(同テーマ&時系列の次記事)馬陰蔵相が深まり、性的欲求が更になくなる

シャルドルでもトラウマなど葛藤は存在する

2020-09-15
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

先日の続きです。シャルドルの状態になっても時々トラウマが出てくることはありますし、雑念も浮かびます。しかしながら、出てきた後の対処が割と自動的に行われる点が違うと思うのです。

瞑想あるいは日常生活において不意に過去のことを思い出して葛藤が出てくるとします。以前であれば尾を引いてしまったりしますが、今は、自動的にそれが消えてゆきます。太陽が水滴を照らして自動的に蒸発するかの如く、出てきた葛藤は次第に消えてゆきます。

これらの力は程度の差こそあれ、以前から育ててきたものです。ですから、言葉で言い表そうとするとどれも似たり寄ったりにはなってしまうのですが、チェルドルですとある程度自分が意識してその葛藤を見てあげないと消えてゆきません。しかしながら、シャルドルの場合は何か自動的に「見る力」が働いてすぐに消えてゆきます。そこが1番の違いのような気が致します。

大きなトラウマであれば一瞬は深く傷付いたりします。ずっと忘れていた深い過去の記憶が出てきた時は、それが久々であれば久々であるほど大きく精神的なショックを受けます。

ですから、シャルドルはおそらくは涅槃の入り口ではあるのですけど、涅槃に達したからと言ってすぐにトラウマなどの葛藤がゼロになるわけではないのだと思います。

先日お伝えしましたように、煩悩やそれに類する感覚、トラウマも含めてそれらの諸感覚は全て「装飾」であるが故に、装飾として認識できるようになったという違いはあれど、その諸感覚はやはり、ある程度は存在し続けるということなのでしょう。

カルマは何種類かありますがこの世に生まれてきたカルマはまだ継続していて、いくつかのカルマの種類は悟り・モクシャ(自由)を得ても継続すると言います。

トラウマも過去の行いが原因で起こるものであれば、その結果としてのトラウマが出てくるのは避けられないことなのでしょう。

ただ、もはやトラウマに囚われる間隔はとても短くなり、そのトラウマから解放されるプロセスもシャルドルにおいては自動的ですから、一時的な記憶と傷つく感情としてトラウマを体験することになると思います。それは心が痛むのは痛みますし、その痛みがなくなるわけではありませんが、シャルドルの涅槃の力によってその痛みから解放する力が一定以上にまで上がったと言うことができると思います。



(同テーマ&時系列の次記事)馬陰蔵相が深まり、性的欲求が更になくなる