命の重さ

2021-01-16
トピックスピリチュアル

それなりに重いのは確かですけど、死んでも消滅するわけではなく、魂的には別にどうってことはありません。

ただ、死んで再度生まれ変わると子供になってその時代の学習をやり直さなくてはならないのでちょっとめんどくさい、という面はあります。

ですから、死んだところで大したことないといえばそうなのですが、色々と生まれる前の準備をしたり子供時代に学習をして大人になって、さあ、やりたいことをするぞ、となってから早々に死んでしまうと「おいおい。まだやりたいことをやっていないのに続きをやるためにはまたあの子供の頃の不自由な学習期間をしなくちゃならないのか」という、ちょっとした徒労感とめんどくさいなと思う気持ちが出てきます。

ですから、まあ、やりたいことができているのならば死なない方がいいと思います。一旦死ぬと同じ魂がそのまま生まれるとは限りませんからね。というのも、魂(幽体)がそのまま転生する場合と、一旦グループソウル(類魂)と一体になってから分霊を作って転生する場合がありますので、後者であれば「わたし」という個は、厳密に言えばもう二度とないからなんですよね。後者であってもコアな部分があって、大体の雰囲気は似ますけど、それでも、全く同じではないですね。前者であれば同じと言えば同じですけど生まれる時代や環境や家族によって大きく性質が影響されますから、大人になった時の安定した感じとは違って、子供時代を通り抜けるというのは多少ながらリスクがあります。

前世でやり残したことをやりたいと思っても必ずしもその意思の通り続きができるわけではないのですね。

であれば、わざわざ死ぬという選択をしなくても、今の人生でやりたいことをできるかぎりした方がいいわけです。

人生、本当に詰んでしまった場合は死んでやり直した方がいいという場合もあるのかもしれませんけど、その時にメンタルで病んでいる場合は死ぬのは危険で、欲望や雑念が多いまま死ぬと彷徨う浮遊霊になってしまいます。

純粋に雑念なく悔恨なく安らかに死ぬことができるのであれば死んでやり直す、という手も一応は理屈としては可能なのですが、悩んで自殺なんかすると浮遊霊になるのがおちだと思いますので自殺はしない方がいいと思います。それに、その人生に関わった人たちに徒労感を与えることもありますし。ただ、こればかりは時と場合によりますので、なんともいえない面がありますが、割とそういう場合が多いように思います。ですから基本的には自殺はいけないと思いますけど、例外的に死んでやりなおす、という場合もあります。

死んでやり直す場合は、自殺ではなく高次の自分がそう判断して事故とか病気で死ぬことになりますから、死ぬという選択肢は自分ではしなくていいと思います。

顕在意識でそう判断する場合も一応あるにはあるのですが、それは大体の場合は宇宙人が「もう終了」と思ってそう判断する場合がほとんどのような気がして、ここでほとんどと言っているのは、自分の顕在意識で死を判断するという場合自体がそもそもレアケースで、そのレアケースのうちほとんどは宇宙人の場合、ということで、レアケースの中の更にレアケースというのはほとんどありませんので、まあ、自分で死を判断するなんてのは普通の人にとってはないと思った方がいいと思います。

地球人の場合、あるいは宇宙人であっても割と殆どの場合は高次の自分が判断してそれが三次元に降りてくる感じですから、自分で判断する必要はないと思います。

と、いうことで、死ぬという選択をする場合でも顕在意識で判断する必要はないということですね。それは基本的には高次の自分が判断してくれます。

生きているのならばそれは生きられるということです。

ですから、気持ちが落ち込んで自ら選んで死んでしまうのであれば地縛霊とか浮遊霊、あるいは悪霊さんになるということです。まあ、ご愁傷さまと言うしかないですね。ぼおおおおっと、ふらふらっ、と、この世をさまよい歩くようになっちゃうわけですね。怖い怖い。怖いと言うよりは怪談のように「冷たい」って感じですね。寒気がする霊になっちゃいます。

ですから、命というのは基本的には重くて1つしかないですよ、というのはある意味当たっていて、本当に自分そのもの、変わらない自分、というのは今回の人生あるいはグループソウルに戻らずにまた転生する場合だけ継続するもので、グループソウルにまで戻ってしまったら個というものは一旦は消え去るわけですね。個というのはこの世では一時的にはきちんと存在していて、ですけど、それはグループソウルに戻ればまた繋がるわけですよね。

死んだ後に消滅してしまってなくなってしまうわけではありませんけど、グループソウルに合流すればある意味なくなるというのは正しいお話ではあります。死んでグループソウルに合流すれば「あなた」という存在はなくなってしまいますからね。ですから、死んだら無になる、というお話は、完全な消滅ではなくて存続するという点は違いますけど「個」がなくなる、ということであれば正しいです。

