良い音楽も沢山ありますが、その一方で、他人をコントロールしようとしている意図がある音楽も沢山ありますので注意が必要です。とは言いましても、音楽家の本人たちは好きに表現しているだけのことも多くありますし、プロヂュースの過程で本人の意図とは裏腹にそのような意図が乗ってしまう場合もあるかと思いますので、これは個人への指摘としてではなく、現実としてそのような音楽が沢山ありますのでそれに気付きましょう、ということです。
スピリチュアルの道は自由が根本にありますから、他人をコントロールしたいと思って生きている人のことも否定しませんし、そのように他人を操作して利益を得たりすることを勧めはしませんけど、その人が好きでそのような選択をして他人をコントロールする人生を送っているのであれば好きにすればいい、という立場を取っています。それもまた、本人の自由なのです。
他人をコントロールするような人生を勧めはしませんし、それと同時に、私に対しての操作に対しては拒否をします。他人をコントロールしようとする人は好きにしてくれて構わないですけど、私の方としても、それを受け入れる自由もあれば拒否する自由もあるわけです。私は他人からコントロールされる人生とは無縁でいたいと思っておりますので、拒否するということです。
そうは言いましても、いわゆる高次元、私のいわゆるハイヤーセルフあるいはグループソウルとしての意図からの操作は私に対して行われていてそれは受け入れますけど、それは他人からの操作ではなくいわゆる高次元からの私自身からの自分自身に対する操作ですのでそれは別物なわけです。
ここで言ってるのは、この人間界において同じレベルの人間同士における操作と操作される者という関係とは私はなるべく無縁でいたい、ということです。
その操作は様々なところに隠れていて、わかりやすい状況として他人を説得して操作する場合や、脅して動かす場合などもありますけど、わかりにくいのは音楽で他人をコントロールする場合です。
一般的には音楽とはいいものだと言われていて、確かに良い音楽も沢山ありますけど、他人を操作して同一の行動を取らせようとする音楽も多々あるということです。
スピリチュアルな立場としては、その意図に気付くことが重要で、音楽を聞いた時にそこに乗っている意図をなるべく読み取ることで特定の音楽に同調しないよう気をつけることができます。
それは、人と話す時にその裏を読み取るということと同意ですので、人の気持を読み取れる人は音楽の奥に乗っている意図もそれなりに読み取れる素地はありますけど、音楽の場合はもっと微妙で、メロディや歌詞および抑揚などで芸術的に歌い上げたり演奏している場合はその奥底にあるコントロールする意図をなかなか見抜けない場合もあるわけです。
一見すると素晴らしい音楽で、確かに純粋に素晴らしい音楽もありますけど、その音楽自身にコントロールが隠されている場合もありますし、音楽自身は純粋だけれどもその音楽が使われている場面や前後の表現でコントロールしようとしている場合もあります。後者の場合でも、団体の集合意識でコントロールの意識が音楽に乗ってくると元々音楽自身が純粋でもいつの間にかその音楽にコントロールの意図が染み付く、という場合もあります。
ですので、最初は良い音楽と思っていても、時間が経つにつれて集合意識が書き換わってその音楽にコントロールの機能が付け加わる場合があるので注意が必要です。
これは、音楽を楽しむのがいけないと言っているのではなくて、純粋な音楽を邪悪な意図で利用しようとしている人がいますので注意しましょう、ということです。音楽は音楽で楽しむのは良いことでありますけど、音楽を使ってコントロールしようとしている人が一定数いますので、それに注意しないとスピリチュアルから離れて行っていつのまにか他人にコントロールされる人生を送ることになりますよ、それでもいいのですか、というお話です。
この世界は割と残酷で、罠にはまったら当分抜け出せない、なんてこともよくありますからね。見えない蜘蛛の巣がそこら中に張り巡らされていて、捕まったらずっと長い間、他人のコントロールされ続ける、なんてのもおくあるお話です。
他人は好きにすればいいとは思っていますけど、その好きにすればいいというのは個人の自由意志で好きにすればいいというお話であって、他人にコントロールされる人生は自分の自由意志を使っていない人生ですので、それはやめた方がいいと思うわけです。
べつにこれは「見抜かなくてはならない」というお話ではなくて、スピリチュアルやってるなら見抜いた方がいいんじゃないの、というくらいのお話です。
個人的には、こうした種類の影響からかなり離れることができたと実感したのはナーダ音が聞こえるようになって[link:/2021/2263/ ナーダ音があれば普段聞く音楽はいらなく]]なった頃からコントロールする系統の音楽から自由になれた気が致します。これは、地味ですけど個人的にはかなり大きな変化だったように思います。