特に女性の場合、前世での妻としての生活が楽しかったので親族としてまた生まれてくる場合があります。また妻になりたい場合はそのように生まれる前にアピールしてくる場合もありますし、子供の場合は割と自由気ままに自分から動いて生まれてくる場合もあります。
チャンスがあればそれを逃さず行動する人がそのポジションをゲットするわけです。そんなにきちんとは管理されていない気がします。割と自由です。
そのように、前世でのパートナーが子供あるいは孫として生まれてきた場合、それはそれは可愛いでしょう。そりゃそうでしょう・・・。かわいすぎて困ってしまうくらい可愛いと思います。
一方で、他人がなんとなく生まれた場合はそこまでではなくて、ぼちぼち可愛い、という感じだと思います。
よく、孫は目に入れても痛くないくらい可愛い、みたいなことを言いますけど、実際は人それぞれだと思います。
一定以上かわいければいいですけど、残念ながら、それほどでもない、という場合もあると思います。それは「付き纏われている」というパターンですね。どっかに行って欲しいのにつきまとわるタイプが子供あるいは孫として生まれるパターンはそのパターンを卒業しない限りは続きます。勉強のために親族になる、というパターンですね。
実際はそれらの混合もあったりして、そこそこ可愛いのだけれども、それに加えて、どこか憎たらしい気持ちも混ざっている、というような組み合わせの複雑な気持ちもそれなりに多いように思います。例えば、ぼちぼち可愛いのだけれどもどこかにくたらしくて、お金ばかり使わされるので奪われているように感じるおじいさん、みたいなこともあります。
お金を使いたくなる孫なのかそれとも奪われていると思われる孫なのかで大きく分かれる気が致しますね。感覚的には、お金を使いたくなる孫が8割以上で奪われていると思われている孫は2割以下かと思いますが、奪われていると思っていても可愛い面も含まれていたりして、そんなに単純なお話ではないと思います。しかしながら基本はあって、基本は前世との繋がりあるいはカルマ的な勉強のために家族になるケースですね。
それが関係性の基本で、加えて人としての基本的な「愛する力」のようなものがそこに加わります。誰それとなく人を愛する人であれば基本が良くなくても愛することができるでしょうし、それほど人を信用・愛することができない人であれば基本がいくら良くても愛することに抵抗を感じるかもしれません。
私の場合、母方は基本が人を愛する、という家系で、父方は、どこか気難しい家系でした。母の実家に行くと愛されましたが、父方に行くと半分は愛されているものの、どこか気分が良くない感じを受けることが度々ありました。まあ、このくらいであれば世間に比べたらかなりいい方だったかなとは思いますけど、それでも、父方のおじいちゃん・おばあちゃんがたまに見せる「(私を)憎たらしいと思う感覚」が時々伝わってきて、孫が可愛くないというのはどういうことだろうかとずっと疑問に思っておりました。
私は今までの前世においてそれほどお金に困ったことがありませんでしたので、貧乏人の気持ちがよくわからず、今回は貧乏人の気持ちを学ぶためにそれほどお金のない暮らしを遊びでしてみていますが、ようやく貧乏人の気持ちがちょっとわかった気が致します。今まで貧乏人を見て「この人たちはどうしてこんなにひねくれているのだろう」と思っていたのですが、ちょっとだけ理解できた今、私の「理解したい」というカルマはほとんど解消されたように思います。要は、自分にお金がなくて他人を愛する力が弱くて孫がそれほど可愛く感じなければ孫が「自分から財産を奪う対象」に見えるのですよね。その単純なことが今までピンときていませんでしたが、ようやく貧乏人のひねくれた気持ちがちょっとだけわかった気が致します。貧乏だからひねくれて、ひねくれると他人が遠ざかって、他人が遠ざかると手助けしてくれる人も少なくなって、商売もうまく行かなくてますます貧乏になる、というサイクルを辿るわけですね。貧乏人あるある、です。こういうこと書くと「お前なんかにわかるか」とか「貧乏人を全部理解できる筈はない」とか言ってくるのがひねくれた貧乏人で、私は全部には興味がなくて自分が疑問に思っている範囲で理解したのでもう十分なのです。ひねくれた貧乏人の性質が以前は全く理解できなかったので、ちょっと味わってちょっと理解しましたので、もうそれは自分の関わる世界ではないということがわかりましたので、もう興味がないのです。
ずっと疑問に思っていた貧乏人の気持ちはちょっとだけ理解したのでもうお腹いっぱいですのでこれ以上は要らなくて、やっぱり私は前世での繋がりのある可愛い愛のある妻たちと一緒に楽しく暮らしたいです。
今の時代をしっかり生きて、誰かを助けることの基本が妻ですよね。妻が楽しく暮らせるようになんでも「いいですよ」とOKを出し続けることで妻が来世も一緒にいたいと思うようになるわけです。
世間ではね、妻を道具とか奴隷とか召使のように思っている方も一部いらっしゃるようですけど、それじゃ、死後に妻は開放されてどっかに行ってしまうだけですよ。
妻だけではないですけどね。繋がりのある人で前世から仲のいい方というのはある程度同じ人生を生きるようになります。そうして人を大切にすることで来世に繋がってゆくわけです。その中で、特に孫が可愛い、というのは、前世から繋がりがある魂が転生した場合に可愛いのはそれは当然だと言えます。
一方で、損得勘定で生きている人は周囲にいる仲間も損得勘定になって妻も子供も孫も損得勘定になりがちですから愛の人生ではなくなってきます。
どちらがいいのかはご自身の現在の人生が土台になって、来世に続くわけです。
これは、どちらがいいとか言っているわけではありません。ご自身の好きなように生きればいいだけのお話です。ご自身が望んだものに人生はなりますから。
ひねくれた人生を選ぶのも自分の自由ですし、愛の道を選ぶのも自由なわけです。貧乏人でひねくれを極めることを否定もしませんし推奨もしません。どちらでも好きにすればいいですし、もしかしたらその先に何かがあるのかもしれませんしね。自分の興味のあることをなさればそれでいいと思います。それを許容できるだけこの世界は広いです。しかしながら、貧乏人のひねくれのいる世界は私の住む世界ではありませんので、私には関わらないでいただきたいものです。
何度も転生をするにつれて、「なんだこれ???」と思うことは多々あって、その都度、色々と興味を持って眺めてきましたが、興味深いお話もあればこのように、結局は「な〜んだ」と思うような貧乏人のひねくれ話もあるわけです。とは言っても、そのような多様性のあるこの世界の全てが基本は素晴らしいわけです。
日本は核家族化が進んでいますけど、今世で家族を大切にして、来世でも同じ妻や子供たちが親族で生まれたいと思うくらいの豊かな家族生活を送る方がみんな笑顔で楽しいと思いますけどねえ。
まあ、私が何を言ったところでそうそう他人が変わるわけでもありませんし、他人は好きにすればいいですけど。