そのようにグループソウルから分離して生まれた魂というのはエネルギーを持っていて、それなりに尊重されるわけです。ですから、魂の、命の重さというのはあるにはある。ですけど、それは天命と言い換えてもいいですけどグループソウルの時点で与えられた使命あるいは平たくいえば「やりたいこと」があって、その「やりたいこと」があるのであれば基本的には命は継続になるわけですね。それがそのまま命の重さになるわけで。

やりたいことが達成されれば早々に病気や事故になって死ぬこともあるでしょうし、あるいは、残りの人生は緩やかに生きて人生を楽しむかもしれません。それもまた、その魂の選択ですから、どちらがいいとか悪いとかいうわけでもなく、そうなっている、というだけのお話です。

「やりたいことができなければ死んだほうがマシ」なんて言いますけどそれは実のところ本当という面もあるのですけど、ただし、強い不満があったり未練を残したまま自殺すると浮遊霊や悪霊になるので自殺は止めておいた方がいいと思います。例えば子供をコントロールして子供のやりたいことをやらせない親なら子供は反発して親を幻滅させるか、あるいは、自由を得られないのであれば生きているのが無駄と悟って自殺して未浄化霊になったりします。そんなもんです。コントロールなんて不可能ですよ。他人をコントロールすると、結果として死にまで直結するわけです。そして、他人をコントロールしようとした場合、コントロールされる方は抵抗しますから、最後は廃人のように自分を見失うか、あるいは、最後の輝きを放つかのように抵抗を試みます。その抵抗で親なり誰がしかに仕返しをするか、あるいは、自ら死を選ぶ場合もあるわけです。

ただ、ちょっとこのあたり難しいのは、人生の残りの50年とか80年を他人にコントロールされたまま搾取された人生を送るよりは、しばらく未浄化霊になって彷徨ってから成仏したが結果としてプラスな場合があるにはあるのですよね・・・。これは自殺の幇助と取られてしまうと困るのですが、自殺は基本的に止めたほうがいいというのはその通りです。自殺すると未浄化霊になって、悪くすれば悪霊になったりしますから。ただ、この世に生きていても他人からコントロールされ続けると自分で考える力をどんどんと失ってしまいますから、それが半世紀も続くと考える力が弱まってしまい、次の人生における考える力が足りない状況にもなります。そうなるよりはさっさと逃げるか、逃げられないのならば死んだほうがマシ、というのは現実としてあります。ですけど、基本は死ぬのは良くなくて、逃げるか抵抗すべきだとは思います。

このあたりを私の場合の実例で少し話しますと、私の今生の30歳くらいまでのテーマは他人にコントロールされることを止めること、という課題がありましたね。私の今生の目的はカルマの解消と覚醒への階梯を確かめることの2つですけど、カルマの方の課題の1つとして、過去生で私をコントロールしてきた人に抵抗する、というノルマがありました。例えばそれは大学時代に隣の部屋に引っ越してきた人がかつて私をコントロールしてきた過去生のパートナーだったり、親は私を強烈にコントロールしようとしましたのでそのコントロールから逃れるのもノルマの1つでしたね。その他にも、ビジネスで大した役割を果たしていないビジネスパートナーにあまりにも大きな利益を与えない、未公開株を与えない、というノルマもありました。ものによっては私の若い頃に何度も自殺を考えたりもしましたけど、ノルマを1つづつこなしていったわけです。私が若い頃は、数え切れないくらい「自殺」を考えて、実際に行為に及んだことはありませんでしたけど、日によっては1日に何度も考えたりしたわけですから1年で少なくとも100回だとして10年前後で1,000回くらいは自殺を考えたと思います。それでも何とか生きてこれましたけど。頭で自死を考えても、それを行動する気には何故かなれなかったのですよね。落ち込んで学校に行く足が動かなくても、まず片腕だけ動かして、もう片方の腕もそこだけ動かして、次は右足だけ一歩踏み出して、次はもう片方の足を動かす・・・ として、何とか学校に行っていた頃もありましたっけ。今では遠い思い出ですけど。基本的には自殺は良くなくて、乗り越えるべきなわけです。昔はね、霊界の警察が自殺者を捕まえて牢獄していた時代があったとは思いますけど、今は自殺しても放置ですからね。地縛霊になったらそうそう助かりません。

色々書きましたけど、まとめますと
・自殺は止めましょう。
・死ぬべき時には死にます。
・生きているのならば人生は続行です。