真我(アートマン)の手足が5つの神通

2020-10-20 記
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

神通は5つとも6つとも言われていますけど、基本となる五神通が真我(アートマン、スピリット)の手足だと言います。

これは今日の瞑想の中で教えられました。

確かに、そう思ってみれば当然であるように思われます。この神通を顕在意識の自我から見れば神通ですが、アートマンからしてみればそれは単なる手足なわけです。

手足ですから見る能力や歩く(移動)する能力、聞く能力があって当然なわけです。

天眼通は千里眼の能力で目ですし、他心通や天耳通は耳、神足通は足、宿命通も目ですね。六神通に入っている漏尽通はアートマンの手足とは違った感じですので、六神通というよりは五神通がアートマンの手足だというのがしっくりきます。

・天眼通、宿命通 目
・他心通、天耳通 耳
・神足通 足

これは、神通が何やら神がかったものではなく、単にアートマンが動き出したことによる、別の言い方をするのならばアートマンが現れたことによるその手足の働きが五神通であると言えるわけです。

人間の顕在意識からすれば不思議な力に見えますが、観察状態が進んでアートマンが主に切り替わった状態に働く手足のことであるとすればなんてことはない、普通のことのようにも思えてきます。

普通の人はアートマンが動いていなくて顕在意識の欲望や反応で生きているわけですからアートマンの手足である五神通が動いていなくても当然であるようにも思います。

五神通の分類は流派によって色々のようですけど、アートマンの手足と考えると嗅覚と触覚がないので五感には1対1には対応してはいませんのでちょっと中途半端ですかね。

いわゆる幽体になっても皮膚のような感覚はありますので、その感覚があってもよさそうなものですけどね。嗅覚に関しては、波動の感覚を匂いとして感じることもありますのでそれもアートマンの手足といいますかアートマンの五感として考えても良さそうな気が致します。

そう考えますと、五神通は何も特別なものではなく、アートマン、いわゆる真我あるいは霊体・幽体の働きであると言えます。それを日常生活を送りながらも活用できるようになる、というところが五神通の実際なのではないかと思います。

そのために、基本は瞑想をして意識を鎮めて静寂な境地に至ることでアートマンが出現してくるわけですが、一部の流派で能力だけを目的にしていると秘密の技法などで一時的に意識を鎮めてアートマンを働かせる、というようなこともできるように思います。

ヨーガなどの聖典で言われていることですが、神通(シッディ)を得るためにはいくつかの方法があって、基本は瞑想ですけど欲望や雑念を持ったままシッディを得ることも一応はできて、例えば薬物・マントラ・苦行によっても得ることができると記されていますが、シッディを修行の目的にしてはならないとヨーガでは説きます。であれば手段は瞑想しかないわけです。

シッディを目的にしてしまうとシッディを得るために薬物・マントラ・苦行で一時的に顕在意識を麻痺状態にしてアートマンを働かせる、ということになるかと思います。そして、そのような人はアートマンを働かせた後にしばらくすると元の欲望・雑念の世界へと戻ってゆくわけです。

一方で、瞑想でサマーディに達した人は意識が平らで静寂の意識に生きていて、多少は雑念や欲望も持ちますけど静寂な意識に立ち返る力がかなり強くなっていて、その状態ではアートマンが働きやすくなっていますからアートマンの手足である五神通を動かすのも自由自在なわけです。そして、手足ですから動かすも動かさないも自由で、シッディのように見えるかもしれませんけど、もはやそれは大した事柄ではなくなるわけです。