水面に映った自分の顔が上の方に見える瞑想

2020-10-06 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想をしていると、ここ数日の間に複数回、自分の顔が頭の上に浮かびました。

最初は私が若い頃の顔で、瞑想中は目を瞑っているのですが見えた顔は目が開いておりました。顔をよく見ると若い頃の顔に似ていましたので、今の姿をそのまま鏡写しにしたわけではなさそうです。その顔がこちらを見て、少し和かにしておりました。証明写真のように顔だけが浮かんでいる感じでした。

その数日後、再度、似たように顔が見えたのですが、今度はもう少し年を取ってからの、おそらく30代の顔でした。こちらも少し和かで、先日のに比べると水面に映ったかのように少しゆらゆらとしておりました。

心は鏡のようなものだ、とはよく言われることですが、心に映った自分の姿、ということなのかもしれません。あるいは時空を超えてどこかの時点の自分が将来の自分を覗き込んでいるのかもしれません。

禅の瞑想などで自分の頭の上に仏像や神様を思い浮かべる、という手法がありますけど、それらの手法は頭の上に意識的にイメージをして作り出すものだとは思いますが、私の場合はそのように意図してイメージしたわけではなく、かと言って、あらかじめそのようなイメージが来ますようにと願ったわけでもなく、不意に、普段通りの瞑想をしていたらたまたま、といいますか、不意に、といいますか、全く期待せずして上記のように自分の若い頃の姿が浮かんできたわけです。ですから、禅やチベットの瞑想法などにある、イメージする瞑想をしていたわけではありませんし、それとはおそらくは違う体験だったのではないかなと思います。

現時点ではこれが何なのか解明はできませんが、仮説としては、おそらくは意識が清浄になると心の鏡の上に対象が写り始めるのではないかな、と思っております。そのような記述をどこかで見たことがあるように思いますし、その心の鏡にいわゆるサードアイのような力が加わって遠くのものを映し出したりするのかな、という気も致します。

これらの心の鏡の出現は瞑想で意識が清浄になり、かつ、ヨーガでいうスシュムナ・ナディにエネルギーがきちんと入った時に起こるような気が致します。意識の清浄とスシュムナのエネルギーは相関関係がありますので、瞑想をして、左右のバランスを整えてスシュムナにエネルギーを充満させることで意識が清浄になり、そうなると心の鏡が出現して対象を映し出すようになるのでは、というのが現時点での私の理解です。

心の鏡は水面とか言いますけど、水面というと地面に平行にあるものですけど、この場合の心の鏡は地面にあるわけではなくて壁にかけてある鏡のように自分に対して平行にあって、その壁にある鏡が水面のようになっているわけです。水面ですから、時には風が吹いて少し波打つこともありますし、全く平らな感じの時もありますし、波打っていたり霧がかかっていてよく見えないこともあります。

三種の神器の1つである八咫鏡は心をモチーフにした、というようなことをどこかで読んだ気も致しますがどうでしょうかね。そんなイメージです。ちょっと古い鏡は現代のような綺麗な鏡ではなくて金属板だったようですし、歪んでいたりもしますけど基本は水面のようなもので、磨けば磨くほど写りが良くなるわけです。

禅やチベットの瞑想にしても、最初は意識でイメージするのかもしれませんが自然に心の鏡に映ったものが自然に見えてくるまで瞑想するということであれば目的地は一緒なのかもしれません。