。

ゴエンカ式の人がどうしてあれだけ怒りの沸点が低くてキレやすくなるのか疑問に思っておりました。今まで私はそれは瞑想手法に問題があるのではと思っておりましたが、瞑想手法は単にそこらのとそんなに変わりなく、どうやら、手法そのものというよりもそれに関わる人々のスタンスと考え方に問題があって、ゴエンカ氏もキレやすい性質だったと言いますから、おそらくは歴史的に団体の性質としてそのような文化が熟成されているのでしょう。であれば、キレやすい団体に私は関わり合いたくはないです。

その先のレベルに達する人もいる筈だとは思いますが、もはやカリスマのゴエンカ氏は死去しておりますので団体としての性質が変わることは考えにくいですね。であれば、わざわざ指摘するなんて野暮なことはしない方がいいと私なんかは思います。

プラティヤハーラの修行を必要としている人たちであればまだプライドもエゴもたっぷり残っているでしょうから、その運営者にしても参加者にしても大概はエゴ丸出しなのは当然といば当然でしょうね。

それを否定する必要はなくて、これは一段階ですので、それを超えてゆけばいいわけです。

この世界には瞑想が足りていませんので、プラティヤハーラをして悟りを求める団体があったとしても全く問題ないわけです。むしろもっとそのような団体が増えてもいいくらいです。

ゴエンカ式が他人の指摘を素直に受け入れずに自分たちの考えに固執しているからこそすぐキレる性質になってしまっているのだとしても、それはプラティヤハーラを必要としている人たちが運営しているのであればそのくらいなのは当然です。

ゴエンカ式がブッダの悟りを求める瞑想をしている筈なのにどうしてそんなにプライドが高くてエゴが大きくてキレやすい人がゴロゴロしていて、また、ゴエンカ式をすることで自分を見失って精神的に混乱する人が大勢いたとしても放置するのが何故なのか理解できないでいました。

ですが、ゴエンカ式の運営者・指導者にしてもプラティヤハーラのレベルだとしたら同レベルでありそれらの精神的な混乱をしている人を助けることはできず、ただ静観するしかないのは当然と言えます。

ゴエンカ式は、運営者もプラティヤハーラのレベルで、参加者も多くはプラティヤハーラあるいはそれ以前の段階だとすれば、教えられることもプラティヤハーラですし、混乱してしまった人を助けることができないのも当然なのです。

ゴエンカ式では鼻呼吸への集中であるアーナパーナ瞑想をヴィパッサナー瞑想(観察瞑想)の準備のサマタ瞑想と位置付けていますが、これも実際には違うということになりますね。

■ゴエンカ式による説明
・アーナパーナ瞑想 観察のヴィパッサナー瞑想に入る前準備としての集中瞑想(サマタ瞑想)おそらくこれはヨーガスートラのダーラナ(集中)に相当すると推測。
・ヴィパッサナー瞑想 皮膚の観察。観察瞑想。悟りへと導く瞑想。ヨーガスートラのディヤーナ(瞑想)からサマーディ(三昧)に相当すると推測。

■ゴエンカ式の実際
・アーナパーナ瞑想 プラティヤハーラの準備として集中力をつける集中瞑想
・ヴィパッサナー瞑想 プラティヤハーラの実践

ですので、説明と実際やっていることと乖離があるわけですね・・・。どこまで本人たちが気づいているかどうかは人それぞれでしょうが。

・・・そのように考える方が素直な気がしてきました。これらのことがあらかじめ全てわかっていれば本人たちにわざわざプラティヤハーラだと指摘するなんていう野暮なことはしませんし、自分がヨガをしているなんていう野暮なことをゴエンカ式のところで明かしたりもしません。

おそらく昔から同様の指摘をする人がいて、まるで戦争が何代も続くうちに理由が忘れ去られてしまっているのと同じように、ゴエンカ式でキレやすい性質が何代も続いていてもはやキレやすい理由が忘れ去られてしまっているような気も致しました。

しかしながら、これらの仮説を立ててみるとゴエンカ式がキレやすい理由もしっくりきます。この仮説は、私の中ではしっくりきます。

これは、ゴエンカ式の程度が低いと言っているわけではありません。説明がちょっと拡張気味で、誇大宣伝だな、と言っているだけです。