顕教と密教とヨーガスートラ

2020-09-13
トピックスピリチュアル

先日の続きです。瞑想の多くがプラティヤハーラだとわかったわけですが、それと同様に、おそらくは顕教(けんぎょう)もプラティヤハーラ以前を扱うのだとすればすっきりします。

顕教はわかりやすい教えで一般大衆に向けた道徳観などを解きますが、ヨーガスートラ的にはヤマ・ニヤマのような道徳を説いていますし、雑念から離れることを主目的にしているところなどはプラティヤハーラそのものです。

多くのお坊さんが道徳を説いて、あまり難しいことを考えずとも素直に穏やかに道徳的に過ごせば良い、と説くのも顕教的なヤマ・ニヤマ、そしてプラティヤハーラなのだとすれば納得がいきます。

お坊さんにヨーガスートラのダーラナ(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)のことを聞いてもサッパリだったり「そんなことは考えなくても良い」などと言われたりするのは顕教であって目的がプラティヤハーラなのだからですね。

そのように顕教の教えを説いている宗派のお坊さんあるいは信者に対して他のことを聞いたり教えを疑問に思ったりすることは、いわば野暮な行為なわけですね。だって顕教ですからそんなことを答えてくれるわけもありません。

先日のマインドフルネスのお話やゴエンカ式ヴィパッサナーもそうでしたが、かなり高い教えっぽく聞こえるものであったとしてもその実態はプラティヤハーラだったりします。言葉で「悟り」とか色々言っていたとしても、実際はプラティヤハーラであることがほとんどな気が致します。そう分かってしまえば、わざわざそれ以上を説く必要はなくて、プラティヤハーラであるところの「感覚に囚われないようにしましょう」とか「雑念を取り払いましょう」と教えることで一般大衆向けには十分すぎるほど十分なわけです。それがきちんとできるだけでもこの世を幸せに過ごすことができますので、悩みに囚われている一般大衆を助けるにはプラティヤハーラが重要になってくると思うわけです。

私は長い間、それらの一般大衆向けの流派および瞑想団体・宗派を勘違いしておりました。どちらかというと、私は一部の大衆向け流派を、ある意味では買いかぶっておりました。これはいい意味に捉えていただきたいのですが、おそらくは団体を立ち上げた中心人物の多くはすべてを分かった上でプラティヤハーラをしているように思えるのです。それでいてそれより上のレベルである悟りとかを説いて人々を惹きつけていたのだと思います。一部、立ち上げた人がよく分かっていなかったのではと思われるような事例もありますけど、歴史のある団体であれば分かった上でプラティヤハーラを説いているような気が致します。

そうした、団体の布教の対象として大多数である庶民をターゲットにし、であるからこそプラティヤハーラを主目的にあげるのは信者を増やすという点で有効だったように思います。

一方で、それ以上の境地、ダーラナ(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)は密教の領域であると言えると思います。

一般教養の本を見ると顕教と密教はもっと違う定義がしてあったように思います。例えば顕教は道徳やわかりやすい教えだとして、密教はタントラのようにイメージを使ったりマントラを使うとか、そういう話はあると思います。しかしながら、ここで言っているのはあくまでも私の理解の上での分類であって、一般的な分類ではありません。

私は一般教養の説明より、こちらのヨーガスートラを基にした分類の方がすっきりするのです。

今、割と世間で話題になっているマインドフルネスなどの瞑想は、以下のような構図になっているように思います。

・テクニックとしてはプラティヤハーラ。顕教。雑念から逃れてリラックスする。よくてダーラナ(集中)でゾーンに至る。
・宣伝としては現世利益のリラックスおよび仕事の能率アップ。

他には、ゴエンカ式は以下のような組み合わせだと思います。

・テクニックとしてはプラティヤハーラ。顕教。雑念から逃れてリラックスする。そのことを「観察(ヴィパッサナー)」と呼んでいる。
・宣伝としてはブッダの瞑想。サマーディを超えた、悟りに至る観察瞑想(ヴィパッサナー)。

実際、大衆向け、特にビジネス向けであればプラティヤハーラを超えることはなく、サマーディを超えた瞑想とか言っていたとしても全然サマーディに達していないわけです。これは蔑んで言っているのではなく、プラティヤハーラはそれでもサマーディに達する一段階であるわけですから無駄ではないわけです。確かにそれは悟りに辿り着くことができますが、何やら勘違いがあるだけのお話です。

このように、一般大衆向けの宗派・団体であればほとんどがプラティヤハーラを主眼に置いているのだと思います。

特にそれが悪いわけでもなく、そうすることで多数が救われるのだと思います。

個人的にはプラティヤハーラはもちろん重要ですけど、それに絞った顕教の活動はあんまり興味がないです。色々なパターンがあるのでしょうね。

・プラティヤハーラが分からなくて信徒あるいは団体に入るパターン
・プラティヤハーラを超えてサマーディ等に達した後に一般大衆を導くため顕教の教祖になるパターン
・プラティヤハーラを完全には超えていなくて自分も信徒と一緒に学ぶために教祖になるパターン
・プラティヤハーラこそが悟りだと勘違いして信徒になるパターン
・プラティヤハーラを達成して自分が悟ったと勘違いして教祖になるパターン

色々あるのだと思います。信徒や教祖にしても様々ですし、団体も多様です。

しかしながら、その根元である、顕教はプラティヤハーラを目的とする、という1点さえ抑えていればかなり見極めができると思うわけです。