同情という行為は選択的に行われるべきであり、エネルギーの低い人に対しては安易に同情すべきではありません。
同情とは基本的には割と同じ水準のオーラを持った人同士が相手を許して受け入れた時に行う行為であり、エネルギーの差がある人との間で同情を行うとエネルギーの同質化が起こりってお互いに多大な影響を与えますので、安易にするものではないのです。
自分よりエネルギーの高い人に対して行うのは同情ではなく尊敬であり、一方、自分よりエネルギーが低い人に対しては同情するのではなく愛を感じることです。
同情というと世間では良いことのように言われていますけど、実際は、同情とはエネルギーの低い人が他人からエネルギーをもらうために行う行為、あるいは、エネルギーの高い人がエネルギーの低い人にエネルギーを与えるために行うです。しかもそれはオーラの深いところから行われますので、ただ与えるだけでなく、お互いのオーラが均一化して、お互いにお互いの課題や何やらを共有することになります。
ですから、こういった行為を安易に行うことはあまり褒められたものではありません。
こう言うと反発する人が一定数いて、それは私にとって面倒なことだったりもしますのであまり世間では言わないですけど、実際、同情を必要としている人というのは他人のエネルギーに依存していて他人のエネルギーを必要としている場合があったりするのですよね。それを隠すため、あるいは、他人に気が付かせないために同情とは良いものだという同意を誘ったりすることもありますけど、安易に騙されないことが肝心です。あるいは、相手にそのような疑念を抱かせないために同情が良くないものというお話をしただけで怒鳴ってくるような場合も同様です。怒鳴るということはそのような真実に触れられたくはないという心理の表れで、盲目的に同情を続けさせることでエネルギーを奪い続けたい、という心理が自覚していようがいまいがそこには横たわっています。世間ではこのように、同情というものが良いものということにしておきたい人が一定数いて、それ故に、同情ということに対する真実があまり世間に出にくい状況になっています。
これは、同情を誘うと言う意味でもそうですし、自分が同情する、という意味においても同じです。
これはどういうことかと言うと、繰り返しになりますが、同情というのはオーラの一体化が本質であるからです。
同情するということは一体化をするということでありますから、エネルギーが高い方から低い方へと流れます。
同情というのは情というくらいですから愛よりも低いエネルギーです。そのレベルの低いエネルギーがお互いに感応し合って融合し、その時、エネルギーの均一化が起こる。それが同情の仕組みです。
同情することで両者のエネルギーレベルやカルマまでもが一体化します。
世間で言われているように同情することで他人を助けるなんて言ってしまうと聞こえが良くなってしまいますけど、実際そこで起こっていることは、他人と自分とのオーラが一体化して均一化しているということです。その真実を知ったら安易に同情なんてできなくなると思いますが。
世間では同情が良いものかのように言われていますけど、実際は、安易に他人に同情すべきではない、ということでもあります。
同情、という言葉だけでなく、相手に対する理解、ということでもその人の意識のレベル・覚醒の度合いによっては割と同じお話になります。
状況的に同情というか相手のことを理解しなくてはいけない場面がこの世には多々あって、時にはその一時の同情をしたことによってその後の何年も自身のオーラに影響を与えてメンタルを壊し、逆に、相手が元気になって健康になる、ということも起きます。
エネルギーが枯渇していて他人のエネルギーに頼っている人、また、相手を操作しなければ自身が生きられないような骸骨あるいはヴァンパイアのような人生を送っている人がこの世界には多数いて、例えば、仕事の上司などで部下からエネルギーを貰うことで生活しているような人も多数います。
そのような場合、奪っている側の上司は割と健康で、メンタルを壊すのは部下の方になります。出世するのも上司で、部下を使い捨てにすることで昇進してゆくわけですね。
パッと見た目は上司の方が元気に見えたり部下がメンタルおかしく感じたりもしますのでこのような場合に何が起きているかを見抜くのは人生経験が必要で、それも、ただ年寄りならば理解できるというわけでもなく、何回も何十回も何百回も転生を繰り返さなければこのようなことは見抜けないように思います。
ですから、世間の一般社会ではこのような場合に上司が一見すると立派に見えて部下がメンタルおかしく見えたりしますけど、実際には上司のスピリチュアルがかなり低くて部下の方が遥かに高い、なんてことも普通に沢山あるわけです。
世間ではオーラに対する理解が薄いのでこのようなことになるわけですね。
会社は「辞めてはいけない」なんていう考え方は文化的な歴史的なところもありますけど、今の現代における同様の考えを維持しているのはある程度はこのようにエネルギーを奪いたい人、例えば上司が安易に部下を逃げられないようにすることでエネルギーの供給源を保つ、という意味合いもあったりするわけです。
スピリチュアルな理解がある人ならば、エネルギーを奪うような人が上司の下にいるのならば安易に同情しませんけど、上司からすると「協調性がない」とか言って評価を下げて協調を強要して、そのことで、意識的に行っているのか無意識的なのかどうかはそれぞれですけど同情というレベルにおいてエネルギーを均一化させてエネルギーを奪おうとしている、という構図があるわけです。
最近の若い者は協調性がないとか言われていますけど、私からすればそれは健全になったということで、エネルギーを奪いたい年寄りが騒いでいるだけ、という面もあると思います。
日本は他人に対する同情が度を越しておりますので、同情を誘って他人から奪うような生き方をする人にエネルギーを与えない、というレッスンが日本全体に与えられているような気が致します。
重要なのは2点あって、1つは自身のエネルギーを高めること。2つ目は他人に安易にエネルギーを奪わせないこと、です。
瞑想など精神的訓練をすることで同情の度合いは格段に減って、自立し、より高いレベルにおける愛による一体感を味わうようになります。そうして、同情というレベルにおいては選択的に行うようになります。