いわゆる悟っている状態では過去生は全て明らかでいくらでも見ることができますけど、悟っていない時の状態で過去生の記憶があったとしたらそれはそこに課題があってその記憶に関連した学びを今生で行っているからこそ記憶があったりするわけです。
ただ、記憶があるからと言って必ず課題かというとそうでもなく、単に覚えているだけの場合も多々あります。
過去生の記憶があった方が優れているわけでもないですし、なくても別に問題ないわけです。あってもなくてもどちらにせよ今生の学びをしているわけで、過去生の記憶があるかどうかは関係なくて、それは割と趣味みたいなもので、守護霊のやり方がそれぞれあるでしょうし、あるいは、自分のスピリットのやり方として過去生の学びをしたいから記憶を蘇らせた方がやりやすい、あるいは、蘇らせない方がやりやすい、といった場合もあるでしょう。選択的に行っている場合もあれば、なんとなくそうしている場合もあるわけです。
選択的に行うのはそれなりに経験を積んだ人の場合のことで、初心者さんの場合はそんなに記憶がないかもしれませんし試しに記憶をつけてみたけれども記憶と想像の見分けがつかないかもしれません。初心者さんの場合は色々やってみてより良い方法を見つけるでしょうから、まあ、何でもいいんじゃないですかね。経験者でも、その人生での学びとあんまり関係ない場合は記憶があったりなかったりして、割と適当です。なんとなく覚えていたり、あまり気にしていなかったらいつの間にか忘れてしまうのは普通の自分の人生の昔の記憶と一緒です。
ある程度悟っていれば実際に意識を飛ばして過去とか未来とか見れますけど、そうではない場合、悟っていなくても単純に記憶しているだけ、ということもあるにはありますけど、割と一般的には、課題があるからこそ記憶してて何度も蘇ってくることの方が多い気がしますね。
悟りとまでは行かないにせよある程度の意識の覚醒がないと単純な記憶すらも維持できずに過去生を思い出せないように思います。そして、それほど覚醒していないのに過去生の記憶があったのだとしたらそれはそこに課題があるからこそ浮かんできて、もっと言えば、その課題とは今生にて学ぶべきレッスンだったりするわけです。そして、その課題をクリアしたらその記憶はそれほど浮かばなくなってきて段々と忘れていきます。課題が残っているうちは何度も何度も記憶が蘇ってきます。
ですから、過去生の記憶はあってもなくても問題ないわけです。
ヨーガ的には過去生の記憶というのはサムスカーラと言う「微細な印象」として説明されています。このサムスカーラがあるから輪廻転生を繰り返していてこの世のループから逃れられない、だからそのサムスカーラを浄化することで悟りに近づいて輪廻転生から開放されて自由(モクシャ)に至る、というように説明されていたりします。そして、ある程度の悟りに近づいた時のシッディ(超能力)のうちの1つに過去生を見通せる力もあると説明されていたりします。このあたりのお話は仏教にも通じていて、割と同じお話のように思います。ヨーガでは過去生の記憶は、このように、それほど良いものとして扱われていないのが現実です。
ただ、個人的に思うのはそこまで過去生の記憶を悪者にする必要はなくて、過去生の記憶がある人はあるし、それは自分の人生の子供の頃の記憶があるのと同じようなもので、自分の人生の子供の頃や青年の頃を永遠と誇って「いま」を生きられない人がいるのと同じように過去生を誇って「いま」を生きられない人もいるかもしれませんし、逆に、若い頃の記憶や過去生の記憶を反省材料にして「いま」の人生をより良きものにすべく改善してゆくこともできるわけです。
記憶が「いま」の人生にプラスなら覚えていたり守護霊が教えてくれることもあるでしょうし、「いま」の人生に邪魔だから思い出させない、なんて時もあると思います。それは自分の経験次第みたいなところもあるでしょうし、やり方はそれぞれのスピリットや守護霊によって違いますから、そのあたりは割と流儀および趣味の違いみたいなお話になります。
とは言っても、今生に生まれた理由が過去生繋がりだったりすると割と覚えていたりすると思いますけどね。それは課題というほどの課題ではないですけど、課題というよりも今生に生まれた目的とでも言いましょうか。目的と言っても大したものではない時も多くて、単純に海外旅行して遊んでみたいだとか仲の良かった子とまた地上で楽しく暮らしたいだとか、面白そうだから試しに生まれてみた、だとか、その程度のこともよくあります。一緒に夫婦になるとか、親子になるとか、そう決めて生まれる場合もあって、それすらも、その約束を覚えていたりいなかったり、それぞれです。意識がぼおっとしていると忘れてしまうというか思い出せない場合が多いように思います。意識がクリアならばよく見通せて思い出せます。
色々と処要因はありますけど記憶があってもなくても基本的には大差なくて、まあ、そうは言いましても、実際にはそれなりに覚醒に近づけば近づくほど記憶はしっかりと維持されますから、記憶があった方が覚醒に近いという面もあるにはありますけど、覚醒に遠くても課題として記憶が沢山ある場合もありますから、それは一概には言えませんね。