相手のことなんて根本のところまでは理解なんてできませんから、相手のことは究極的なところまではわからない、という態度が基本にあるべきだと思います。
スピリチュアル的な感覚が発達するとある程度は相手のことが見抜けるようにもなりますけど、その場合でも、根本の究極の根本というのはほとんど見抜くことができませんので、ある程度というのが80%や90%になったとしても最後の10%やそこらがとても重要なわけで、90%わかったとしてもそれは表層の部分でしかなくて、残りの10%は実はもう1階層深いところにある集団意識というか集団無意識と言いますかグループソウルあるいはハイヤーセルフみたいな意識と繋がっていたりしますので、90%や95%が見抜けたとしても残りの部分はわからないのですよね。
スピリチュアルで他人を理解するというのはそういうことで、この人間界の地上的な肉体的なあるいは感情的な理屈的な部分はスピリチュアルな感覚を発達させて90%や95%は理解できたとして、それを相手に伝えたとしてそれがその通りだと確認できたとしても、残りの10%や5%のところがとても大切で、それが実は全ての根本だったりするわけですから、90%や95%がわかったところで、相手を理解したことにはならないのですよね。
この、100%には絶対に達しない、少なくともこの地上に生きている人間の魂が別の魂の根本を100%まで理解することは絶対にないということを理解するのはとても重要で、その理解がないがゆえに、スピリチュアルで発達したとしても相手をかなりのところまで理解しただけでそれが相手の全てだと思ってしまう間違いをしてしまうわけです。
まあ、そこまで行かなくても、表層だけを見て面接で相手を解釈してしまう、なんてこともよくあるわけで。
どちらにせよ、程度は違えども、相手のことがわかったとしても表層だけだと思っておいた方がいいと思います。
これは、幽体離脱をして他人の人生の節目節目を辿って観察できるようになっても同じことで、そうして実際に過去を遡って他人の人生のポイントを理解したところで、実際に時間を使って人生を経験してきているのはその本人なわけですから、じっくり見て感情を把握することはできますけど、それは共感というレベルにしか達しなくて、それで理解が深まって80%や90%理解することはあったとしても、根本の100%まで理解したということではないのですよね。
本当に100%理解するためには実際に同じ人になって魂までも同一化しなくてはならなくて、人間の魂という状態ではそれはありえないと思ったほうがよくて、もっと数段階スピリチュアルなレベルが上昇すれば理解できるようになるのかもしれないですけど、地上に肉体を持って生まれてきている人にはあまり関係のないお話だと思いますし、そのような意識は集合意識に近いものになっていますので個人の悩みや理解などは興味がなくなっていると思います。
この世に生きていて個という意識がある以上は相手を100%理解することはなくて、90%理解した気がしていても表層だけだ、と思っていた方がいいと思います。
こういうと分離の意識を感じて悲しくなってしまう人もいらっしゃるかもしれませんけどそれは逆で、自分の根本と繋がっているからこそ相手が理解できるわけで。自分の根本と繋がることでそれが相手と共通だということがわかって理解に達するわけです。そして、その、いわゆるワンネス的な意識を使った理解が80%や90%に達するということがスピリチュアル的な成長の過程で現れてくるわけですけれども、そうだとしても、そのワンネス的な相手の理解というのは100%にはならないですよ、というお話です。