ヴィパッサナーと呼んでも良い平らな境地

2020-09-14
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

先日のように真っ平らな平静な意識で瞑想を続けます。

ゾーンの時に沸き起こるような激しい歓喜はありません。ただ平静で、ただ、熱だけを感じています。

熱があって、それしかない。意識はあります。意識が存在していることを感じます。意識は寝ていません。

意識が深いところに行くと、体を忘れます。

そして、意識が戻ってくると意識は熱を感じます。あるいは、呼吸の動きを感じます。

意識がなくなってしまう状態ではなく、意識が起きたまま深いところに時々、辿り着くことがあります。あるいは、意識があって深く潜れていない時は熱や呼吸を感じています。

これらの状態は、言葉で言い表そうとすると昔の状態とかなり似ていて、読んだだけでは違いがわからないかもしれません。

世間では呼吸を観察する瞑想なども行われていますが、多くの場合、それはプラティヤハーラ(雑念からの離脱)あるいはダーラナ(集中、ゾーンによる歓喜)を意味すると思います。ここで言っている観察はプラティヤハーラのように雑念から逃れようとする行為ではなく、また、ダーラナのように集中しようとする行為ではありません。ここでいう静かに眺める、とは、意識が静かになっていることを前提としており、文字通りそのまま静かに眺める行為を指します。

熱を感じたり呼吸に意識しているとき、そこにはほんの少しだけ意識が動いています。雑念がなく、ただ、熱や呼吸を感じます。そこに雑念があるかないかが以前と今の違いです。

このメモのように、意識的に状態を観察して記録しようとする時は雑念ではないですけど分析的観察と思考が明確に働き、言語化します。その明示的な言語化はあります。また、雑念が完全にゼロになるわけではなく、雑念なく瞑想を続けられる時間が以前より長くなり、おおよそ50%を超えているのではないかと感覚的には思われるのですが、実際のところ瞑想はあっという間に時間が経ちますのでもっと割合は高いかもしれませんし低いのかもしれません。どちらにせよ雑念に惑わされなくなったという点においては確かです。

そのように意識が明示的に働く、あるいは、多少の雑念が働いたとしても、心の観察する力がかなり強くなっていますから、観察だけしていればやがて雑念は消え去ってゆきます。

実際、雑念を維持する方が大変で、同様に、思考や観察をしてこのメモのように瞑想中の状態を記録することの方が大変だったりします。瞑想的にはメモなんて何も取らない方が楽ですし、きっと時間的にはその方が早く進むのですが、私の場合は人生の目的の1つが悟りへの階梯を確かめることですので事細かに記録したいわけです。私に縁のある数々のグループソウルが転生する際は生まれながらにして悟っているのが当然だったために、私のように悟らずに生まれるパターンは貴重で、皆にフィードバックしてあげたいのです。それが人生の目的の1つであります。

そのように、想念が勝手に消えてしまう境地はリクパが動き出した境地と言うこともできると思います。

よく、瞑想の指導を受けたりすると「瞑想中に浮かんだ雑念とは戦わず、ただ観察しましょう。観察すればその雑念は力を失って消えてゆきます」とか教えられたりしますけど、それはある程度瞑想が上達してこの種のリクパが動き出した人であればその通りですけど、大抵の人はただ雑念に翻弄されるだけだと思います。聖者がかつてそのようなことを言ったのを真に受けているのでしょうけど、それっぽく聞こえますけどそれなりの瞑想中級者にならないとこれは真実ではないのですよね。

この種の、雑念が自動的に消える境地に達すればそれはおそらくヴィパッサナー(観察)と呼ぶ状態に相応わしいような気が致します。

流派や技法としてのヴィパッサナー瞑想は段階的にはもっと手前のプラティヤハーラ(制感)だったりしますので、ここで言っているヴィパッサナーはそう言った流派や技法のことではなくて、本来ブッダが言っていたであろうヴィパッサナーとはこのくらいの境地のことを意味していたのではないか、と言う私の推測です。