覚醒した意識を日常生活で保ち続ける(同テーマ&時系列の前記事)

ナーダ音があれば普段聞く音楽はいらない

2021-03-01
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

どのような素晴らしい音楽よりも上等の音楽が無限にナーダ音で聞こえてきます。それは音楽というには大したメロディではなくて無限の音程と無限に続く高音の連なりではあるのですがそれさえあればそんじょそこらの音楽なんていらなくなります。

JPOPやロックやジャズ、あるいはクラシックなど数多くありますが、このナーダ音以上に素晴らしい音楽はありません。

そのほんの一部だけを取り出したら交響曲ができると言ってしまうと大げさかもしれませんし、実際のところ、交響曲のような複雑なメロディはない・・・ と言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、俯瞰して言ってしまうと単純な高音の連なりではあるのですがそれは無数の音楽の連なりでありますので交響曲の何十倍何百倍もの複雑な音楽の奏でが一度にしかも無限に果てしなく聞こえてくるのがナーダ音なわけです。

ナーダ音こそが至上の音楽であって、それ以外はその一部を切り出したもの、と言えなくもありませんが、それではそれはどのようなものかと聞かれたら、再度繰り返しになりますが、一見すると単なる単一っぽいピーという高周波の音でしかなくて、言葉でそう言われてしまうと「なーんだ」と思われてしまうかもしれませんが、実際のところその高周波は細かく変動していて、変動の中身は更に細かい多数の波の連なりで、それはまさに根源の音楽であるとも思えるわけです。

私はナーダ音が常日頃、日常生活で聞こえるようになって以降は音楽を聞くことがほとんどなくなりました。

コンサート等に行って聞くこともありますけど、ナーダ音が常に聞こえてきてしまいますのでナーダ音に意識を合わせずにコンサートの音のみに集中しないとナーダ音とコンサートの音が被ってしまいますのでちょっと不便なところも一応はあるのですが、そうして気をつけつつたまにコンサートを楽しむこともあります。特にオペラがコロナ前まではお気に入りでしたがコロナ以降は行っていません。

そのように、たまに生演奏を楽しむことはあっても、基本的にはナーダ音が私と常に共にある音楽であって、ナーダ音があれば音楽などいらないわけです。

他の人がどうなのかはわかりませんけど、少なくとも、私にとってはナーダ音があれば音楽は不要になっています。

かと言って音楽を否定しているわけではなく、音楽が存在していても、もちろん問題ないと思っています。ただ単に、私には普段聞くような音楽が不要になったというだけのことです。

昔はCDを買って日常に流すなんてことをしていましたけど、今はナーダ音がありますので不要になったということです。

テレビやYoutubeなどのBGMで音楽があることを否定しているわけではなく、雰囲気を表現するための音楽があっても全く問題ないとおもています。それはコンサートと同じで、表現としての音楽なわけで、そのような表現の音楽を否定しているわけでは有りません。

ただ単に、日常生活と共に流しておくような音楽は不要になった、というお話です。それはナーダ音という最高の音楽が常にあって、それが無限に現れ続けていていますから、それ以上のものは不要ということです。



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