目を開けていても平穏な瞑想状態が続く境地

2020-09-15
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

先日の続きです。平らな境地に達すると、やがて、瞑想中だけでなく日常生活にまで平穏な意識が広がってゆきます。

最初は視界がスローモーションで感じられると言うような動体視力による変化でした。やがてその視界の感覚は普通になり、特に視界だけに変化があると言うよりは五感全てに行き渡る感覚に変わりました。最初は、視界だけが強烈になったのですが、今はその頃のような強烈さはなく、目へのエネルギーは抑えられているようです。目に集中すれば視界が細かく入ってきますが、普段はそこまで目にエネルギーを送らず、節制しているようです。最初はコントロールできなかったのと、視界が面白いのでずっと映画のような感覚を楽しんでいました。

今は五感全てに感覚が行き渡り、瞑想中だけでなく、周囲の感覚が静かに常に入ってくるようになりました。程度問題と言えばそうかもしれませんが、そうなった鍵は、平穏な意識にあるように思います。

そのように、最初は瞑想中だけであったものが、日常生活まで広がったのです。

少し前は、何段階かに分かれて平穏状態になると言う種類のもので、瞑想が終わると少しづつ戻っていきました。今は、日常生活でかなり平穏状態で、瞑想をすることで更に深める、と言う種類のものになっています。

それにより、座った瞑想においても変化がありました。

以前は、座った瞑想で目を開けると視界がスローモーションのヴィパッサナー状態になってそれが映画のように感じられて心が高揚するという感じでした。それ自体は面白いのですが、瞑想という観点からいうと、目を瞑っていないと何段階かに分かれて平穏状態になるというような瞑想の効果が出なかったのは事実です。

瞑想で平穏状態に持っていくためには目を閉じて行う必要がありました。

しかし、最近の変化で、座った瞑想中に目を開けていても平穏な瞑想状態が続くようになりました。

・・・これは、言葉で言い表すのは難しいかもしれません。

ヴィパッサナーと呼んでも良い平らな境地あるいは、もしかしたら涅槃と呼んでもよいかもしれない意識、それが目を開けていても続くのです。

おそらく、目というものはかなりエネルギーを消費するのです。ですから、やはり今でも目を瞑った方が瞑想はやりやすいと言えばやりやすいのですが、目を開けていても涅槃が続きます。

これを涅槃と呼んでいいのかどうかは微妙ですが、とりあえずそう呼ぶことにします。

他の違いはというと、スローモーションのヴィパッサナーの時は目にエネルギーが行くことで目の前の対象にフォーカスが自然に合わせられます。視界がはっきりとします。今は、意識的にフォーカスを合わせることもできますが、瞑想状態であれば視界がそれほど合わないぼやけた状態でいることが普通です。焦点を合わせるということは意思の力が必要で、涅槃の状態ですとそれは意識的に働かせないとならず、自動的にはそんなに動いていないようなのです。

この状態ですと、自身の本体が肉体の皮膚という皮の内側に存在しているのを感じます。

おそらくは、周囲に興味を持ったりするときは自分の本体、オーラと言っても良いものが体から出て対象に向かって伸びている状態なのではないかとも思います。

一方で、このいわゆる涅槃の状態では自分自身が体の内側にすっぽりと入っており、皮膚の厚みがしっかりと感じられて、皮膚の内側に自分が収まっているのを感じます。

自らの中にしっかり収まっているので、周囲の思念波にもほとんど影響されません。

きっと今まではオーラが外に向かって発散しており、オーラが自らの中に凝縮されたということもできるのではないかと思います。

この状態ですと、目を開けていてもいわゆる涅槃の平穏の状態が続くようです。