真っ白い平らな大地の少し上に浮いている境地の瞑想

2020-09-14
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

そこは静かで、何もありません。

少し前であれば、何もない状態になると心が動揺していました。その動揺にも程度があって、1年くらい前には動揺の度合いがかなり減って、それはそれで動揺がなくなった境地ではあったのですが、ここ最近、更にその動揺が減りました。

言葉で表すとどちらも同じようなものになってしまいますが、平静な状態になると何某か心が動揺するものです。あまりにも静かですから心が「これでいいのだろうか?」と騒ぎ始めるのです。

その大きな変化が1年前くらいにあって、心がかなり平穏になったが故に心が動揺すると言うことがそれから度々あったように思います。

今回は、平穏な境地と共に、動揺がほとんどない状態に変化しました。

平穏な境地そのものも1年前と比べて少し変化しており、もともと1年前でもそれなりの平穏の境地だったように思いますが、今回は地平線が見えるほどに真っ白な平らな大地がずっと続いています。

その上に、少し宙に浮くように私が漂っているのがわかります。

そして、そのような平穏な状態であっても心が動揺していません。

瞑想から終わった後にその状態を言葉で表現しようとして今回は色々と状態を言い表していますが、瞑想中は特に気にすることなく平穏な状態が続いています。

これは、「至福」と言う感じではない・・・ と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、「歓喜」と言う感じの激しい喜びではなく、平穏でいてささやかな幸せな境地とでも言えるものです。

言うならば、「あの世」が存在しているとすればこのような平穏なものなのではないかとも思えてきます。人の世界から離れ、あの世があるとすればこのような平らで平穏な境地なのではないかとも思えてきます。

実際には、幽体が存在している人間界に似た世界は割と騒がしいのでここで言う「あの世」の概念とは違っていて、ここで言う「あの世」とは、死ぬときに昇天することができて成仏する時のイメージとして「あの世」と表現しています。そのように、成仏する時があるとすればこのように平穏でささやかな幸せがある境地なのではないかと思います。

これが「涅槃」なのかどうか・・・? と言われると、よくわかりません。そうなのかもしれないですし、そうでないのかもしれません。
これが涅槃なのだとしたたらこれが「悟り」なのかもしれませんが、そうかどうかはよくわかりません。そうかもしれないですけどね。

おそらく、これで終わりではなく、単なるプラトーであるような気も致します。

もし悟りというものがあったとしても、もしかしたら、それは単に一つの段階を終えて次なるサイクルに入る、入り口であるようにも思えます。

であれば、この状態がプラトーであり、まだ先があるということが理解できます。

今の状態は瞑想中で起こる一時的なものと瞑想後にも緩く続く同じ感覚ですので、これが確かなものになるまで瞑想を続ける必要があるのだと思います。

最高の悟りというものは上には上があると思いますし、この状態では、今の状態がどうであれ思い悩むことのない境地ではありますので、上があったとしても「ああ、そうですか」というだけのお話です。気にすることでもないですが、たぶん、これより上があるのだな、というのはなんとなくわかります。

「ミャンマーの瞑想(マハーシ長老 著)」によると似たようなお話がいくつか書かれてあり、涅槃に達したとしてもそれが継続して起こるようになるまで繰り返し修行しましょう、と書かれてあります。

日本での悟りのイメージですと一回でも涅槃に達したらそれで悟りとみなされるようですが、継続して涅槃の状態に留まれるようになるまで修行して、継続して涅槃にいられるようになってもまだ尚、その上の境地への修行があるようです。

これは私の感覚と合っていますので、この本はガイドとして利用できそうです。