・・・瞑想中に見えてきたバチカンのお話です。本当のことかどうかはわかりません。
織田信長はバチカンに行った、というお話の続きですけど、そこで、教皇だけでなく多くの枢機卿とも知り合いになるわけですね。
とにかく教皇は金の亡者で、教皇になりたければもっともっと金をよこせ、という感じでしたね。
しかし、枢機卿には純粋で良い心をもった人がいて、よく話をしていたりしました。
世間でバチカンは悪の組織だとかイエスズ会は世界征服を目論んでいるとかもっと散々に言われていますけど、確かに金の亡者で世界征服という面もあるにはありますけど、純粋に神のことを願って世界平和を祈っている方も大勢いらっしゃいました。
とある、名前は忘れましたけど、とてもジェントルマンな紳士がいて、その人とはよく話をしていましたね。
聖書に基づいたキリスト教の解釈とか、教皇のお考えとか、これからキリスト教がどのように世界平和に貢献してゆくのか、という話をいろいろとしたように思います。
その時の聖書はラテン語だったかと思いますが自分は読めませんでしたから訳者に頼ったりもしましたが、少しずつラテン語を勉強していました。とは言いましてもアルファベットを読むのは大変で、なかなか覚えられなかった気がしますね。さすがに年をとってからアルファベットでラテン語の学習というのはきついものがあります。
最後、そろそろ寿命だという頃、持ってきていた財産をどうしようかと決めかねていて、もともとはバチカンに寄付しようと思っていたのですが、そのように教皇が金の亡者だったので最後まで自分に忠実に使えてくれた黒人に全部あげることにしましたね。
その黒人はよくわからず書類にサインをして手続きをしたのですが、バチカンではそのような書類の手続きはしっかりしていましたね。ルールを破って財産を奪うとか、そういうことはなかったように思います。
信長が死んでから、あまり理解していなかった黒人はその財産が自分のものになったということを理解して、驚きと共にかなり喜んでいましたね。
まあ、そういうご褒美はたまにはあってもいいですね。
黒人も、最初は奴隷で日本に連れてこられて、信長に気に入られて、最後はバチカンまでお供をして、お疲れだったでしょう。
しかも、バチカンでは1日中ずっと財宝を守って警備をしていたわけですし、ローマは日本より寒いので、特に冬は冷えて寒がっていました。そのような苦労も少しは報われたと言ってもよいかもしれません。
その黒人が死んだあとは財産はバチカン所有になったようですが、しばらくの時を裕福に暮らすことができて、ほんのささやかなお話ではありますけど、良かったように思います。